望美は困っていた。
もちろん、昨日の一件である。
戦いを終えたい。
平和が、皆が幸せな未来が欲しい。
そう思う望美にとって、平家との和議は不可欠。
戦いたがる男をどうにかするのも必要なことだった。

直截的に望美は切り込んだ。
遠回しなのは苦手だし、知盛はそんなの相手にしない。
そう、思ったから。

理解できないはずの男。
いつも望美を置き去りにする男。
・・・・・終わることが確実な恋を覚えさせる、男。


(終わらないのだろうか?)


知盛は戦をやめてもいいと言った。
単なる一兵卒でない、還内府を除けば――あるいは還内府がいてさえ一番の将が。
戦いが終わるなら、私は知盛を斬らずに済む?
この恋は、覚えるだけでなく、・・・・感じることが出来る?


望美は落とすように笑った。
いつの間にか、平和よりも知盛の生存を望んでいる―――
そんな自分が、くだらなく思えた。





こぼれ落ちてゆく時間





望美がその日、最初にしたのは自分の頭を殴ることだった。

「いった・・・・・」

渾身の力で殴ったから、当たり前である。
思わず涙ぐんでいると、朔が首を傾げながら水盥を置いてくれるのが見えた。

「・・・・・何をしているの?」
「アハハ・・・・」

望美は答えられず、笑って誤魔化す。
朔は誤魔化そうとする雰囲気は感じても、無理に問いただしはしないだろう。
果たして、朔は、気遣いつつも出て行った。
見送ってから、望美はため息をつく。

・・・・・・昨日の出来事が嘘に思えて頭を殴ったら、痛かった。
頬をつねらず、頭を殴るまでしたのはもう一つ訳があるのだが、それも解決・・・と、思う。
とりあえず、朝食だ。
望美は顔を洗うと、水を庭にぶちまけた。
水飛沫が陽光を反射して光る。
――――今日もいい天気だ。








「・・・・・・ク、兄上は寝不足か・・・・?」
「うるせえ」

昨日の知盛の爆弾発言を受けて眠れなかった将臣は知盛を睨みつけた。
当然健やかに眠った知盛とくらべ、その顔色は悪い。
いや、寝不足の所為ばかりでないかもしれない。

「・・・・・・・もう一度だけ聞く。あいつは頷いたんだな?」

まだ聞くのか。
多少不快になった知盛は、それでも将臣の焦燥しきった顔が面白いので、鷹揚に頷く。

「そう言ってるだろう・・・・・?」

将臣は押し黙る。
これは好機だった。
戦大好きのこの男の口を封じられる、願ってもない機会ではある。
源氏との和平。
そのためには和議に賛成する勢力を確固たるものにしなければならない。
勝手な惟盛のみならず、生きた平家の将たる知盛に造反される可能性を残すのは避けたかった。
だが・・・・。

(そのために、何故望美がコイツのものにならなけりゃならない・・・・?!)

望美はそれを承諾したというが、本当だろうか。
それでは望美は知盛を好きなのか?
二人舞を見たときに感じた熱が将臣を焦がす。
かつ、将臣自身の感情を差っ引いても、知盛と望美を祝福する気にはちょっとなれない。
知盛の人となりを熟知するからこそだ。
そのうえ、どうしてそんな話が出てきたのかも、解せない。
望美が戦いを終わらせたがることは想像がつくが、知盛の正体を知らなければ話はつながらない。
だが、知っていて尚、あれほど仲がよいとは思えない。
源氏と平家は敵なのだ。
知っているなら、自分に聞くはずだ。
なのに・・・・・。

(・・・・・・・分からない)

知盛はひとり悶々とする将臣を肴に、ごろりと横になりつつ、酒を愉しむ。
・・・・望美は来るだろうか?
来るならどんな顔をしてくる?
知盛はとても楽しみだった。









望美は悶々としていた。
将臣らの宿の前で、行ったり来たりを繰り返している。
理由はただひとつ。
昨日の知盛の条件だった。

知盛は言った。
戦をやめてやってもいい。
ただし、お前が俺を飽きさせないなら―――

望美は頭を抱え込んだ。
飽きさせないって何?
どうすれば飽きないっていうの?

望美の知る知盛は退廃的で、「戦でしか生きていることを実感できない」男だ。
舞を舞うのも、一興にすぎないのだろう。
それでもあの時、知盛と近かった、そんな感じが望美には残っている。
それだろうか?
あと剣の相手?もちろん、稽古だけれど。
それくらいだろうか?
でもそれは、いつまで・・・・?
そもそも稽古で、あの男が満足するだろうか。

「・・・・・・・・はあ」

望美は諦めてため息をついた。
分からないなら聞くしかない。
突き詰めて考えて分からなければ聞く。
そうしたら知盛が答えてくれると、もう望美は知っている。
望美は握りこぶしで宿に入った。
一人の男が将臣に法皇の所在を教えるために駆け込んだのと、それは同時だった。







「よう、神子殿・・・・聞いていたか・・・?」
「おはよ、知盛。・・・・うん、聞いていたよ」
「これで怪異解決、か?」
「・・・・・・まだわからないよ」

―――水を頭からかけられた。そんな気分だった。
意気込んだ望美の傍を駆け抜けた男は、法皇の所在を将臣に伝えていた。
法皇の傍の女房が怨霊の正体であることはもう伝えてある。
将臣がツテがある、そう言って調べてくれていた。
その報告なのだろう。
それは、夢の終わり。
この一時の共闘の、終焉を知らせるようなものだった。





「行くのか・・・・・?」

一気に表情をなくした望美に、いつものまま、知盛は問いかける。
ここで頷けば終焉が始まる―――

望美は瞑目した。

「―――行くよ」

凛とした瞳。
知盛は嬉しそうに、微笑んだ。
やるべきことを見誤らない。
感情に流されるようでいて、そうではない。
その手応えが、気に入っているのだ。
将臣は少し不安そうに望美を見ている。
望美はぎゅっと拳を握り締めた。






思った以上に呆気なく、決着はついた。
知盛が堂々と法皇に近づき、剣を一閃。
女房が正体を現し、駆けつけた望美と将臣が知盛に加わって、掃討。
共に編み出した技は怨霊に大きなダメージを与え―――・・・・

「可愛がっていた女が怨霊で、浄化されても平然としてやがる」

遠く離れた法皇の背中に、将臣が吐き捨てる。
同じように後味の悪さを感じていた望美も少し頷いた。
知盛だけが平然としている。

「そういう人間ばかりだぜ・・・・内裏は・・・・」

望美が見てみたいと言ったそれを、知盛は覚えていたのだろうか。
望美がじっと見上げていると、視線に気付いて、知盛はにやりと笑った。

「これで、終わりだな・・・・」
「・・・・・気付いてたの」
「お前の顔が、曇っていた・・・」
「・・・・・・・・」

望美は無言で将臣の腕を引っ張る。
連れて行った先の川は、目を疑うばかりの清流だった。
ついさっきまで、誰一人渡れぬ濁流の熊野川。
今はもう、澄み渡った穏やかな流れだ。
将臣は思わず望美を振り返る。
望美はじっと、川の先を見つめていた。

ここを越えれば熊野大社。
そして・・・・・

「知盛」
「ん・・・・?」

ついてくると知っていたように唐突に、望美は振り返った。
当然のように知盛は応えた。
そのやりとりに、将臣の胸が焦がされる。

「さっきの戦闘は、飽きなかった?」
「・・・・ああ」
「熊野の行程も?」
「まあな・・・・」
「じゃあ・・・・・・・」

望美はちょっと息をつめた。

「これから先は?」

知盛は少し黙った。
望美の困惑を楽しむ前に、遊びの時間は終わってしまった。
還内府はこのまま熊野大社に進み、それはこの女の一行も同じはず。
行く先は同じでも、もう同行はできない。
だからこその、問い―――

「・・・・・・・一緒に来るか?」

出てきた言葉は知盛自身にも意外なもの。
ただの女のように責任よりも感情を優先させることのない望美が気に入っているのに。
これでは、「責任」を放り出せと誘っているようなものだ。
離れるなと、乞い願うようなものだ。
一瞬馬鹿馬鹿しくなる。
しかし望美は、一瞬の躊躇いを挟んで、首を振った。

知盛の期待したように。
―――知盛の願いを振り捨てて。

「行けないよ・・・・・・」

泣きそうな瞳に吸い込まれそうになる。
しかし、知盛にも、背負ったものは投げ出せない。
投げ出すこともさせたくなかった。

「では、仕方ない・・・・だろう・・・?」
「・・・・・・うん」

望美は名残惜しそうに、だがしっかりと手を振った。
約束は反故になったのか?
どこか将臣はほっとする。
望美と誰かの間に入れないと思うときが来るなんて、思ったこともなかった。
これで終わるか。
しかし。

「――――望美、まだ俺は、飽きていないぜ・・・・・?」

将臣と望美が瞠目する。
さっさと歩き出した知盛の、それが最後のセリフ。


恋が止まらなくなる。
期待が加速して、どうしようもなくなる。
夜に見た、甘い夢がまた眼裏に甦っていく。


望美は精一杯で手を振った。

「また・・・またね!将臣君!知盛っ・・・・!」

知盛が少しだけ振り返り微笑んでくれた。
そんな気がした。