知盛と偶然出会い、将臣君と3人で熊野を歩いた日から、望美は宿をそっと抜け出して2人の宿に行くのが日課となっていた。
将臣君も――還内府も熊野に用事があるから。
それを私が知らないと、将臣君は思っている。
それを私が知っていると、知盛は知っている。
どうして知盛は言わないんだろう。
どうして私は知盛を斬らないんだろう。
疑問だけがまわる中、それでも2人の傍に、いたかった。
時が止まる錯覚
「ほら、望美」
「わあい♪」
将臣が取り出したお菓子に望美が嬉しそうにかじりつく。
お菓子を将臣が望美にしか渡さないところを見ると、知盛は興味がないのかもしれない。
美味しいのに、と、望美は思う。
「どこで買ってきたの?」
「あっちの出店。行くか?」
「うんっ、知盛は?」
「・・・・・・・俺はいい」
宿の縁側より少し奥の柱にもたれかかって、知盛はけだるそうに返事をする。
望美は少し考え込んだが、もう一度言った。
「行こう?」
「・・・・・・・・・・・」
将臣は知盛の出方を見ていたが、知盛がため息ひとつで身を起こしたのに少し驚く。
「へえ・・・・・お前凄いな」
「何が?」
「知盛が動いた」
「気が向いたんだよ。ね?」
「・・・・・・・・まあ、そんなところだ」
本当は面倒がって動かなければ、望美が腕を引っぱって行きそうな勢いだったから、だが。
確かに気が向かなければ動かない。
望美は嬉しそうに笑った。
こんな顔を見るのは悪くない、と思う。
我ながら甘いとも思いつつ。
そう思ってしまうのだから、仕方ない。
「じゃあ、行こうぜ」
3人が歩くと、将臣と望美が並び、少し遅れて知盛が歩く形になる。
知盛は望美が自分に背後を取られていても平気そうなのに、最初少し落胆した。
所詮女か、と。
しかしそれも知盛には珍しいこと。
落胆とは期待から生まれるものだ。
望美に落胆したとは、返せば望美に期待したということ。
かつ、期待は裏切られなかった。
あるとき、知盛の肩に無頼漢がぶつかり文句を言った際、瞬時揺らめいた知盛の殺気に、望美は確かに反応した。
将臣との雑談を不意に打ち切り、怜悧な目で一瞬振り返った。
その瞳の美しさに、知盛も男も呑まれた。
そして現れたのは清冽な笑顔。
それもまた不意をつき、男に丁寧に望美は謝って、知盛の腕を引いてしまった。
(クッ・・・・・・・)
身動きはおろか心の機微まで封じた、あざやかな――刹那の殺気と反転した清冽な笑み。
身も心も囚われる、囚われかねない魅力がそこにあった。
☆
「あれえ?」
「どうした望美?」
「うん・・・・・ねえ、大丈夫?」
望美がお菓子を食べつつ駆け寄ったのは、一人の白拍子。
どこか青い顔をした女は、少し震えているようだった。
知盛は遠くに祭事の気配を察し、おそらく女が気後れたのだと理解する。
(無様な・・・・・・)
知盛はこうした無様を嫌う。
だが、望美は気付きもしないで、懸命に白拍子を介抱している。
やがて、案の定、舞を押し付けられてしまった。
「・・・・・・・・・元気そうだけどな・・・」
さすがに気付いたのか、呆れた瞳で望美が苦笑する。
将臣の「舞えるのか?」には、躊躇うことなく頷いているが。
「ちょっと行ってくるね!」
乗りかかった船というところか。
望美は駆け出してしまった。
どうせなら見物しよう、ということで、残された将臣と知盛も後を追う。
ただしゆっくりと。
不意に将臣が切り出した。
「・・・・・・・・随分望美を気に入っているな?」
「いけないか・・・・・?」
思わぬ即答に、将臣は一瞬歩みを止めた。
すぐに歩き出したものの、その動揺は確かだった。
「・・・・・・いけないだろ。戦況を考えろ」
「クッ・・・・考えるのは戦況か・・・・?」
知盛の流し目に込められた問いを、将臣は正確に理解している。
―――3年前なら、連れて帰った。
必死に探した大切な幼馴染。
だけど、今は・・・・連れてなんて行けない。
死出の旅路に近いのだ。
「―――戦況だ。あいつを安全なところから連れ出すな」
「安全・・・・・・ね」
望美のいるのも戦場だ。
源氏軍、それも先鋒。
決して安全ではない。
「今はいいのか・・・・・?」
「・・・・・・・・・」
確かに、今連れ歩くのは、単に望美への未練だ。
言われなくてもわかっている。
けれど、嬉しそうに寄ってくる望美を、将臣はどうしても突き放してやれない。
その度に葛藤しても、今日だけは、今だけは、と、つい思ってしまう。
「・・・・・・今は、傍にいる間は守る。けど、・・・・・この先は駄目だ」
「ほう・・・・・・」
甘いことだ。
低く哂う知盛を怪訝に将臣は見遣る。
・・・・・・甘いことだ。
お前も、そしておそらく、俺も。
―――そして誰よりも、きっと望美が。
甘い。
「見ろ、有川・・・・・・・・あれは『守らねばならん』女、か?」
揶揄に顔をあげた将臣の視線の先、舞台で華麗に舞う望美は信じられないほどに優美だった。
美しさは強さなくしてはありえない。
凛として気高く、恐ろしいほど美しく、望美は舞いきった。
「・・・・・・・・・」
将臣は衝撃のような感動をやり過ごす。
総毛立つようなそれは、望美が見せた自分たちへの笑顔で暖められた。
ほっとして、将臣も笑顔を返す。
それを見て、知盛は再び低く哂った。
そして、ヒラリ、舞殿にあがる。
望美に、彼女に求められた柳花苑を教えるために。
望美は嬉しそうに受け入れ、たった一度、知盛は舞ってみせた。
それはそれで、民衆のため息を誘うほどの舞姿だったが。
―――二人舞はそれを軽く超えた。
(すごい・・・・・・知盛がどう動くのか、分かる)
(重ねやすい。・・・・・・・どうして?)
知盛は敵なのに。
倒さなきゃいけない、敵なのに。
望美は永遠にも似た刹那に酔った。
それは不覚にも、知盛も。
(ここまで酔わせるか・・・・・舞でさえ)
そして、階下の将臣は生まれて初めて、敗北に似た感情と戦わなくてはならなかった。
これまで、望美の隣に自分以上の「重なる空気」のようなものを感じたことはない。
望美が誰といても余裕だった。
余裕でいられた。
だから、八葉の中に、あれほど明確に望美を想う男たちの中にも置いておけたのかもしれない。
けれど。
舞台の上の知盛と望美は、これ以上ないほどに、「重なって」いた。
「・・・・・・・・マジかよ・・・・・」
洩れた呟きは、誰の耳にも届かなかったろう。だけど。
「・・・・・・・くそ」
胸に染む敗北感は苦く残った。
この先も、知盛に言ったようにたやすく望美を離せるだろうか?
将臣は初めて、自信がなくなっていた。
否応もなく自覚させられた、無自覚に育っていた、隠された想いと共に。
