まさか、こんなことになるなんて、思ってもいなかったの。





何よりも甘いもの




平家の守護姫――桜姫の現在の座所は熊野だ。
熊野別当との婚姻。
それは、彼女の生活を一変させた。

とにかく、夫となった少年が甘いのだ。

(ずっと甘やかされてるのよねえ……何か返せないかな……)

望美は考え込む。
日々の執務は手伝っているけれど、そんなことは望美にとっては当然である。

戦時中―――桜姫として、望美は平家の執務を切盛りしてきた。
戦も、内向きのことも。
ただ我武者羅に、彼らを守るためだけに。

―――怨霊姫。
敵方である源氏から、鬼謀の将として、猛将・平知盛と並んで恐れられた事も今は遠い。
遠くあれ、と思っている。
少なくとも、この熊野の頭領。
彼女の夫である、ヒノエは――――








「欲しいもの?」
「そう、ちょっと宋まで行くからね」

閨での会話である。
明日からしばらく留守にするという夫にさらりと微笑まれ、望美は少しばかり空を見つめて考え込んだ。


(……うーん、道理でなかなか終わってくれなかったわけだ……)
(でも宋?宋って中国じゃないの?結構かなり、かかるんじゃあ……)


あまり誰に言っても信じてくれないし、望美自身にも意外の一言に尽きるが……。
ヒノエは、結構甘えたがりである。
この時に限らず、ヒノエが望美に触れたがるのは、この先留守にすることが多いとき。

そうでなくても激しい情交が、甘く……更に激しいものになる。
時にはそのまま朝になるほど。
そこからすれば、今日はまだマシな方だが……。

「……宋かぁ……」
「寂しい?」

甘い瞳でヒノエが見つめてくる。
望美はちょっと困ったように―――微笑んだ。

ここで寂しいと、本音を言うのは簡単だが。

「―――大丈夫だよ」
「本当?」
「うん、だからちゃんと行ってきてね、ヒノエくん」
「……ちえっ」

いじけたポーズをする年下の夫に、望美は小さく微笑んだ。


―――本音を言うのは簡単である。
ただし、その後が大変。
滅多に甘えない桜姫の「寂しい」の一言で、この熊野の頭領は、あっさり遠出を取りやめてしまったことがあるのだから。


「じゃあ欲しい物だけでも言ってよ。必ず持って帰ってくるからさ」


ヒノエに重ねて言われ、望美は困ったように考え込んだ。
欲しいものは特にない。
すべてはヒノエから、ふんだんに与えられている。
物も―――心も。

むしろ、何かしてあげたい、与えてあげたいのは、ヒノエの方にだ。

そのとき、望美はハッとした。
歴史に疎い自分に、詳しいことはわからないが、確か―――


(シルクロード、っていうんだっけ……?)


「チョコレート……はまだないのかな……カカオ!」
「ちょこれーと……カカオ???」

望美は満面の笑みで頷いた。

今は初春―――きっと帰ってくるのは如月の頃。
そう察した望美が何を察したのか、勿論知る由もない。
だが、珍しい妻のおねだりを、分からないからと断るヒノエでもない。

「カカオね……わかった。探してみるよ」

そう言って、ヒノエはそっと唇を寄せた。
もう一度、愛しい桜姫に溺れ込むために―――













そんな風にしてヒノエが旅立った、丁度ひと月後。

「ヒノエくーん!!!」
「桜姫っ!」

ヒノエは帰ってきた。
無事に、笑顔で。
そして、多くの輸入品と桜姫へのお土産と共に。

……だが、桜姫所望のカカオは、そこにはなかった。


それをヒノエが切り出したのは、望美と二人きりになった後。
深夜の閨でのことだった。

切り出しにくそうに、ヒノエが眉を顰めた。

「探したんだけど……ごめんね」
「ううん、無理言ってごめんなさい」

察していた望美も穏やかに微笑む。

もともと期待はしていなかった―――と言ったら、ヒノエは怒ってしまうだろうか。
でも、本当に思いつきだったから、望美はそれほど落胆してはいなかった。
本当にあるかもわからなかったし、そもそもカカオというのも分からなかったし。
それに、……カカオをもらっても、チョコをそこから作れるものか、望美に自信はなかったから。
だから、望美は気にしない。
それよりも、ヒノエが無事に帰ってきてくれたことが嬉しい。

だが、それでもヒノエはやっぱり気になるようだった。

「それで、そのカカオって何なの?」
「うん?うーん……」

望美は言い淀んだ。
赤くなる。

さあ、何と説明したものか。

「何?言いにくいこと?」
「えっ、そ、そうじゃないけど……」
「じゃあ言いなよ。聞きたい」

……この場合、言いにくくてもヒノエは聞いてくるのではないだろうか、とこっそり望美は思った。


……ヒノエが甘えた、と望美が言って、周りはとても困惑する。
同じくらいのことがここでもあって、ヒノエは意外と強引だ。
何と言っても退かないところが結構ある。

これも他者の印象としては結構違うらしいのだが……。

まあ、内緒にすることでもあるまい。
望美は腹をくくって一息に言った。


「今日はバレンタインデーっていって、その、好きな人にカカオ……チョコレートを贈る日なの。えと、向こうの風習で」


恥ずかしい。
いや、結婚しているし、今更恥ずかしいも何もないわけだが。

実は、望美は義理チョコ以外贈ったことがない。
本命チョコを考えるのも初めてだったのだから仕方ないだろう。
……仕方ない、はずだ。

そんなわけで照れていた望美の前で、ヒノエは―――固まっていた。


「ヒノエくん……?」
「あ、いや―――」


望美が覗き込んだのに、ヒノエは艶冶に笑った。
見惚れるほど美しい笑みで。

「へえ……それはちょこれーとじゃなきゃ駄目なの?どんなものなんだい?」
「うーん、チョコが多いけど……他でもいいのかな。チョコはね、甘い物」

 苦いのもあるが、甘いものが好きだと言う望美に、ヒノエは一層甘く微笑んだ。

「甘いものでいいなら好都合だね」
「えっ?―――キャッ……」

望美はいきなり袂ではなく膝を割られ―――動転した。
だが、油断していた望美の膝に力など入っているはずもなく、ヒノエはあっさりと望美の足の間に顔を割り込ませた。

まだ濡れていない―――けれど雫を零す、敏感な場所。
そこに、ヒノエはそっと息を吹きかけた。

「今日は一杯飲ませてよ。……お前はいつも恥ずかしがってしまうからね」
「ひ、ヒノエく……ッ、アッ……!」

舌が、忍び入ってくる。
……久しぶりの刺激に、望美の全身が戦慄いた。
舌を出し入れされて、指で花芽を剥かれ―――弄ばれて。
望美はいきなりの強刺激に思わず息を詰めた。

「駄目だよ―――」
「ンぁッ……」

ヒノエが責めるように、舌を蠢かす。

「オレを好きだって言ってくれる日―――なんだろ……?」
「そ、だけど、こんなっ……ぁ、アッ……!」

望美がヒノエの肩に担ぎ上げられた足の先を丸めた。
ヒノエはまったく乱されていない、望美の袂に手を伸ばす。

「ヒノ―――アッ!」
「もう固い。可愛いね、……桜」
「んんん〜〜〜っ……!!」

胸の先まで遊ばれて、望美は必死に口元を手で抑えながら身悶えた。
お願いだから喋らないでほしい。

気持ちいい。
恥ずかしい。
壊されそう。

「―――ふあっ……!」

カリ、と敏感なところを引っ掻かれて、望美は高い鳴き声を上げた。
一月ぶりに聞く甘い声に、ヒノエは凄絶に笑った。

可愛い――――

そして、いつもより我慢している。
いつもならもう駄目だと止められている。
だからヒノエは、満足に望美の蜜を味わえたことがない。

それをこんなに、味わえるなんて。


(これは、オレがいなくて寂しかったから?)
(それとも、バレンタインだから……?)


心の中で問いかけながら、ヒノエは望美の秘所を啜る。
最早潤沢に溢れた甘い蜜を味わい続けた。


「甘い―――すごく美味しいよ、桜…」
「あ、そ、ういうことじゃっ……あ、アアッ……やぁっ……!」


待つのは陥落。
寵姫との蜜夜。
だからヒノエは、手を一切緩めなかった。


「ひ、あ――――あぁッ……!!!」

ついに、たまらずに望美が啼いた。
ヒノエは笑って、望美の唇に口づける――――

「待ち焦がれたよ、オレの……オレだけの桜―――」

甘く囁き、ヒノエは焦がれたその場所へと自身を埋め込む。
ぬかるみはいつも以上の激しさと熱さでヒノエを迎え入れてくれた。

情交は、加速する―――――




翌日、当然、望美は立ち上がれず―――
しかも、うっかりホワイトデーを教えたせいで、更にエライ目に遭うことになる。