遙かな時空を越えて繋がった恋。
一度は別たれた―――別たれたと、少なくとも望美は思っていた。
逆鱗もなくし、あの時空に戻るすべは残されていなかった。
哀しかった。
寂しかった。
……忘れられなかった。
それが繋がったのは、たぶん、奇跡。
忘れられなかった想いが繋いでくれた、優しい絆―――
何度でも恋をする
その日、有川家の台所で望美は健闘していた。
むしろ、奮闘していた。
(そして、それ以上に頑張っていたのは譲であると付け加えておく)
何にか?
当然、バレンタインデーのチョコ作りにである。
今年は、最初で最後の機会なのである。
何せ、来年からは「チョコとは何ですか」な時空に望美はお嫁入りする予定なのだから!
(ちょうどよくヒノエくんも来てるんだもん。絶対手作りだよ!)
最初は、いつ来るかわからない恋人のために、賞味期限の長い市販のチョコで手を打とうとしていた望美であるのだが…。
いるのなら話は別だ。
初めての彼氏、初めての恋人のいるバレンタイン!
(これにときめかなきゃ、乙女じゃないよね!)
むん!と、乙女らしく拳を握り、望美はそれを突き上げた。
それを力なく笑って譲が見守る。
「……そろそろ諦めませんか、先輩……」
通算10個目のチョコが何故か失敗した時点で、譲は言った。
望美は小さくやけどした指を押さえながら、まだまだ萎えない瞳を煌めかせる。
「どうして?まだまだよ。失敗は成功の母って言うじゃない!」
「いや……必ずしも成功するとは限りませんし……」
「七転び八起きだよ、譲くん!」
「……もう10回目も駄目でしたし………」
譲の言いたいことは分からないでもない望美である。
だけど、どうしても―――どうしても、手作りのチョコをあげたかった。
愛情を、示してあげたかった。
(ヒノエくんに、負担ばかりかけてるもん、私……)
一度突き放されたときは悲しかったけれど、それだって、結局望美のためだった。
今もそう。
多忙な身の上のくせに、ヒノエはその合間を縫って、かなり定期的にこちらの時空へと来てくれる。
すべては望美を、円満に熊野に迎えるために。
ヒノエの誠意が通じたのか、最初は頑なだった父の態度も軟化してきた。
母の方は、最初から好意的だったので、あまり変わらないが……。
ともかく、全部、ヒノエの努力のおかげだ。
望美は何もしていない。
ただ愛されて幸せで、ゆっくりと心の準備をさせてもらっている。
もうじき、熊野に嫁ぐ―――生まれ育った時空を離れるという覚悟をの準備を。
……だから、伝えたいのだ。
あなたが好きだと、形でも表したい。
―――なのに。
「どーしてできないの―――っ!?」
「それは俺が聞きたいですよ……」
通算13回目の失敗の時点で、ついに買い込んでいた材料が切れた。
望美は座り込んで嘆き節。
もっと嘆きたいのは台所をえらい惨状にされた、有川家の主婦・譲の方だろう。
だが、譲は優しく大好きな年上の幼馴染の肩を叩いた。
「これを持っていきましょう?……大丈夫、ヒノエは喜んでくれますよ」
また、そうでなければゆるさないのだが――――
「うん……」
小さく頷いた望美は、かろうじて形になったチョコレートを抱き締めた。
だが………
☆
「遅かったね、姫君。待ちくたびれたよ」
「うう、ごめん、ヒノエくん……」
ヒノエは春日家のリビングで寛ぎつつ、望美を振り返って、軽く手をあげた。
望美は思わず扉の所で立ち竦んだ。
(う、うう、怒ってる……)
せっかく来てくれたのに、延々放置した自覚は望美にだってある。
いくら愛の為とはいえ。
ヒノエの表情は笑ってもなくて、結構本気で不機嫌らしい。
望美はチョコを後ろに隠しつつ、慌てて傍まで走り寄った。
ヒノエの手に、手を重ねる。
火傷していない方の手を。
「………ごめんね、ヒノエくん」
暖かな手のぬくもり。
愛しくて、健気で、可愛い恋人。
……ほんのちょっとした怒りなんて、簡単に溶けていってしまうほど。
「―――分かってくれるなら、それでいいよ」
元より、最初から本気で怒っていたわけではない。
拗ねていただけ。
望美にその気は欠片もないとはいえ、望美を想う男と二人きりにさせてご機嫌でいられるほど、ヒノエの心は広くない。
また、望美をどうでもよくも思ってはいないのだ。
――――最愛の少女。
「それで……チョコとやらはできたのかい?」
「う、うん。……あ、お母さんは?」
「買い物。夕飯は豪勢にしてくれるらしいよ?」
「へ、へえ……」
好都合、なのだろうか。
望美はもじもじとする。
ここで渡してもいいが、……その、できれば部屋に誘いたい。
(でも、どうやって誘えばいいんだろう……)
きゅうっと胸の奥が痛くなる。
せめてチョコが完璧だったら、こんなに悩まなくて済んだのに。
『……大丈夫、ヒノエは喜んでくれますよ』
幼馴染の優しい言葉が、望美の背中をそっと押すけれど……。
望美はなかなか次の言葉を言えずに、立ちつくしていた。
苦笑するように、ヒノエが一つ息を吐いた。
「お前の部屋に行こうよ、望美―――チョコの交換といこうぜ」
「交換???」
「ああ、お前を待ってる間に、オレも作ったんだ」
思ってもいなかった言葉に、望美は目を丸くする。
ヒノエは軽く笑ってそれを掲げた。
「まだ拗ねてるの?」
「だって……悔しいんだもん!」
所変わって、望美の部屋。
今拗ねているのは、ヒノエではなく、望美であった。
何せ、ヒノエが初めて作ったというこのチョコレート、大変美味しいのである。
「どうして?私譲くんに教わって、しかも何度も頑張ったんだよ?何で1回でできるの?!」
「何でって言われてもね……」
うまくできて怒られるの困りもので、もっと困るのがこんな望美が死ぬほど可愛いということ。
ヒノエは苦笑しながらも、自分の雄が煽られてしまうのを感じていた。
膨れた望美は僅かながら涙目で、頬を紅潮させている。
家には二人きり、望美の背後にはお誂え向きにベッドがあるのだ。
じわじわと、ヒノエの中に熱が溜まる。
だが、望美はそれどころではない。
くしくも、二人が作ったのが同じトリュフだったから、性質が悪い。
「悔しいよー!!」
望美は半ば本気で地団太踏むような仕草をした。
美味しいのが悔しい。
負けたみたいで悔しいし、やっぱり美味しく作りたかったから。
じわりと涙が本格的に滲み出した。
最初で最後の、機会だったのに。
―――ヒノエは、ちゃんといつも、……愛情を示してくれるのに。
「―――そういうお前もいいね」
ヒノエの手が、望美の頬に伸びた。
「ヒノエくん……?んっ……」
「ふふ、確かに美味しいね。でもお前のも……美味しいよ?」
望美の唇に残るチョコレートを舐め取った後、ヒノエは微笑みながら、望美の偽トリュフを口に運んだ。
ヒノエの赤い舌がちらりと見えて、艶めかしさに望美は思わず顔を赤くする。
「……美味しくないよ」
「美味しいよ。ちょっと苦いけど……ほら」
唇が甘く重ねられ、チョコを残した舌が味を移すように絡められた。
望美はほうっと息を吐く。
「……ね?美味しいだろ?」
「味なんか、わかんないよ……」
それよりも離れてしまった熱が恋しい。
ヒノエの誘うような眼差しに、望美は釘付けになってしまう。
自分は何も……あげられていないのに。
「………ヒノエくん………」
意を決した望美は、自分から、顔を寄せた。
面白がるようにヒノエは微笑んだままで、目さえ閉じてくれなかった。
それが悔しくて、望美はちょっとムッとする。
だから……。
「っ……こんなの、どこで覚えたんだい……?」
「ヒノエくんしか、いるはずないじゃない。……ね、気持ちいい…?」
ヒノエのキスを思い出して、望美は舌を懸命に動かした。
歯列をなぞって、舌の裏をくすぐり、ちゅ、と吸う。
繰り返していけば、ヒノエの息が僅かに上がってきたような気がして、望美は小さく微笑んだ。
小悪魔の微笑。
もっと、もっとしたくなる。
いつもしてもらっているくらいに……それ以上に?
「んっ、の、望美っ……」
「感じてくれてるの、ヒノエくん、……可愛い」
首筋、耳朶。
自分がされたら、一気に熱が灯ってしまうけど、ヒノエはどうだろう?
まだ、余裕のようにも見える。
充分、感じてくれているようにも見える。
物足りなくて、望美は―――好奇心のままに、ヒノエのシャツに手を伸ばした。
「待った」
「ひゃんっ……」
じっとしてくれていたはずのヒノエにいきなり抱き上げられ、ベッドに放り出されて、望美は目を瞬いた。
そして―――ヒノエの目の赤さに魅入られる……。
「……オレにもさせてよ」
「えっ、ひ、ヒノエ………あっ……!」
囁きと共に、いつもより情熱的なキスが降ってくる。
服を脱ぎ捨てるような仕草が、いつもより荒く見えたのは望美の気のせいだろうか―――
「や、やだ、私にもさせてよ!今日はバレンタイン……!」
「充分もらったよ。だからオレにお返しさせて」
掌が、唇が、望美の全身を暴いていく。
時折食べさせられるチョコはやっぱり美味しくて、それなのにさっきほど腹が立たないのは、ヒノエの口づけの方が美味しいからだろうか。
そして、ヒノエが感じてくれるから……?
「あっ、アッ……ヒノエくん、熱っ……」
「うん……すごく熱い、そんなに熱くして、オレを溶かすつもり?望美……」
絶妙な締め付けがヒノエを酔わせる。
そして望美の、吐息が。
「ホントにイケナイ子だね、お前は……オレに何度惚れさせる気だい……?」
「そ、そんなのヒノエくんこそ……っ」
きゅう、と望美がヒノエを締め付けて、ヒノエが軽く呻いた。
そんなの望美は無意識だろう。
だが、これに何度だってヒノエは籠絡されてしまう。
逆鱗を奪ったのは―――本当は、次の時空に望美を行かせないためかもしれない。
自分の中の罪悪感を、ヒノエはそっと握りつぶす。
それでも、後悔だけはさせない―――
「愛してるよ、望美――――――」
最奥へのグラインドと共に、ヒノエは望美の耳の奥に言霊を注ぎ込む。
望美が応えるように微笑んでくれた時、ヒノエの奥にまた新しい焔が灯った。
優しく暖かな、灯りが。
