あの頃、思ってもみなかったよな。
 お前と俺が別の人を見て、歩き始めても、俺たちはいつもどおり。
 それこそ「今年のクリスマスどうしよう」なんて。
 それなのに。
 ・・・・・・・ああ、泣くなよ、望美。
 どうしたって愛しい。
 反射のように愛してる。
 それでもこれは、譲れないんだ。




越えられない境界線




「将、臣・・・・・・くん?」
「・・・・・・・・やっぱりお前が・・・」

 ――――源氏の神子。

 声にならないほど掠れた声で、将臣が呻いた。
 
 望美が斬り込んだ天幕の中、どうして彼だけが目に鮮やか。
 ともに時空の奔流に巻き込まれて、はぐれて、探して、巡りあって

 ・・・・・・・巡りあって?

「それならばお前は俺の―――敵だ!」
「将臣君っ・・・・・・」

 切り結んだ剣から気迫が伝わる。哀しみが伝染する。

「いや!いやよ、どうしてっ・・・・・・!」

 苛烈の刹那。
 何度もぶつかり合うたび飛び散る火花。
 それを割り込んだのは、せめてというべきか、当然というべきか、譲の一喝だった。

「先輩ッ・・・・・・兄さん?!」

 将臣はそっと息をつく。
 殺しそうだった。
 殺してしまいそうだった。
 ただ平家のためだけでなく、俺のために。

「悪ィな、譲・・・・・俺が、還内府なんだよ!」

 これで剣をひける――。

 将臣は望美を譲のほうへ突き飛ばすと、後ろは振り返らずに駆けた。
 ここにいたくなかった。
 いられるはずもなかった。
 ただ・・・・・望美の視線だけは、ずっとあったけれど。 







「将臣が還内府だったなど・・・・!」
「・・・・将臣君も驚いているようでした。僕たちが源氏方と、彼も知らなかったのでしょう」

 九郎を宥めながら、弁慶は瞑目する。
 そうだろうか、本当に?
 疑っているようだった。
 自分だって、疑った。
 ましてやここには「平敦盛」がいる。
 彼を連れ帰らなかったことで杞憂かと、それは言わずにおいたのだが。

 ちらり、望美を見遣る。
 美しい顔は蒼褪め、その瞳は何かを映すのを拒むように硬く瞑られている。
 ・・・・少しだけ、・・・・・望んだこともあるのだけれど。

(無理そうですね・・・・・・)

 諦めの吐息をついて、弁慶は微笑む。

「望美さん・・・・少しゆっくり歩いてきてはどうですか?」

 答えるには間があった。
 弁慶がもう一度促そうかと、唇を開いたとき、ゆらりと望美は立ち上がり、微笑んだ。
 今までで一番美しい、笑みで。

「・・・・・・・・天女のように消え入りそうだね」

 ヒノエが呟いた。
 だけど、誰も後を追えずに。
 望美が向かった先は、吉野だった。
 






 あの時焼かれてしまった村は、少し寂しげ。
 それよりも胸をついたのは、将臣の後姿。
 どうして・・・・?

 将臣がゆっくりと振り返る。

「・・・・・・よう」

 望美の瞳にまた涙が滲む。
 面影を追えるだけで良かったのに。
 懐かしんで、心の整理をつけて、それから。

 それから?

 先が分からない。分かりたくもない。

 源氏の敵、還内府。  どうしてそれが、将臣君?

「一人になりたくてここに来たのに・・・・・」

 よりにもよって、お前が来るか。

 将臣が苦笑する。望美は立ち竦んだ。
 相容れない壁を感じた。
 望美には初めてのことだった。

「将臣君・・・・・・源氏に来ない?」

 口をついて出たのは、己でも意外な言葉だった。
 
源氏。

 白龍の神子と言いながら、己にもその自覚はあったのか。
 
 ・・・・・・当然かもしれない。
 大事な人は皆、源氏方にいる。――― 一人を除いて。
 将臣が源氏に来れば、望美は何も失わない。

「・・・・・無理だな。第一、頼朝が俺を赦すとは思えない」
「頼朝・・・・・・」
「そして俺は、平氏の敵になれない」

 本音を言えば、望美達の敵にもなれない。
 だから、こうして平家を出てきた。
 だけど、望美の願いであっても、源氏の軍門で平家に仇なす気は毛頭なかった。
 ゆかりのない自分を、迎えてくれた。
 愛してくれた。
 俺のもう一つの家族。

「・・・・・・・・だってこのままじゃ、敵同士だよ・・・・・?」

 望美の顔が歪む。
 可愛いというより、綺麗に思う。
 昔、元の世界で笑っていた望美はただ可愛かったのに。
 ちり、胸の奥が焼け焦がれた。

 このまま。
 逃げてしまおうか。

 望美は今は一人。俺も一人。


 このまま逃げて、しまおうか?


 思考の中断は背後から。

「―――還内府殿」
「俺はやめたぜ?」
「・・・・・・・申し訳ござらん。我ら、どうしても、諦めきれません―――・・・・・」

 切迫した声音に劣勢を悟り、捨てきれない己を悟る。
 苦い痛みがこみ上げる。

 望美、やっぱり俺達、結ばれないのかも。

「現代では『幼馴染』・・・・・他人のモノ。この世界ではロミジュリか。いつまでも壁がある」

 将臣が哀しく笑って吐き捨てた。
 思わず望美がその腕に縋る。
 けれど将臣は、それを振り払った。

 掠めた熱だけ、唇に残して。

「―――さよならだ、望美。俺はあいつらと行く。・・・・・もう、逢えないといいな」
「待ってっ・・・・・・」

   将臣は振り返らなかった。
 知るはずの背中より、ずっと遠い背中。

 叫びたくて、叫べなかった。
 答えが返らぬと知る背中を呼ぶ勇気が、なかった。