「・・・・・・有川?」
「ん?知盛じゃねえか、どうした?」
「それはこちらのセリフだぜ・・・・?」
夜の月が美しい海の上、揺れる小船で将臣は独り、佇んでいた。
月は満月。
望月の夜。
真白に美しい、それは誰かを思わせた。
「月を見ていただけだ・・・・・・」
「ほう・・・・・?風流なことだな」
「ハハッ」
将臣は短く笑った。
明日は決戦になる。
源氏と平氏。望美と俺の―――・・・・
「―――知盛、すまねえな・・・・・」
将臣の押し殺された声に、知盛は答えず低く嗤った。
そのまま将臣の隣に腰を下ろす。
夜が明ければ終の別れ。
二人は暫く、動かなかった。
束縛して、されて
雪の屋島で将臣君と抱き合った。
いるとは思わなくて、絶対いると思っていて。
どうしていつも、あの後姿だけが、目に鮮やか。
望美は涙をこらえるが、叶わなかった。
『お前も俺も、お互いだけに縛られるわけにはいかないだろ』
どうしてそんなことないと、返せなかったんだろう。
あのとき無理矢理ついていけば、ここで戦わずにすんだのだろうか?
そう思って、望美は月を見上げた。
同時にこみ上げたのは、哂い。
「そんなことできるはずないよ、ねえ・・・・・っ」
ここにきてはっきりと確信していた。
将臣を愛してる。
きっとずっと昔から。
愛してるのに。
愛していても、あなただけを選ぶことは出来ない。
「ふっ・・・・・うう、うー・・・・・」
泣き声を殺して泣き崩れる望美を誰も支えてはやれない。
将臣が還内府だったという衝撃はそれぞれの胸に色濃く、また戦の準備に追われているのだ。
源頼朝参戦。
これは大きく、様々な意味を持つ。
望美にさえ、明日の参戦を免除してやれないのが現状だった。
同じ月の下、密かな決意が、将臣と望美、二人の胸に去来していた。
――明日・・・・・・・・・を殺すしか、ない――
それしか二人に許されてはいなかった。
*********
「望美・・・・・・・」
翌朝である。
躊躇いがちに声をかけた朔に望美は晴れやかに笑い返した。
「おはよう、朔」
すべてを決めた顔、割り切った顔。
それでもどこか濁った目が切ない。
朔は少し哀しかったが、納得するしかないと言葉を飲み込んだ。
あとはただ祈るしかない。
望美の哀しい決意が、哀しい結果に結びつかないように。
(あなた・・・・・黒龍。どうか、望美を護って・・・・!)
この祈りがすべてを好転させるきっかけになるとは、今の朔はもちろん知らぬまま。
――壇ノ浦の決戦が始まった。
「ようやく来たか、源氏の神子・・・・・・」
「知盛・・・・・・っ」
「待ち焦がれた、ぜ・・・・?」
「将臣君はどこ!」
知盛はおかしそうにククッと哂った。
まだ「将臣君」・・・・か。
「奴ならいないぜ・・・・・?」
「いない?」
「ああ、この船には、・・・・・・な!」
そう言って打ち込む知盛の剣を敦盛が止めた。
望美と知盛がそれぞれ驚愕する。
望美は積極的に力に出た敦盛に。
知盛は鎖を解放した敦盛の怪力に。
「・・・・・・・神子、行ってくれ。将臣殿を・・・・助けてくれ・・・・・!」
「敦盛さん・・・・・?」
「将臣殿は・・・・・頼朝と清盛殿を討つ気だ・・・・っ」
「―――それは本当なの?!」
知盛と鍔ぜり合いのまま、敦盛が叫ぶ。
知盛は何も答えない。
昨夜のうちに、将臣から敦盛は文をもらっていた。
そこには将臣の策とその後の平家の行方の算段が書かれていた。
最後にこう結ばれて。
『できることなら合流しろ。経正の下へ戻ってやれ』
ずっと心配している、と、言われたことを思い出す。
将臣は確かに源氏軍の敵将だ。
けれど、好んで戦いに身を投じたわけではない。
むしろずっと、平和に生きていける道を模索し続けて。
―――それが出来ないから。
「一人では無理だ・・・・だから神子っ・・・・・・!」
「俺には言わないのか・・・・・?」
「あなたには他に役割がある。・・・・・・そうでしょう」
敦盛に知盛はにやり、と哂った。
将臣も知盛も、お互い生きて再びまみえる気などない。
将臣は頼朝を。そしてよしんば清盛を。
知盛は八葉、できれば清盛を。
討つ気で。
「戦いは終わらない・・・・戦おうとするものがいる限りな」
「なっ、・・・・・私たちは!」
「戦おうと、するだろう・・・・お前は?お前の望む、未来のために・・・・・」
剣戟の響く最中、ゆったりと哂う知盛の声が頭に響く。
望美は愕然とする。
将臣の中の終戦の障害に、自分たちも数えられているのだ。
確かに、将臣が還内府と知った今でも、望美は戦うことをやめようとしなかった。
それどころか、将臣を、殺す気でいた。
そんな自分にゾッとする。
将臣はどこまでも平和を求めようとしていたのに。
望美の思考のもやが綺麗に取れた。
瞳が輝きを取り戻す。
「・・・・・・・弁慶さん、九郎さんの説得を頼めますか」
「・・・・・・僕は説得しなくていいんですか?」
「弁慶さんは戦が終わればいいんでしょう?」
完全には振り向かず、弁慶と望美は視線を交わす。
根負けしたのは弁慶だった。
「・・・・・覚えていたんですね」
自分のことなんて眼中にないかと思っていたのに。
初めて望美が弁慶に向き直った。
「覚えてます。誰の、どんな言葉だって」
「――――完敗です、ね」
いつだってその眼差しに気圧される。逆らえない。
真っ直ぐな瞳。
前に進んでいこうとする力。
「ヒノエ君、謙君、お願い――力を貸して!」
二人は待ってましたとばかりに微笑んだ。
戦が終わるなら、二人に否やはない。
まして源氏の圧勝で終わらない方がいい。
望美の視界の端で、リズヴァーンが動いた。
何か言おうとした望美に、リズヴァーンは微笑む。
「問題ない」
相変わらず「何が問題ないのかは伏せられたままではあったが、望美はただ頷いた。
リズヴァーンが消える。
望美は敦盛とヒノエが牽制する知盛に真向かった。
「知盛、私たちにもう戦う意思はない。私は、清盛だけを討ちにいく。そこを退いて」
「ほう・・・・・、有川のいる、頼朝のところではなく・・・・?」
望美はギリ、と唇をかみ締めた。
助けに行けるなら行きたい。
でもどう考えたって、清盛の方が近く、逃がしやすい。
両方討つと決めたなら、向かうべきは清盛の方だった。
「・・・・・・離れたって、変わらないわ。思いは同じよ!」
「クッ・・・・・・ならば俺を倒していくんだな」
「あなたも行くの!」
眼差しも鮮烈に言われた言葉に知盛はぎょっと動きを止める。
その瞬間、望美は跳躍し、敦盛と知盛の隙間に入ると剣を喉元に突きつけた。
刹那の剣捌きに時間が凍る。
望美自身驚いたほどのスピードだった。
躊躇いのなさが最高の速度をもたらしたのか。
「・・・・・・・・・・・・・いいだろう」
知盛は意外なほどあっさりと頷いた。
そして望美の手首を引いて、唇を掠めるように奪った。
「とっ・・・・・知盛!」
「クッ、褒美くらい先にいいだろう・・・・?」
そして悠然と源氏本軍に歩き出した。
ヒノエがまだ油断なく構えるが、それを意に介した様子もない。
敦盛が背中に声をかけようとして、やめた。
道は決まった――
「・・・・・・・みんな、行くよ!」
清盛の元へ―――
********
「・・・・・・・珍しい顔が揃ったものだ」
辿りついた御座船で、清盛は先ほどまでの焦燥を隠しつつ、皮肉げに哂った。
裏切り者に、熊野別当、源氏将軍に、弁慶。
そして―――
「そなたが、白龍の神子」
「あなたが、清盛?」
望美は想像と違う清盛の姿に戸惑う。
そして理解した。
平家の没落。そして変容。
それは。
「あなたも、怨霊なんだね・・・・・・・」
「そうとも。我はこうして甦った。そしてこれからは死ぬこともない」
「そうやって生きて、何がしたいの?」
「何が・・・・・?」
清盛の眼が何故か揺れた。
何が、したい?
平家の再興、と答えようとして、清盛は愕然とする。
再興、それは、没落を前提にするから。
生きていた頃の記憶にはないもの。
没落。
平家は千年も栄えるはずだった、のに?
「・・・・・・・・・・こく、りゅう・・・・」
「朔?」
「黒龍、黒龍の逆鱗よ、あれっ・・・・あの人が持ってるの・・・・・・!」
朔が信じられないものを見るように震える。
あの人の形見にも似たもの。
愛したあの人の名残。
「・・・・・・そなた、そうか、そなたが黒龍の神子か」
忘我の状態だった清盛は朔の声で我を取り戻す。
そう、千年栄えるために応龍に呪詛をかけた。
破ったのは、弁慶。
そのために自分は死に、そして甦った。
黒龍の逆鱗によって、完全な怨霊として。
「ははは!そうか、思い出したぞ!」
清盛は盛大に高笑いし、震える朔を手招いた。
そうするのが当然のように高みから宣告する。
「我は黒龍の主・・・・・黒龍の神子よ、我に仕えよ」
「何ですって・・・・・どうして、何故あなたが・・・・・・」
清盛が嘲笑う。弁慶がそっと顔を伏せた。
「何故か、教えてやろう――・・・・それは」
清盛が何か言いかけたとき。
空から、将臣が降ってきた。
「将臣君!?」
ぎいん!
耳を突く激しい音。
朔は思わず息を呑む。しかし。
逆鱗を正確に狙って振り下ろされた剛剣でも、黒龍の逆鱗は割れなかった。
「ちッ・・・・・」
「重盛!?」
「・・・・・・・重盛じゃねえよ」
将臣は疲れた声音で訂正する。
あちこち傷だらけで、望美に背を向けたままで。
それでも胸が、―――熱くなる。
「・・・・・・・よう、望美」
「将臣君・・・・・どうして・・・・・」
「リズ先生が突然現れてさあ、加勢してくれて、オマケに知盛まで来ちまって」
・・・・・・間に合ったのだ。
望美は涙ぐむ。胸に暖かい何かが湧き上がる。
傍にいなくても、と思ったけれど。
傍にいるだけで、やっぱり何かが違う。
「・・・・それで俺だけこっちに寄越してもらった。これで」
望美は大きく目を見張る。
それはもう1枚の、白龍の逆鱗。
「ありがとな、望美。やっぱ一人じゃ無理だったわ」
「そんな、違う、違うよ・・・・!」
「うん。分かってる。・・・・・・朔、暫く逆鱗の件は預けててくれ。いいか?」
「・・・・・・・・わ・・・分かった、わ・・・・・・」
「・・・・・サンキュ」
朔の肩を弁慶がためらいがちに支えるのが見えた。
朔はまだ衝撃から立ち直れていないのだろう。
半ば自失状態で、それでも理性を優先させるあたりはさすがだと将臣は思う。
「重盛・・・・何故だ・・・・この父を屠ろうというのか?」
「・・・・・重盛じゃねえって言ってるだろ。清盛、俺はずっとあんたを止められなかった」
清盛の目が、自分でないものを見ている。
いつも辛くて、やりきれなかった。
死んだ息子に似ていると、俺を受け入れてくれたのはあんただったのに。
「でも、俺が止めるべきだった。・・・・平家を再興しなくても、人は暮らせる。そのために、俺はあんたを斃す!」
「何故だ重盛ィィ!!」
襲いかかる力は絶大だった。
必死に応戦するも、物凄い力の奔流に最後の一手が打てない。
渦巻く黒い力。
白龍の対極に位置するもの。
今こそ朔は確信する。
あれは、黒龍。私の黒龍。あの人が、あんな人に縛られて。ずっと、・・・・ずっと?
「許せない・・・・!」
「朔殿?」
「望美、力を貸して、あの人を解放してあげてっ・・・・・!」
「朔!」
ふらり、揺れた朔は弁慶から離れて望美に手を伸ばす。
嵐と見紛う風の中、望美と朔が手をとった。
その時。
「ぐあっ・・・・・・ぐ、ぐう・・・・何故だ、何故今更・・・・・!」
突如として清盛が苦しみだした。
風が少し緩む。
―――神子が・・・
声が、した。
白龍に少し似た、これは・・・・・
「黒龍!?」
―――神子の祈りが、聞こえたから、それから起きて、待っていた・・・・・
これは、奇跡だろうか。
将臣はこれを逃がさなかった。
苦しむ清盛に突進する!
「やめ、やめよ重盛・・・・・っ」
「――さよならだ、清盛」
黒龍の加護を失った体はたやすく将臣の大剣に貫かれた。
何かの砕ける音がする。
・・・・・・・将臣?
将臣は清盛が消える瞬間、久しぶりに自分の名を清盛が呼ぶ声を聞いたように思った。
それがたとえ幻聴でも、・・・・・・嬉しかった。
清盛の消滅から一瞬後、凄まじい閃光が辺りに満ちた。
「神子、今なら時空の扉が開く。さあ、手をとって」
突然の白龍の声に望美は驚愕し、将臣に走り寄ると譲を大声で呼んだ。
将臣は突然取られた手を払おうか躊躇った。まだ、見届けてない。
しかし、一瞬の判断。
譲が望美のもう片方の手につかまった瞬間、光はスパークした。
********
ザーッ・・・・・と、雨の降る音が響いていた。
3人は呆然としていた。
見慣れたはずの懐かしい渡り廊下。
座り込むように現れて。
何故か涙が止まらなかった。
帰って、きた・・・・・・・。
将臣は腕の中の望美を確かめるように抱き締める。
そっと譲に目配せすると、譲が苦笑して、ゆっくりと立ち去った。
譲れない自分を実感してから、将臣はもう一度望美を抱き直す。
「望美・・・・・・ったく、無理矢理ひっぱりやがって・・・・」
「・・・・・・だって・・・・・・夢中で・・・・・」
望美はまだ震えている。
将臣は自分の髪に手をやり、苦笑した。
元に戻っている・・・。
あのとき、望美の手を振り払わなかった選択の代価だった。
あの時空に、還内府はもういない。
咄嗟に望美を選んだ、結果だった。
まだ泣いている望美を仰向かせ、口づける。
何度も何度も、涙が止まるまで口づけた。
「将、臣くん?」
「・・・・覚悟しろよ。もう遠慮しねえぞ。俺が、独占してやる・・・・」
そしてまた口づける。
望美の返答は待たない。
望美だって、待たなかったから。
「ん、やっ・・・・待ってっ・・・・ン・・・・!」
忘れていたけど、保健の先生は?先輩は?
問いたいのに、問えない。
キスが熱くて、心臓が早くて、このまま酔ってしまいそう。
「待たない。誰にも渡さない・・・・・!」
「ンン・・・・!は、待って!」
ついに突き飛ばして望美は肩で呼吸する。
キスを邪魔されて将臣は不満顔だ。
「なんだよ。鈴木か?略奪愛ケッコウだ。奪ってやる」
「えええ?!」
「噂を気にしてるのか?実はガセだガセ!」
「ええええええ???!」
将臣は言うだけ言って、再び望美を引き寄せた。
三度目のキスに、望美はもう抵抗できない。
ガセってホントかなあ・・・・?
疑問は頭に浮かんだけれど、束縛が嬉しくて、自分も束縛したくなる。
好きな気持ちはもう隠せない。
望美は暫くキスに溺れることに決めた。
哀しみも傷も、すべては全部、後回し。
(鈴木君断わったの、言ってなかったなあ・・・・・・)
でもそれも暫くは内緒。
はじめての嫉妬を越えて、境界線にずっと躊躇って、ようやく手に入れた恋だから。
いっぱい将臣君も困ってほしい。
そしてもう、離さないで、ずっとずっと独占していて。
Fin.