あの頃、思ってもみなかったよな。
お前と俺が別の人を見て、歩き始めても、俺たちはいつもどおり。
それこそ「今年のクリスマスどうしよう」なんて。
それなのに。
・・・・・・・ああ、泣くなよ、望美。
どうしたって愛しい。
反射のように愛してる。
それでもこれは、譲れないんだ。
越えられない境界線
「将、臣・・・・・・くん?」
「・・・・・・・・やっぱりお前が・・・」
――――源氏の神子。
声にならないほど掠れた声で、将臣が呻いた。
望美が斬り込んだ天幕の中、どうして彼だけが目に鮮やか。
ともに時空の奔流に巻き込まれて、はぐれて、探して、巡りあって
・・・・・・・巡りあって?
「それならばお前は俺の―――敵だ!」
「将臣君っ・・・・・・」
切り結んだ剣から気迫が伝わる。哀しみが伝染する。
「いや!いやよ、どうしてっ・・・・・・!」
苛烈の刹那。
何度もぶつかり合うたび飛び散る火花。
それを割り込んだのは、せめてというべきか、当然というべきか、譲の一喝だった。
「先輩ッ・・・・・・兄さん?!」
将臣はそっと息をつく。
殺しそうだった。
殺してしまいそうだった。
ただ平家のためだけでなく、俺のために。
「悪ィな、譲・・・・・俺が、還内府なんだよ!」
これで剣をひける――。
将臣は望美を譲のほうへ突き飛ばすと、後ろは振り返らずに駆けた。
ここにいたくなかった。
いられるはずもなかった。
ただ・・・・・望美の視線だけは、ずっとあったけれど。
☆
「将臣が還内府だったなど・・・・!」
「・・・・将臣君も驚いているようでした。僕たちが源氏方と、彼も知らなかったのでしょう」
九郎を宥めながら、弁慶は瞑目する。
そうだろうか、本当に?
疑っているようだった。
自分だって、疑った。
ましてやここには「平敦盛」がいる。
彼を連れ帰らなかったことで杞憂かと、それは言わずにおいたのだが。
ちらり、望美を見遣る。
美しい顔は蒼褪め、その瞳は何かを映すのを拒むように硬く瞑られている。
・・・・少しだけ、・・・・・望んだこともあるのだけれど。
(無理そうですね・・・・・・)
諦めの吐息をついて、弁慶は微笑む。
「望美さん・・・・少しゆっくり歩いてきてはどうですか?」
答えるには間があった。
弁慶がもう一度促そうかと、唇を開いたとき、ゆらりと望美は立ち上がり、微笑んだ。
今までで一番美しい、笑みで。
「・・・・・・・・天女のように消え入りそうだね」
ヒノエが呟いた。
だけど、誰も後を追えずに。
望美が向かった先は、吉野だった。
☆
あの時焼かれてしまった村は、少し寂しげ。
それよりも胸をついたのは、将臣の後姿。
どうして・・・・?
将臣がゆっくりと振り返る。
「・・・・・・よう」
望美の瞳にまた涙が滲む。
面影を追えるだけで良かったのに。
懐かしんで、心の整理をつけて、それから。
それから?
先が分からない。分かりたくもない。
源氏の敵、還内府。
どうしてそれが、将臣君?
「一人になりたくてここに来たのに・・・・・」
よりにもよって、お前が来るか。
将臣が苦笑する。望美は立ち竦んだ。
相容れない壁を感じた。
望美には初めてのことだった。
「将臣君・・・・・・源氏に来ない?」
口をついて出たのは、己でも意外な言葉だった。
源氏。
白龍の神子と言いながら、己にもその自覚はあったのか。
・・・・・・当然かもしれない。
大事な人は皆、源氏方にいる。――― 一人を除いて。
将臣が源氏に来れば、望美は何も失わない。
「・・・・・無理だな。第一、頼朝が俺を赦すとは思えない」
「頼朝・・・・・・」
「そして俺は、平氏の敵になれない」
本音を言えば、望美達の敵にもなれない。
だから、こうして平家を出てきた。
だけど、望美の願いであっても、源氏の軍門で平家に仇なす気は毛頭なかった。
ゆかりのない自分を、迎えてくれた。
愛してくれた。
俺のもう一つの家族。
「・・・・・・・・だってこのままじゃ、敵同士だよ・・・・・?」
望美の顔が歪む。
可愛いというより、綺麗に思う。
昔、元の世界で笑っていた望美はただ可愛かったのに。
ちり、胸の奥が焼け焦がれた。
このまま。
逃げてしまおうか。
望美は今は一人。俺も一人。
このまま逃げて、しまおうか?
思考の中断は背後から。
「―――還内府殿」
「俺はやめたぜ?」
「・・・・・・・申し訳ござらん。我ら、どうしても、諦めきれません―――・・・・・」
切迫した声音に劣勢を悟り、捨てきれない己を悟る。
苦い痛みがこみ上げる。
望美、やっぱり俺達、結ばれないのかも。
「現代では『幼馴染』・・・・・他人のモノ。この世界ではロミジュリか。いつまでも壁がある」
将臣が哀しく笑って吐き捨てた。
思わず望美がその腕に縋る。
けれど将臣は、それを振り払った。
掠めた熱だけ、唇に残して。
「―――さよならだ、望美。俺はあいつらと行く。・・・・・もう、逢えないといいな」
「待ってっ・・・・・・」
将臣は振り返らなかった。
知るはずの背中より、ずっと遠い背中。
叫びたくて、叫べなかった。
答えが返らぬと知る背中を呼ぶ勇気が、なかった。