「・・・・・・・・・どうしてお前がここにいる」
直衣を片袖外した男は、自室で主よりも悠々と寛ぐ少女をねめつけた。
少女はかりんとうを頬張って、何でもないように、笑う。
「あ、お帰り知盛〜」
「・・・・・・・・」
質問に答える気もない態度に、知盛のこめかみは僅かに波打った。
だが、それだけ。
和議の前日、あれだけ適当にあしらったのに、この女は懲りるということを知らないようだ。
(似た者ということか・・・・・・)
知盛は還内府として走り回る男を思う。
すると不思議に、それなら仕方ないと思えてしまった。
知盛は適当に腰を下ろす。
望美はぽり、とかりんとうを食んだ。
陽炎
和議から、もう数ヶ月が過ぎている。
春が過ぎ、夏がゆく。
望美はまだ京に留まっていた。
・・・・・・・少し、遠い現代を思う。
その思考に被さるように、知盛が聞いた。
「還らぬのか・・・・・・?」
珍しいそれに、望美は顔を上げる。
結構考え込んでいたようだ。日がもう暮れかけている。
黄昏――――郷愁を、誘われないと言えば嘘になる。
「だって、将臣君がまだ還れないって言うし」
「クッ・・・・・・仲のいいことで」
「それだけじゃ・・・・ないけどさ」
知盛の揶揄に、また視線を床に戻した望美が呟いた。
明るく元気な少女らしからぬ闇の気配に、ふと知盛は興味を惹かれる。
だが、そんな泡沫の気配は、すぐにも打ち消された。
「・・・・・・・・ねえ知盛、誕生日って知ってる?」
不意をつくような質問に、知盛は少し顔を歪ませた。
誕生日?
「こっちでは1月に一斉に年をとるんだよね。向こうでは、生まれた日に年をとるんだよ」
「・・・・・それが、どうか?」
ふふっと笑って、望美は答えなかった。
その不思議に明るく、そこの見えない微笑。
水面に浮かぶ月のような。
「知盛はきっと秋生まれだろうなって、それだけ」
言うだけ言って、するりと猫のように望美は知盛の傍を通り過ぎた。
引き止める謂れもないので、知盛はそれをそのまま見送った。
言葉の意味を、知りたいと言えなかった。
☆
「・・・・・・・・・・」
呆れて物も言えないとはこのことかもしれない。
何日か顔を見せないと思ったら、昼間なのに件の少女は知盛の室にいた。
しかも、寝ている。
まぎれもなく、敵だった筈だ。
あのまま和議が壊れていれば、おそらく生田あたりでこの女と自分は刃を交わしたはず。
こんな風に、呑気にいられるような間柄では決してないはずだった。
伝え聞いた三草山の激甚の刃、怒涛の猛攻。
その場にいればと聞くだけで興奮した、のに。
少女は戦を終わらせた。
少女は和議をなさしめた。
それこそ、誰一人欠けても不可能なはずだった「全部」を動かして。
眠る、幼い頬の稜線。
薄く開いた、唇に誘われる。
その、赤さに。
「・・・・・・・・・・早いのね、今日は」
「起きていたのか」
「あなたの部屋で、眠れると思う?」
馬鹿馬鹿しそうに望美が笑う。
その、見かけや言動からかけ離れた笑顔。
「・・・・・・寝ていただろう」
「あなたが来たら、起きるよ」
薄く刷かれた笑み。
少し眠そうな顔。
――――同類を意識させる、横顔。
少女は、戦を終わらせた。
自分と違って。
平和を望んだはず―――なのに。
「知盛、ちょっとやらない?」
「何を・・・・?」
「剣。付き合ってよ」
言うと、返事も聞かずに庭に下りてしまう。
言いなりは気に入らないが、少女の剣に興味はあった。
そして――――
その成果は、あった。
「・・・・・・・強いな・・・・」
「ありがとう」
もう夕暮れ。
もう黄昏。
滴り落ちる汗も拭う暇なく、荒れる息も一定以上は荒れず。
まるで歴戦の将のよう。
将臣と同じ頃から「ここ」にいるとしても、それはありえない剣―――
「何者だ・・・・・お前は」
思わず聞いてしまった。
望美が、どこか悲しそうに笑う。
「ねえ、平和に飽きてる?」
「・・・・・・・少し、な」
「そう・・・・・」
戦を憂い、平和を叫んだはずの少女は、表情を一切揺らさずに、言った。
「私もよ」
知盛は僅かに驚き、そして納得した。
「還れないのはそれでか・・・・・・」
望美が少し苦笑した。
「あなたにはやっぱり分かるんだね・・・・」
「やっぱり・・・・?」
「だって、同類、だもの」
この女は獣を飼っている。
それを知っていて、それでも和議を望み。
それでも退屈している。
この「平穏」に――――
「・・・・・・俺といて、退屈、か?」
「・・・・・・・・一番マシ。だから来るんじゃない、ここへ」
クッ、と、口の中だけで知盛は嗤った。
退屈しのぎか。
この俺が。
平家の一の将が!
「還らず、ここにいるなら・・・・・・妻にでもなるか・・・・?」
悪くない、そう思うのは何故だろう。
それでもいい、そう思ってしまうのは何故だろう。
「何で私が」
「クッ・・・・・そう、言うなよ・・・・・」
飽きてはならないという自制がここに来るだけの意味。
ならばそれを、変えてやろう。
憂国の神子殿。
限りなく同類の、泡沫の存在――――
欲しいと思ったから、俺は、飽きない。
お前を飽きさせない。
