「先生〜、どこですか〜?」
望美の声が京邸の渡殿に響き渡る。
屋根の上にいたリズヴァーンは、ふとそれをとらえた。
「……神子、ここだ」
「あっ、先生!」
不意に現れたリズヴァーンに、望美は嬉しそうな顔をした。
やっと見つけた!
リズヴァーンは、その笑顔に一瞬気を取られた。
見守り続けた時空。
けれど、そう何度もなかった笑顔――――
「……先生?」
「あっ……いや」
我に返ったリズヴァーンは、優しい笑顔を浮かべた。
自分のことで望美を煩わせたくはない。
自分の欲で、殺したくない―――
「なんだ?神子……」
「先生、どうしたんですか?」
だが、望美はリズヴァーンが願うほど、鈍くはなかった。
そして、知る以上に優しい。
誰の傷も見逃せない。
「言って下さい。なんですか、その顔?」
「顔……?」
また、リズヴァーンは自分が思うほどには練れていない。
望美に見抜かれる程度には、彼は朔の言葉に動揺していた。
考えてもいなかった。
螺旋の終わり。
望美が元の時空に還ったままでいることなんて。
願わしいはずなのに、それは、リズヴァーンに思わぬ空虚をもたらした。
「私の顔が、どうした?」
「なんか、寂しそうで……」
リズヴァーンはわずかに苦笑した。
「そうかもしれぬな」
愛した少女。
巡った螺旋。
自分の助けなどなくても、望美は自分で運命から逃れてしまったのだ。
あとは、自分が「欲」を出さなければいい……。
そう思ったリズヴァーンの頬を、望美は容赦なく引っ張った。
「み、神子……っ!」
「問答無用です!」
(絶対余計な事考えてる……!)
「駄目ですよ、そういう自己犠牲!私一番嫌いです!」
「――――――神子…」
「先生に……、先生にそんなことさせないために、私…強くなった、のに……」
強気だった望美の顔が、悔しさに歪んでいく。
まだ足りないのだろうか?
まだ、追いつかないのだろうか?
「まだ、駄目なのかな……」
気弱になる望美に、リズヴァーンは静かに首を振った。
「そんなことはない。お前は十分、強くなった」
「……でも」
「さっきのは……」
リズヴァーンは、困ったように首を傾げた。
偽りたくもないが、本音を言うのはやはり、気恥ずかしい。
「……お前には、私の助けなど、もう必要ないのだな、と……そう思ってしまっただけで……」
リズヴァーンの苦笑じみた瞳に、望美は切なくなる。
どうしてそんなことを思うのだろう。
ずっと導いていて欲しいのに。
傍にいて欲しいのに。
他の、八葉だってそうだ。
還るのが、当然みたいに――――!
「わたし、いらないですか」
還ってほしい、という男たちの態度は、望美に疎外感を感じさせた。
引き留めてくれたヒノエにしろ、還ることが前提になっている。
望美の目に浮かんだ涙にリズヴァーンはうろたえた。
だが、抱き締めるのはどうしてもできなくて、困ったリズヴァーンが選んだのは頭を撫でることだった。
「…………」
……子供扱い?
望美は少し複雑になる。だが、どうしたって気分が安らいでいく。
望美にとって、リズヴァーンは絶対不動の頼れる人、だから。
「……えへへ、すみません、取り乱して」
「いや……お前が不安になることは、ない。皆、お前に感謝している」
無論、自分もだ。
愛した―――愛する少女が螺旋から抜けること。
それは、一番の望みだったから。
「和議の席はお前の功績だ。今日は楽しい宴となるだろう」
「…あ、宴会、明日なんです」
リズヴァーンは一瞬、動きを止めた。
明日……
「……では、明日の和議の席で、お前は還るのではないのだな……」
静かに広がった微笑の気配に、望美は目を瞬かせた。
いつも優しいけれど厳格なリズヴァーン。
譲といい、満面の笑みはとてもめずらしい。
「私……いてもいいんですか、和議の後も……?」
「無論。……いなくなるのは、寂しいことだ」
「そっか……えへへ」
子供のように無邪気な笑みで、望美は応えた。
還らなければ、と思っていた。
幸せな皆を見届けたら、もうここに自分の居場所はないのだと―――
違うのかも、しれない。
そのとき、朔の望美を呼ぶ声が二人の耳に届いた。
「あ……」
「……行きなさい」
伸ばされかけた手は、促しに変わる。
望美は気づかずに、笑顔で頷いた。
「はいっ!」
その後、暫くリズヴァーンが直立不動になるくらいには、その笑顔の威力は凄まじかったという……。