何度も機会はあったのかもしれない。
ずっと、それを逃し続けていただけで。

それにはいくつも理由があった。
例えば望美との距離を壊したくないとか、今のままでも十分とか。
弟との……こととか。

だけどそれは、本当に理由に過ぎなかったよな。





幼馴染恋模様




その日、望美は上機嫌だった。


「フンフフンフフ〜〜♪」


春日家のキッチンに、望美は一人きり。
鼻歌を歌いつつ、チョコレートを湯煎する。
何だかボコボコと泡みたいなのが立っているが、まあそんなのはいつものことだ。

そんなとき、将臣が不意に現れた。

「お、望美、こっちにいたのか」
「将臣くん!」

将臣は手にタッパの山を持っていて、その中からは美味しい匂いが漂ってくる。
望美は将臣を振り返った時よりも輝く笑顔でそれを見つけた。

「わっ!それお裾分け?!」
「おお、昨日のヤツな」
「わあい!あれ大好き!もうちょっと食べたかったんだよね〜!!」


……これだ。この笑顔。
将臣は引き攣りかけた笑顔の裏でため息を吐く。

好物ひとつでこの笑顔が見れるのだ。
距離感を変えたくないと思って何が悪い?

でも、最近はそうも言ってられなくなってきた。
理由は―――異世界の、彼ら。
ちらりと将臣は望美の手元を窺がう。


「……なあ、それさ、もしかしてチョコレート?」
「もしかしてって何?チョコにしか見えないでしょ!」

いや、それはどうだろう。

将臣は微妙な笑顔を浮かべた。
どっちかといったら、かの有名なRPGの中ボスに近いように感じてしまうのだが。
……まさかそんなことを素直に言ったら、絶対に望美は怒ってしまうから、口が裂けても言えないけれど。

「うん、で、それチョコ……バレンタインだよな?量、多くねえ?」

将臣は怖いもの見たさ半分で、身体ごと小鍋を覗き込んだ。
……うん、やっぱりアレに見える。
あのウゴウゴ蠢くアレだ。
将臣は賢明だから口には出さないが、チョコじゃないだろうと言ってしまいたかった。
かわりに別のことを聞く。

望美はけろりとして言った。

「多くないよ。だって、10人分だよ?」
「10人?―――ってまさか、お前」

将臣は、今度こそ本格的に引き攣った顔をした。
最早隠すこともできない。

「あいつらに渡す気かよ!えっ、朔と白龍にまで?!」
「そうだよ。せっかくだからね」
「や、せっかくだけど。せっかくだから……お前……」

本当にせっかくとか思うなら、美味しいお店のチョコにしてやるべきではないのだろうか。
そんな悪霊とか怨霊とかみたいなチョコもどきではなく。


異世界の彼ら。
―――――八葉。

こことは違う時空の向こうで出会い、共に戦った仲間たち。
みんなで協力して和議を成したまではよかったが、将臣たちはうっかりと大ボスをこっちに逃がしてしまったのだ。
まさかそのままにはしておけない。
そう思ってくれたのは、こっち出身の将臣たちだけではなかった。
そこに恩義は感じる。
難敵だった荼吉尼天だって、彼らの手助けがなければ斃すことなど出来なかっただろうし。


問題は、それ以降。


(……ったく、あいつら。白龍も余計なことを……)


将臣は心の中で毒吐いた。
荼吉尼天を倒した夜、夜通しの宴会が行われた。
別離の宴会。
将臣は心から別れを惜しみ、宴の時間を楽しんだ。

あの一言がなければ。


『えっ、もう穢れはないから、いつでも還ったら和議の時に戻れるよ?』


誰だったか、あの質問をぶつけやがったのは―――
たしか、景時。


(気持ちはわかる。俺だって名残惜しかったよ。だけどさ、だけど―――その質問はないだろう)


一気に全員の酔いも余韻もなくなって、ならもうしばらくこっちにいようとか言い出したのは弁慶だったか。
あっさり一週間後にマンションに引っ越していったあたり、もしかして奴は最初からこの世界に居座る気だったのではあるまいか。

将臣も、別にいてくれるのはかまわない。
将臣にとっても仲間だし、消え失せろとか思っているわけではない。
だが、やはり――――困るのだ。


……かいがいしくチョコ(もどき)を作る望美の後姿を見つめてしまう。
あんなの、……俺たちにだって作ってくれたことはなかったくせに。


「……………マジかよ。ホントに………」


こっそりと洩れてしまうのはため息だ。
嫉妬まじりの。

こういうのを……嫉妬とか認めるだけでも将臣にとっては重労働なのに。
望美だって、こういうのを作る姿を見せるということは、こっちのことなんて何とも思っちゃいないのだろうに。
(そういったむなしさなんかは他の皆も同じだろうと思いたいけど)


「……よしっ」


将臣が悶々と悩む間にも、望美は作り終えてしまったようで、何やらカップに流し込み始めた。
……あの大きさが10個。
甘いものは嫌いではないし、決して食えない量じゃない……と思う。
問題は味。

(くそ。絶対まずいだろーなー………)

何せ、望美と付き合ってきて十数年。
誠に申し訳ないが、望美の料理をうまいと思えたことが将臣にはないのだ。
だが、こればっかりは。
――――譲れない。


いくら理由を並べたところで、気持ちは変わらないのだから。


将臣は意を決して望美の方に行くと、息を吐く間もなく、一気にテーブルに並んだそれを平らげた。

「なっ…」
「ぐ…」

望美が目を丸くしたのと、将臣が真っ青な顔で口元を抑えたのは同時だった。
地獄に赴く心地で、将臣がそれを嚥下する。


「な、何てことするのよ!!将臣くん!!」
「………うわー、スゲー味……お前、味見した?」
「皆にあげるやつだもん!先に食べるなんてするわけないでしょ!!」


いや、しろよ、と思う将臣である。
望美だって人の子だから、アレを食ったら、まさか人に配ろうだなんて思わないのだろうに。
それとも、味覚は人によって違うから大丈夫だとでも言ったりするのだろうか。

「もー!!ひどいよ!せっかく作ったのに!」

すっかり望美はお冠である。
しかも、もう一回腕まくりなんぞ始めた。

………将臣は青くなる。
まさかもう一回アレを10個平らげる度胸は、将臣にはない。
だから、将臣は、強硬手段を取ることにした。


「……望美」
「何よ。――――――ッ………」


望美は息の根も止まろうかというくらい、びっくりした。

今の、今の今の今の!


…………キス?


(ま、将臣くんと私が?な、何で……?)


「……手作り禁止」


混乱冷めやらぬままだったから、望美は一瞬何を言われたのか分からなかった。


「……へっ?」
「俺限定にしてくれよ、頼むから」


幼馴染の皮をかぶったオオカミは、望美の唇に思わせぶりにもう一度触れてから、悠々と扉のところまで歩いていってしまう。
そして、ちょっとだけ振り向いた。


「ご馳走様―――他の奴らにはご馳走すんなよ」
「……っ」


将臣の姿がすっかり消えてしまっても、望美はへたり込んだまま動けなかった。

キスとか、言葉の意味とか、幼馴染とか。
色々回って、考えられない。
将臣が――――――まさか?


望美の顔は一気に火を噴く。
新しいチョコは、作れそうになかった。













「わっ、望美ちゃん、これもしかしてバレンタイン?」
「う、うん」
「姫君からのチョコかい、嬉しいね」
「遠慮なく食べてね…」

望美は綺麗なラッピングのチョコを一つずつ配る。
ロボットのようなぎこちなさで。
弁慶が意味ありげに笑った。

「みんな趣が違いますね。一人一人に選んでくれたんでしょうか。さて…誰が君の本命なのか、気になりますね」
「……………えーと……」
「………望美さん?まさか、本当に………」

望美は笑顔で固まったまま、答えられない。
………背後から刺さる、さりげない視線が痛い。
それでも―――
まだ、顔は合せられない。
顔がまだ、熱いまま。
そして―――


「………兄さん、先輩に何かしたろ」
「さあな。あいつに聞いてみれば」
「聞けるわけないだろ!!」


有川兄弟の小さな戦争も勃発したりしていたが、とても望美はそこまで気が払えなかった。
Xデーはがひと月後に迫っている。
だが、まだ望美にそれに気づく余裕すら、生まれそうにないのだった。