九郎は悶々としていた。
(あいつは還る。当たり前じゃないか。他に何のために頑張ってきたというんだ)
馬鹿馬鹿しい。
切って捨てて、おしまい。
それぐらい、自明の理なこと。
九郎は花断ちの会得の難しさを熟知している。
その努力も。
――――全部、傍で見てきた。
(還りたいと……そのために源氏に協力すると、あいつは言って、いた)
還るために、彼女は努力以上の事をして、和議までなさしめようとしている。
きっとすべては、心残りなく還るために。
彼女は優しいから。
それをきっと留めるのは、罪だ―――
九郎はぶんぶんと頭を振った。
(何を考えている。俺は……!)
小さく笑う横顔。
真剣なまなざし。
譲のご飯に喜ぶ無邪気。
怨霊と対峙した時の、どこか悲しい瞳。
いつの間にか、傍にいることが当たり前になってしまった姫神。
(還すということは、あいつと永久に会えなくなるということだ)
当たり前なのに、それが正しいのに、九郎はどこか痛む胸を押さえた。
何故俺は悲しい?
分かっている気がした。
でも認められない。
認めてしまえば、離したくなくなる、から。
そのとき、九郎の耳にヒノエと望美の会話が飛び込んで来なかったら、九郎はこのまま我慢できたかもしれない。
「――――だからさ、熊野に来なよ。それでずっと俺の傍にいて」
「ヒノエくん……」
困惑も露わな、けれど決して嫌がってはいない声。
遠くても、振り返らなくとも、望美だと分かる。
ずっと傍で聞いていて、もう馴染んでしまった鈴のような声。
―――熊野に?
だめだろう、それは。
だってあいつは本当に努力していて。
還すのが正しいのに。
「俺の姫君……」
ヒノエの声が熱を帯び、九郎はたまらず走り出した。
(やめろ、触るな!)
心のままに、奪う。
望美は猛然と走ってきた九郎に浚われるようにヒノエの手から助けられ、目をぱちくりした。
何だろう?
でも、助かった!
ヒノエはヒノエで、つかまえてきた手を奪われて気にくわない。
―――何しやがる。
「九郎さん、ありがとう!ヒ、ヒノエくん、じゃあ!」
望美は背に庇われて、これ幸いと猛然と駆け出してしまった。
九郎はどこか苦く、九割方はホッとして、息を抜く。
ヒノエを睨みつけた。
「ヒノエ、あいつを惑わすな。どれだけ苦労をしてきたか、お前だって知っているはずだ」
「いい子ぶるんじゃねえよ。お前だって引き留めたいくせに」
「なっ……!」
ヒノエのいつにない冷たい声に絶句する。
いや、内容にか。
「戦線離脱するなら大変結構。だけど邪魔はいただけないぜ御曹司」
言うだけ言って、ヒノエは去ってしまう。
望美と反対方向だったから、九郎は追いかけるのをやめた。
俺が、あいつを引き留めたい?
……そう、かもしれない。
九郎は苦く、地面を見つめた。
それでも九郎は、ヒノエほどまっすぐに望美の願いを無視できないのだ。
小さく呟く。
「……お前が、好きだ」
叶わないまでも、和議が成ったら告げてみようか。
不意に思いついたそれは、暖かく心に広がって、九郎は苦笑して歩き出した。
和議を、なす。
思考を切り替えつつ、新たな決意と一緒に、九郎は景時とともに呼ばれた場所へ足を向けた。