壇ノ浦。
 ここは平家との最終決戦の場。
 もう何度目かのその海の上に立ち、望美は遠く、平氏の旗を見つめる。
 いるのだろうか、彼も・・・・・?
 思いながら、当たり前なことに気付いて、笑う。
 いるだろう。
 一人、御座船を守って、死ぬために。
 囮となるために。
 このときの望美は、それが囮で目当ての物が御座船にはないのだということを知っていた。
 それでもそれを、九郎に進言しようとはしなかった。
 何故だろう。
 ―――思えばそれが、恋の始まり。




戻り道なき恋心




 源氏軍は快勝していた。特に、先方の九郎義経軍は。
 潮の流れはヒノエが読み、白龍の神子が襲いくる怨霊を次々に封じ、御座船に一気に迫ろうとしていた。
 八葉はそれぞれが一騎当千と思われるほど強い。
 そのうえ神子までもが剣豪で、その名を恐れるものは逃げ出し、あるいは剣の露に消えた。

「もうすぐ御座船だね・・・・・」
「ああ!」
 
 勝利を確信し、意気揚々とする九郎の隣、望美の表情は、暗い。
 きっと私はまた、あの男を、殺す。
 その事実が望美の胸にいつしか重く圧し掛かっていた。
 別に構わないはずだ。
 相手は敵将。
 しかもここではない時空でだが、京邸に火を放った張本人。
 幾度殺しても足りない。そんな憎しみの中、最初は殺せたはずなのに。

「・・・・・・・・・・・知盛」
 
 そっと零した呟きを拾う者はいない。
 望美自身もまた、その呟きの意味を知らない。




「来たか・・・・・・源氏の神子」

 御座船にはそう多くの兵がいなかった。
 蹴散らして辿りついた船頭、そこに佇む圧倒的な存在感。
 平家方誇る最強の将、平知盛である。

「私は源九郎義経!平知盛殿とお見受けする・・・・・帝と三種の神器はいずこかッ」

 九郎の勇ましい名乗りにもかかわらず、知盛は望美だけを見つめていた。
 生田で重ねた刃。
 凄まじい殺気と美しさ。
 また逢える、それだけのために知盛は囮を快諾したのだから。

「俺が答えると、思うか・・・・?」

 ゆったりとした動きと口調。
 なのに隙がない。
 気圧される闘気。

「探したければ、俺を殺してからに、するんだな・・・・・・」
「――――退く気はないの?」

 望美が硬い声で切り出した。
 普段とは違う、水晶のように硬質で透明な声音。
 純度の強い瞳。

「望美・・・・・?」
 
 普段の姿を知る面々は戸惑う。
 しかし、知盛にとってはこれが望美。これが源氏の神子。
 最愛の、敵。

「退くと思うか・・・・・俺が?」

 お前を前にして?
 クッと哂う姿さえ凄艶に、知盛は戦いを誘う。
 望美は無言で剣を抜いた。
 知盛が心底嬉しげに宣告する。

「さあ、神子殿・・・・・宴を始めようぜ・・・・?」

 ――――それが戦闘開始の、合図だった。




 戦いは何合かの打ち合いで終わった。
 神子の勝利。
 
「強い・・・・・な」
 
 知盛の体を貫いた望美の方が、肩で息をしている。
 何度やっても勝つのに、何度やっても勝てたという実感が薄い。
 本当はきっと知盛のほうが強いのだ。
 その証拠に、傷口から夥しい血を流しながら、知盛は平然と立っていた。
 望美は疲労で、立つ事もままならない。
 剣で体を支え、目の前の知盛の血で濡れた剣を見つめ、肩で息をしている。
 いつもこう。
 そしてあの人は言うのだ。
 平家は終わる。宴も終わり・・・・・と。

「待ってっ・・・・・・」

 荒い息の中叫んでも、もう知盛は望美さえ見ていない。

「いい天気だ・・・・・・」

 こんな天気の中、死ぬのも悪くない。

 そう言って、海へ身を躍らせるのを、誰も彼も魅入って動けないのだ。
 いつも。
 知っている望美さえ、身動きも出来ない。

「いっ・・・・・いやああああっ!知盛!知盛ーっ!」
「・・・・・引き揚げろ!」
「駄目です、見えませんっ!」

 望美の絶叫が時間を動かし、海を探るも知盛はもう海の底だ。
 いつも望美は動けない。
 いつも望美は間に合わない。
 必ず望美は知盛を殺す。

「・・・・・・・望美」

 半狂乱で叫んだ望美を朔が支えた。
 涙の訳を問うような視線にも答えられない。
 答えられるわけがない。
 望美自身にも、何故かなんて分からないのだ。
 
「私は何度、あの人を殺せばいいの・・・・・・・・」

 彷徨い続ける螺旋の時空。
 望美の嘆きに対する答えはまだ、見つからない。