「譲君!」
「先輩、どうしたんですか?」
宴会の準備に勤しんでいた譲は、望美の明るい声に顔をあげた。
まだ準備はすんでいない。
手伝いに来てくれたのだろうか?
(う、嬉しいけど…困りもするんだよな……)
心の中だけで苦笑する。
何故そうなるのかまったくわからないが、望美が料理すると、大抵のものは不思議物体に変化する。
自分は食べられないでもないが……
まあ、勇気は要する。
それを全員に強いるのもなんだと思うのと、できれば望美には美味しいものを食べて欲しいから、譲は厨所には望美を入れないようにしていた。
……本当に妙な電波でも出ているのか、望美の傍では譲の料理も失敗するためだ。
(他説アリ)
「うん、今日の宴会の事で、ちょっと」
――――来た!!
譲はとにかく優しい笑顔を浮かべた。
どうにかして、望美をここから遠ざけなければ。
「料理はまだですよ」
「うん、それなんだけど、…宴会、明日なの」
「……そうなんですか?」
内心で意気込んでいた譲は肩透かしを食らい、ちょっと目を丸くする。
別に問題はない。
用意していたものは大半が酒の肴や煮物、焼き物の用意。
生ものは直前だし、料理には不都合はない。
が。
「楽しみにしていたんじゃないですか?」
「そうだけど…和議、成るか分からないし」
小さな弱音に、譲は驚き、……微笑んだ。
自分の前で、望美が弱音を零してくれるなんて、思わなかった。
優しい暖かさが、譲の中に広がった。
「……何?譲君」
譲の満面の笑みに、望美はちょっと驚く。
幸せそうな、はにかむような。
こんな顔はあまり見ない。
そして、何だか恥ずかしくなる。
――――そんな風に、見つめられたら。
「いえ……」
―――あなたは、知らないんだろうな。
はにかむような横顔が、俺を幸せにするなんて。
譲はまだ浮かぶ微笑を御しきれずに、手を口元にやって、ごほ、とわざとらしく咳き込んだ。
「何でもないですよ」
「何でもないって顔じゃ……あ、用意…すごい負担だった?」
気紛らわしついでに、望美は一生懸命考える。
何故そんなに譲が嬉しそうなのか、見当もつかない。
思いついたのはそれくらい。
譲はいつもと同じように、二つ返事で引き受けてくれたから、甘えていたが―――
「いえ、全然」
「そう……?なら、えーっと……」
一生懸命考える仕草に苦笑。
分かるわけがない。
それでもそれさえ、可愛い。
「考えてもいいけど…、きっと先輩は分かりませんよ?」
「えええ?!何それ!」
どこか自信たっぷりな譲の苦笑は、望美にも見慣れたもの。
望美はちょっと不満だったが、春にも譲の好きなものを見つけられなかったことを思い出し、ふくれるだけにした。
「もう…秘密ばっかり」
小さく呟いた望美に、譲は苦笑する。
一番大きな秘密を抱えていたのは、望美なのに。
だが、そこに触れることはしたくなくて、譲は話題を変える。
本当はいくつも聞きたいことはあるけれど……。
「じゃあ用意はもういいし……先輩、お茶淹れましょうか?」
譲は蜂蜜プリンを常備している。
笑顔を予測したのだが、望美は渋い顔をした。
……今はお茶の話はしたくない。
エライものを飲まされたばかりである。
「えと……今は、ほ、他の人にも言わなきゃだから」
「あ……はい」
「じゃあね!」
望美の急な変化に、譲は驚きながらも受け入れる。
しかし走り去る背中、踊る髪の隙間のうなじに小さく赤い痕を目ざとく見つけた。
――――誰だか知らないが、誰だ……!?
(やはりこんなところには置いておけない!先輩は連れて帰るっ!!)
譲は強く拳を握った。
―――夕食の準備にうつる。
その日の食事がうどんになった理由を知っているのは、荷物を届けにきた烏だけだった。