倶利伽羅峠で怨霊を増やすのを止めようと望美は言った。
リズヴァーンらが賛成したことで、九郎も頷く。
しかし、そこにいた思いもかけない人物に、九郎は唖然とすることになる。
まるであの日のまま
「将臣……?!何故そいつと一緒にいるッ!答えろ!」
将臣は、白龍の言った先、望美との打ち合わせ通りにそこにいた。
約束通り、知盛も連れて。
だが、九郎は鋭い一喝を浴びせた。
覚悟の上とはいえ、望美も一瞬竦む。
だが、竦んでばかりはいられない。
「やっぱりばれちゃうか…ごめん、九郎さん。知盛を呼んだのは私なの」
「望美!?」
あえて軽い口調で、望美は言った。
九郎が絶句する。
「……どういうことだ。相手が誰だか分かっているのか!」
「分かってるよ。……平家猛将、平知盛。源氏の敵方の男」
「…そしてお前の男だ」
「知盛っ、余計なことは言わないで!」
「……フン」
知盛の付け足しに八葉たちの気が尖った。
望美の男……?
多かれ少なかれ、八葉は望美に好意を抱いている。
それが恋であれなかれ。
そこに知盛の発言は、気に入らない発言だった。
「ち、違うからね!ちょ、誤解しないでよ!」
「ほう、誤解…あれほど睦んだ仲だというのにか…?」
「むつ…?……な!違うってば!!」
言葉の意味が分からない様子の望美に朔が耳打ちした。
一気に赤くなった望美がむきになって否定する。
知盛はただ酷薄に笑った。
「……で、どうして知盛殿と将臣君が一緒に?」
冷静に水を差したのは弁慶だった。
状況把握が彼にとって現在何よりの優先事項だ。
将臣は一瞬躊躇った。
平氏に与するまでは言うと決めていたが、さて。
弁慶の目を見て、降参することに決めた。―――既につかまれていたとみていい。
「俺が還内府だからさ」
「なっ……将臣は望美たちと流されてきたのではないのか!?」
「いいや、そうだぜ。…流されて離れて、平家で3年近くこいつらと一緒にいて、そうするうち、俺がそう呼ばれ出した、ってだけだ」
懐かしむような声色。
巡る季節を思い返しているのか、隔たったときを思い出したのか。
それは分からないが、一瞬で将臣はそれを振り切った。
「ともあれ、俺が還内府だ―――九郎義経」
将臣はいっそ好戦的なほどの口調で、九郎を見つめた。
そこに共に歩いた京の春の、軽やかさはない。
慌てたのは望美だった。
「ま、将臣君!喧嘩しに来たんじゃないでしょうっ!」
「――――って、ことだ」
望美が慌てて将臣を抑えにかかり、そこを将臣が軽くとらえて望美を反転させて抱く。
軽く片目をつむられたとて、源氏方の一行は唖然とする以上の返しようがない。
―――と、それまで退屈そうにしていた知盛が、将臣の腕から望美を引き剥がした。
望美と将臣は、デジャヴに思わず笑う。
「な、仲いいみたいだね…」
「ま、熊野で一緒に怨霊退治していたしね」
「えっ、ホント!?」
「ああ、ホント。な、望美」
景時がどう言ったものか、という顔で呟くのにヒノエが返した。
水を向けられた望美は躊躇いがちに頷く。
「…黙っててごめんなさい…」
九郎は次々明かされる事実に、目眩がしそうだった。
頭も痛い。
「…それで?喧嘩しに来たんじゃない、そう、望美さんは言いましたね?」
弁慶が静かに尋ねた。
「平家の御大将が二人。……では何をしに来たんです?」
弁慶の目はただ静かで、そこにはどんな色も読み取れない。
望美はごくり、と喉を鳴らした。
「―――この倶利伽羅の策謀を、一緒に止めてもらうの」
「何だと!」
「九郎、黙って!――――それで?」
一層静けさと、呑みこむような闇を増した人に呑まれぬよう、望美は無意識に知盛の手を握った。
知盛はその汗ばんだ手をそっと握り返す。
「――――もう一度、和議を」
「馬鹿な―――!」
「九郎!……一晩時間をもらえますね、望美さん?僕らも、時間がいります」
再び九郎を制した弁慶が固い声で問うのに望美は頷いた。
そして横を過ぎ去る際、望美にだけ、こう落とした。
「あなたがそこまでするとは、思いませんでしたよ―――ありがとう」
弁慶のその微笑みの意図は望美には分からなかったけれど―――
弁慶にもこれは、好機なのだ。
☆
「よう…」
「また、来るって思ってた…?」
「まあな……」
知盛らに与えられた部屋の縁側で、知盛はひとり、酒を飲んでいた。
月に照らされた顔はやはり美しく、望美はそっと息を呑む。
男に美しい、なんて、と思いつつ、やはりこの男に似合う形容詞は美しいなのだった。
黙ったままは何なので、望美は適当に言葉を探す。
「将臣君は?」
「……」
知盛は無言で後ろを指した。
望美が覗けば、部屋の奥の少し離れたところで向こうを向いて将臣が横になっている。
「寝てる…んだ。疲れたのかな」
「強行軍ではあったな…」
福原に戻ってみれば、惟盛がいない。
嫌な予感がして探せば、倶利伽羅に行ったという。
望美が倶利伽羅へ、と言った妙な符合が将臣を焦らせた。
これ以上、平家の弱味をつくるわけにはいかない。
結果、知盛をせかしての強行軍となったのである。
「そっか…知盛は疲れてないの?」
「言うほどは、な…」
お前の相手くらいはできる。
にやり、と艶をこめて囁いた言葉に、望美は破顔した。
「ホント?!やった、話したかったんだ!」
「……。お話、ね…」
眩しいほどの笑顔に毒気を抜かれて知盛は薄く笑う。
「何の話が…?」
「んー、知盛って、どうして強くなったの、とか?」
「クッ…武門の出で、弱くては話にならぬ…」
「あ、そっか…。それじゃ舞は?」
「これでも殿上の身なのでな…」
「言ってたね。和議がなったら、知盛も中納言、だっけ、戻るの?」
「…さあな」
望美の質問に答えてやっていた知盛は唐突に望美を見つめた。
「和議がなったら、お前はどうするのだ……?」
「わ、たし…?」
ここで初めて、望美は思案気に黙った。
二人の間に初めて静寂が落ちる。
「私、は……」
―――知盛を見つめる。
思いもかけず、走り出した恋。
あなたの死による終わりを約束したような恋。
夢中でここまで来て、あなたが生きる運命が欲しくて、その時自分がどうするかは、そういえば考えていなかった。
「俺を退屈させたら…俺は戦をするぜ…?」
「そ、そんな、駄目だよ!」
「・・・じゃあ…決まりだろう、戦嫌いの、神子殿…?」
妖艶に哂う知盛に、望美はくぎ付けになる。
「約束通り、お前が俺の傍で、俺を退屈させるなよ…」
甘い睦言にさえ思えるそれは、酷薄な知盛の瞳が裏切っていた。
望美はその目の冷たさが怖くて頷くのは躊躇われた。
でも結局頷くしかなくて、ゆっくりと迫る、冷たい知盛の唇を受け入れた。
――――戦嫌いの、神子殿…
強調された気がした。
これは遊びだと、余興なのだと。
望美は抜き身の刀に触れた気がした。
「望美さん」
「あ、はいっ!」
「ふふ、おはようございます。―――平家の方々を、呼んでいただけますか」
翌朝、急に冷やされた頭でよく眠れずにいた望美の背後から、優しい声がかけられた。
望美はきゅっと身の締まる思いがする。
「結論が、出たんですね」
「ええ」
弁慶は微笑んだ。
「君たちの協力次第ですが…和議は願ってもないことです。―――共同戦線を張れると思いますよ」
「あ…ありがとう、弁慶さん!」
「ふふ、これから詰めの相談をしましょう。さ、呼んできてください」
「はい!」
会談の場には、全員が集められた。
その場で九郎が宣言する。
「協力して和議を―――執り行う!」
望美はきゅっと胸の前で手を握りしめた。
