熊野大社の協力は得られなかった。
九郎は口惜しがったが、それは望美にとって想定内で、いつもなら食い下がったが、今はそれより気になることがあった。
将臣―――いや、あの男の動向である。






もう何度目かの決断を






分かっていたように、思う。


「何故ですか、政子様ッ!」
「・・・・・信頼という貴重な手札と引き換えにするほどの策とは思えませんね。これでは本当に和議が結びたい時、結べなくなる」

九郎の檄、弁慶の痛烈な批判。
それらを真正面から受けても、鎌倉殿の名代たる女性は可憐に笑う。
何を言っても、誰が相手でも揺らがない。
彼女の真実は、ただ一つ。

「あらあら、すべては鎌倉殿のお決めになることですの」
「―――それが、間違っていても?」

硬い声音で望美が断じた。
ゆらり、政子が望美を振り返る。

「それが間違いでも、あなたは、正さないの!?」

それは明確に政子―――ひいては鎌倉殿への糾弾だった。
政子に浮かんだ怜悧な笑みに、弁慶がひゅっと息を詰める。

「・・・・・可愛いお嬢さん。では、貴女は平家の罪を、お許しになるの?」

今度は望美が息を詰めた。
ただし、政子が並べてゆく平家の罪についてではない。


火に包まれた京邸―――喪われた仲間、命。
おいてきた、モノ。


「・・・・・・・・・っ」

簡単に許せるはずもない。
罪なんてないと言えない。
あれは別の時空で、なんて、どうしても思えない。
芽生え、走り出した恋心の奥で、忘れないでと何かが叫んでいる。
無視できない。

「わたし、は・・・・・・っ」

息も出来ないほど追い詰められた望美を追い込んだのは、やはり政子だった。

「ほら、早く行きませんと。―――景時ひとりに戦わせては可哀相ではありませんの」
「兄上っ・・・?!」
「・・・・・あなたが命じられたのか!」

朔の悲痛な声、九郎の怒号が響いた。
政子は堪えもせず、ただ艶麗に笑う。
先程の可憐さよりも残酷を増した、美しい笑みで。

「命じられたのは鎌倉殿ですわ」

九郎が口惜しそうに歯噛みする。
弁慶がやむを得ないというように嘆息した。
望美に選択肢が与えられる余地は、なかった。













「来たか・・・・・・・源氏の神子」
「知盛・・・・・」

こうなることをあなたは、知っていたの?

多くの平家の武士は、戦装束ではなかった。
慌てて着付けた者もいるようだった。
源氏の策は、確かにいい手だったようだ。
しかし、この男に限っては違う。
違うのだ。

「知盛っ・・・・!」

合わせた剣。
飛び散る火花の奥。
ああ、熊野よりも愉しそうにあなたは笑う。
退屈していないと、言われなくてもわかってしまう。
私の敵としての価値は、貴方にとってそんなにも重いと言うの?

「美しいぞ、神子・・・・」
「そんな美しさいらないよ・・・!」
「クッ・・・・そうか・・・?」

知盛自身、驚いた。
熊野の共闘は確かに知盛にも愉快をもたらし、退屈を紛らわせたのに。
ここに敵として、涙目で本気の剣を構える望美ほどでなかったと思うことが。
この一瞬が、あの日々を凌駕する。
それをもってさえ、愛しいと感じる自分に驚いた。

冗談だった。
気まぐれだった。
なのに。
今本気で、お前が欲しい。

「・・・・・・・・隙あり!」
「・・・っ、・・・・・やるな」

知盛の隙を容赦なく望美はついた。
そこで剣を振るわないから、お前は甘い。
しかしその甘さをも愛し始めている自分の酔狂に知盛は笑いたくなる。
瞬時に束縛付与をかけ、唇を攫った。

「・・・・!何するのっ・・・・」

そして無言で去る。
平家の兵があらかた退いた事を、知盛は目の端にとらえていた。

「待てっ・・・・」

九郎が追捕の命を出すも今一歩遅く。
望美の束縛をヒノエがたくみに解いた時、知盛はおろか平家の生きた武者は一人もいなかった。
あとは怨霊の掃討に徹するしかない。

「あざやかですね、平知盛・・・・」
「くっ、ここまでか・・・・・!」


望美は意識を切り替えて怨霊に真向かった。
掠めた唇、心の奥が、痛かった。












あの口づけの意味は何?
それでもあなたは変わらなくて、私はあなたを殺すのでしょうか?