結局、あの後、望美は現代に還ることを願った。
京・神泉苑で、応龍へ世界の平和を求める舞をおさめると、二人、手に手を取り合って異世界へと―――望美の世界へと旅立つ。
そのときは、まさかこんなことになるなんて、望美は思ってもみなかったのだ。
朧月 現代編
現代へ渡って数カ月。
望美が向こうへ流された時とは違って、十全に力が振るえる応龍は、同時に白龍の時の名残りか望美に過保護であって、知盛に対し、充分過ぎるほどの待遇を用意して現代に跳ばしてくれたものらしい。
それは、今日明日にも望美をいきなり養っていけるほどの。
とにかく揃っている。
衣・食・住。
それに加えて戸籍にパスポートや免許証など、暮らしていくのに困らないだけのエトセトラ。
たまに「いいのか」と思うようなものが混じっていたりするけれど、この男なら今日明日にも使いこなせるだろうと思えたから、望美は文句を言わないことにした。
「……まあ確かに向こうでは結婚した訳だし……」
多少騙された気がしなくもないが、三日夜の餅を食べ、向こうでは知盛と望美は、正式に世に認められた夫婦になった。
それに配慮してくれたのだろうが、こっちに戻れば望美はただの女子高生。
それも、来年には受験を控えたご多忙の身になる。
「………」
「だ、だから!しょうがないでしょっ……!」
どんな目で見られたって、いきなり一緒に暮らせようはずもない。
望美だって、本当は一緒にいたい。
ずっと、―――ずっとだ。
だがそれには、こっちではこっちなりの手順や順序というものがあるわけで。
「騙されたな……」
こっちに行けば、八葉どもがうようよする向こうと違い、望美を独り占めできる、という知盛の目論見は完全に外れた形になる。
まさか夜毎通えもしないとは。
「だ、騙した訳じゃないってば……!」
これ見よがしなため息に、望美は泣きそうになる。
(こんな男と戻ってくるんじゃなかったー!)
……つくづく、そう思った。
それでもやっぱり、どうしたって好きな相手なわけなので、望美は可能な限り、知盛のマンションに通った。
駅と望美の家の中継地点。
便利さと静かさの折衝点というべきところ。
そんな場所に知盛の家が定められたのも、やはり白龍の配慮だろうか。
それとも思慮深そうな黒龍の部分?
ただ白龍だったら、それこそ望美の家の向かい辺りに知盛の家を持ってきかねないとも思う。
「ただいまー」
高三の夏休み。
一応進学クラスに身を置く望美は、今日も補習に学校に行っていて、そこからやってきたのだが……。
「……遅かったな」
……知盛はいつも家にいる。
まったく、この男は何か仕事をちゃんとしているのだろうか。
望美はちょっと聞いてみたくなったりする。
そもそも外出しているのか。
「これでも急いだんだよ?」
「クッ……それはそれは……」
ここに来て、半年以上が経つ。
当初、望美はこの獣のような男が現代にそぐうのか、心底心配した訳であるが、その心配は向こうに残った還内府な幼馴染の言う通り、望美の杞憂だったと言っていい。
代わりに、……これも将臣の言った通り、別の心配を望美はするようになってきていた。
いや、心配というか、頭痛である。
「……飯は食べてきたか」
「ううん、まだだよ」
「待っていろ……」
一つは、これである。
望美が何回か振舞った料理で何かを諦めたのか、いつの間にか知盛は自分で料理を作るようになってしまった。
しかも、美味しい。
日に日にスキルアップしている気がする。
(まさか職業は料理研究家、とか……?)
そんな訳ないと思いつつ、じっと待っていると、望美の前には手早く料理が並べられていった。
「わあっ…」
「食べ過ぎるなよ……」
「うう、じゃあこんなに美味しく作らないでよ」
「クッ……悪いな……」
もはや望美の料理の腕などとは比べ物にならない。
とっても嬉しいが、乙女的にどうなのか、と思う望美である。
だからちょっとした頭痛の種。
でも、本当の頭痛の種はそこじゃない。
望美がモグモグ食べていると、玄関のチャイムが鳴った。
「宅急便でーす」
「…………っ」
望美は美味しく頂いていたサクサクのカツレツをごきゅ、と喉に詰まらせそうになった。
(こ、今度は何を頼んだのよーっ!)
暑い、だるい、眠い、寒い。
平家でも熊野でも、そう言ってなかなか動こうとしなかった男が、自分から玄関先に出向いている。
知盛は確実に現代に馴染んでいた。
どこで覚え始めたのか知らないが、今やネット通販まで使いこなしている。
しかも……頼むものが、悪い。
「……今度は何を頼んだのよ」
望美は何やら大きな箱を抱えてきた知盛を胡乱気に睨んだ。
こういうときは、警戒心を倍にしても困ったことにはならない……!
以前、ああいう箱のナニでエライ目に遭ったのだ。
だが、返ってきた答えは予想とは違った。
「お前の浴衣だが……?」
「へ?あ、ぁ……そう、その、ありがとう……」
そう言えば、前に出かけたとき、一緒に仕立てたような気がする。
―――たまにこういうこともあるので、やめてしまえと言いきれないのが辛い。
「じゃあ、いいの?一緒に行ってくれるの?」
望美は一気にご機嫌になって、顔を輝かせた。
夏の風物詩は花火大会。
いつもは幼馴染たちと出かけていたが、望美だって、恋人との花火大会に憧れない訳ではない。
といっても相手は知盛である。
ねだってはみたけれど、人混みの花火大会に本当に一緒に行ってもらえるかは半信半疑だった。
「行きたいんだろう……?」
「うん!」
元気良く返した望美は、その後、ちょっぴり後悔することになる。
知盛は悪魔の微笑みで、ニヤリ、と笑った。