最初は最愛の敵だった。
その強さに、闇に、ひどく惹かれた。
最初は退屈しのぎだった。
くるくる変わる色に、退屈を覚えずに。
それでも剣を持つお前はそれ以上に俺を惹いて。
それなのに。
最初は敵、だんだん走り出した恋は、終わりの間際で色を変える。
抜き身の刀に似た、冷えた銀色。
その冷たさに、望美はそっと息を詰めた。
自分がなんなのか、思い出してしまった。
この場所より永遠に
九郎は言った。
「和議を―――執り行う!」
それが難しいことは、誰もが承知していた。
先だっての裏切りは誰の目にも生々しいほど新しい。
だが、ここで踏み止まらなければ、もう後がない。
「まずは惟盛を締めるか」
「将、将臣殿・・・・」
「なんか生き生きしてない・・・・・・?」
てぐすねを引いたような将臣に、望美と敦盛が苦笑。
「・・・・・・・何だか将臣君の苦労が偲ばれますね」
「上に立つとは、そういうことだ」
しみじみと弁慶が呟き、重々しくリズヴァーンが頷いた。
その弁慶は旅装束だ。ヒノエも、九郎も、景時も欠ける。
昨夜、呼ばれた先の作戦のあと、望美は景時に要請されて逆鱗を渡した。
『・・・・・・・ありがとう、望美ちゃん。信じてくれて、それが一番嬉しい』
『いつから・・・・・気づいてたんですか?』
望美に景時は悲しそうな微笑をこぼした。
望美はぐっと息を詰めた。
『・・・・・・必ず帰ってきて・・・・・』
景時はその夜のうちに陣を離れた。
彼が向かうのは鎌倉。
そして望美と知盛が向かうのは、京の西。
―――――福原。
「・・・・・・知盛殿、その女人は――――」
出迎えた忠度が思わず、という風に腰の刀に手を当てた。
短い衣の戦装束の少女はそうはいない。
知盛はクッと微笑んだ。
「捕虜なのか」
「いや・・・・・?」
「であれば何故連れ来たッ!このようなことが兄上の耳にでも入れば――――」
激昂する忠度の背後、望美はもう見つけている。
緩やかな足取り。
怒りを込めてこちらを睨む少年。
「もう遅いと思うが・・・・・・」
知盛の視線の先を振り返り、忠度は絶句した。
兄上―――
甦ったその後、兵らに非道を重ね、執拗に栄耀への復帰を求めた清盛だったが、一族への穏和な態度は変わらない。
一族内で争うな。
重盛を立てよと繰り返し、彼自身、重盛―――還内府の求める策に幾度となく頷き続けた。
その姿はそこから程遠い。
憤怒。
憎悪。
荒ぶる思考。
「源氏の神子――――」
「清盛・・・・・」
「何用で参ったッ、この女狐め・・・・!わが息子を、重盛を誑かしおって・・・・・!!」
彼の息子が呈した和議を踏みにじられた記憶は彼でも覚えていた。
荒々しい憎念が望美に真向かった。望美は咄嗟に身構える。
―――間に合わない!
「・・・・・・・・知盛・・・・・・」
穢れを身に受けたのは庇った知盛だった。
ぐっと膝をつきかけた身体を、望美が支え、浄化する。
一瞬で襲った虚脱感に青い顔をしつつも、知盛は望美に薄く笑んだ。
「女を抱くより気持ち良いな・・・・・・」
「――――ば、馬鹿っ!」
顔を真っ赤にして怒った望美から知盛が立ち上がる。
息子を手にかけてしまった衝撃で清盛が呆然としている間に、騒ぎを聞きつけた経正と時子が走ってきていた。
経正は見覚えのある少女に絶句する。
「あなたは・・・・・・・・・!」
「お話があって、来たんです。捕らえるのはそれからで」
望美はまっすぐに清盛から目を離さず、頭を下げた。
望美は昇っていく月を感じていた。
十六夜。
少し欠けた、月。
今は中空くらいかな?
そう思うことで、望美は時間の経過をはかり、闇の中で落ち着こうとしている。
望美は用意された塗籠に閉じ込められていた。
予期してきたし、自分から言い出したようなものだからまあ仕方ない。
すべてを話しても、どう動くかを決めるのは自分ではないし――逆鱗もない。
(そういえば景時さん、あれで何をするんだろ・・・・・)
時空跳躍までは話していない望美である。
それとも陰陽術にはそんなことも伝わっているのだろうか。
・・・・・・・静かだった。
音もなく、気配もない。
それは留まる力、黒龍の逆鱗の力の証左。
ここでは誰もが、進まずにいても「構わない」のだ。
それでも進もうとした将臣は、よほど「陽」も存在だったのだろうか。
―――そんなことを望美は知りもしないが、同じく「陽」の存在である望美もまた、この静けさに沈みきりはしない。
ここでいいと思えない。
あるいは思えたら、知盛のことを受け入れられたのだ。
「・・・・・・・・・何か用?」
「決まったのか、とは聞かないんだな・・・・・・」
いつのまにか部屋にいた男は、クッと短く哂った。
心地いい、低い声。
望美は同じくらいの短さで哂った。
「それなら経正さんとか、来るでしょ」
「・・・・・・・そうだな」
知盛も頷く。確かに、そんなことで自分は動かない。
「なら何?話?」
「お前は話ばかり、したがるな・・・・・」
「だってあなたと話すことなんて、そうないんだもの」
望美は口を尖らせた。
「そうか・・・・?」
「そうだよ」
いつも望美の話を聞かない男。
いつも望美が殺す男。
走り出した恋の終わりを、感じさせる、男。
「・・・・・・・何してるの」
「見たら分かるだろう・・・・・・」
夜目の利かない望美でも見えるほど間近に迫った菫色。
端整な顔の、触れられるほど近く。
「・・・・・・・きまぐれ?」
「お前の浄化が・・・・・風の通る如く・・・・心地よかったからな・・・・・」
ククッと落とされた笑い声が耳にかかって望美を揺らした。
態度と裏腹に胸元に置かれた手は慎重で、望美は一瞬迷う。
この恋だけは、叶うのだろうか?
だが、望美は知盛を押し返すように、身を起こした。
それは、私情だ。
「―――――駄目」
「ほう・・・・・」
案の定、知盛は、怒りもせず、ただ静かな声を響かせた。
望美は少し悲しくなる。
(あなたの行動は、ただのきまぐれ)
(そして私は、『神子』なんだ)
(ここにいないはずの存在・・・・・まるで清盛と、同じ)
気まぐれでも抱かれてしまったら、離れられなくなるだろう。
ここにいたいと、縋りついてしまうかもしれない。
そうする可能性はきっとあった。
それは、今も。
(――――あなたが欲しい)
「・・・・・・戦が終わったら、この争いをおさめたら、私の役目は終わるわ」
「そうだな・・・・・・で?」
「役目が終わった神子は、私は、――――」
(あなたが)
「自分の世界に、還らなければならない」
(『生きて』欲しい・・・・・・・・・)
努めて冷静に言った望美は、目の前の男が恐ろしく静かなのに緊張した。
相槌ももう返らない。
何か言ってほしい。
さもなくば、攫って。
あなたが本当に求めてくれたら、何を捨てても迷わないのに――――
「・・・・・・・・・・・知盛?」
長い沈黙の後、望美はそっと問いかける。
しかしもう知盛はそこにはいなかった。
呆れられたのかもしれない。
もしくは飽きたか。
望美はふと、嗤った。
陰陽を崩してもここにいたかった清盛の思いが、今になって理解できたような気がした。
☆
「・・・・・・・・・本当に和議がなるなんて」
「ふふ、ね」
一冬を、望美は景時の邸で越えた。
その間いくつも会議が行われた。
源平、さらには朝廷、平泉をも巻き込んだ和平交渉。
領土の規約。
すべてが決まるには、それほどの時間が要された。
「でも、みんなが頷いてくれたから、絶対大丈夫だって思ってた」
望美の微笑みに朔が頷く。
――――平泉も巻き込みましょう。
弁慶がそう言い出したときには驚いたが、あの時点で鎌倉に対抗しうる勢力は確かにかの地だけだった。
そして、応龍の復活―――
・・・・・鎌倉で、何をしたのか、ついぞ景時は明かさなかった。
苦笑して逆鱗を返してくれた時、やっと勝てたよという相手は誰なのか、望美は知らない。
景時は今、鎌倉で侍所別当を務めている。
「・・・・・・・・ねえ、本当に明日還るの?」
「うん、将臣君も仕事が終わったって言ったし、・・・・・いい頃だと思うんだ」
その顔に焦燥はない。
すべてを終えた。
だから還るのだと、迷いのない声。
還らないという将臣に、「還る」ことを承諾させた望美の決意がなんなのか、幾度聞いても望美は応えずただ笑った。
だから朔は、何も言えない。
ただ、聞いた。
「・・・・・・・知盛殿の、ことは?」
何で知盛、と言われることも考えた。
倶利伽羅で連れ立った割に、その後は連絡さえ取った様子もなかったから。
だけど、望美は少し揺れた目をした。
その微笑の切なさに、今度こそ朔は何も問えなくなった。
あなたが生きて、生きてくれる。
それ以上を望んだら、嘘になってしまうでしょう?
だって、終わりは決まっていた恋だから。
翌朝。
多くの人が見送りに訪れた。
多忙のヒノエ、遠方の景時、・・・・・・・それでも知盛は訪れない。
分かっていたが、望美には寂しかった。
「ったく、アノヤロ」
将臣が毒つく。
望美はしょうがないよと少し笑った。
刻限になり、白龍の声が望美に響く。
―――――用意はいい?神子・・・・・・
望美が頷くと、白龍の力が将臣らを包んだ。
目を射る閃光が、神泉苑を覆う。
「のぞ・・・・・・望美!元気で・・・・・っ!」
叫ぶような朔の声に、望美が涙ぐんだ。
白龍の声が静かに響く。
―――――あなたの願いを、叶えるよ
雨が、降っていた。
戻った時、三人は言葉もなく立ち尽くした。
還ってきた――――
「・・・・・・・いつまでそうしているんだ?」
不意に響いた声に、望美と将臣は絶句した。
そこにいたのは見送りにも来なかった薄情者。
「と・・・・・知盛っ・・・・・・・?」
臙脂のスーツで、何故か手に出席簿を持って、かの男はそこに自然に佇んでいた。
譲がパクパクと口を開け、将臣は前日何故か優雅に微笑んでいた理由を解し、頭を抱えた。
そんなつもりだったとは。
「どうして・・・・・・・」
「お前の望み、だろう・・・・・?」
僅かに笑った知盛はそこから歩かない。
望美もまた動くことが出来ない。
その様子を見た将臣が、苦笑。
腹を括って、知盛のほうへ望美を押しやった。
「・・・・・・っ!」
「に、兄さん!」
「いーから、来い」
そのまま譲を引きずって行ってしまう。
望美は声を立てることも出来なかった。
――――知っている。このぬくもり。この、腕。
諦めたのに。
諦めて、還ったのに。
「・・・・・・・・俺を、欲しいだろう?」
「欲しいよ!馬鹿っ!!」
思わず八つ当たりめいて暴れた望美を難なく捕らえ、知盛は望美の涙を吸い、笑う。
「約束はまだ続いているぜ・・・・・?望美・・・・・・」
終わると思っていた恋だった。
始まらないはずの恋だった。
「俺を、退屈させるなよ・・・・・」
言葉と裏腹に優しく知盛が唇を降らせてきた。
それを望美はもう拒まない。
知盛が望んでくれるなら、拒む理由はもうなかった。
その名を呼んでくれるなら。
どこか遠くに白龍の微笑が木霊する。
望美はそっと、その身を抱き返した。
