※葉明分のみの抜粋です※
「おかしくない?将臣君」
「おかしくねえって!ったく、何回目だよ?」
何度も膝丈のドレスの裾を摘まんでは、気にして首を傾げる望美に、将臣は苦笑する。
まあ無理もない。
豪華なエントランスが目の前に広がる。
都心から少し離れた著名なホテルは、日頃の自分たちには縁がない。こんな服装も。
一応、立食とはいえパーティーなので、将臣も望美も盛装だ。
望美は隣の将臣を見上げて、小さく膨れた。
「むー、将臣君は似合ってる。悔しいなあ」
「だからお前も可愛いって!」
「お世辞をありがとう!」
むきになって望美が乱暴に言い捨てた。そんな仕草も可愛くて、将臣は苦笑するしかない。
すべてを知っても、望美は望美のまま、平家をも救ってくれた。あのときの話が本当ならば、最初に望美からすべてを奪ったのは自分であるはずなのに、こうして傍にいてくれている。
望美と知盛と相思相愛でなかったら、と、思う事がたまにある。あの頃感じていた想いのままに、今、抱き締めずにいられただろうか。
「あ、会場こっちだよ、行こう!」
「おう」
想いは想いのままで。
それでいいのだと、将臣は思うことにする。
ただ少し、ここのところの幼馴染の元気がない様子は気になっていたから、それだけは聞くことに決めて、将臣は歩き出した。
時は少し遡る。
準備に忙しい会場の片隅で、知盛は用意されたピアノに指を触れさせた。
柔らかく重厚な感触が伝わる。
「ほう……」
「―――いいピアノでしょ」
響きのよさに、思わず感嘆した知盛に話しかけたのは、将臣の母・将子だった。裏方として飛び回る彼女も、さすがに本日はスーツである。
「私が運ばせたのよ?」
「クッ……随分な無茶をしますね」
それはホテルで一番いいピアノであると思われた。銘はべーゼンドルファー。今なお人気と名声を誇るピアノの名器だ。
中低音の響きが申し分なく、指に伝わる弦の張りが絶妙だ。ただ、これを弾きこなすにはそれなりの習練がいるだろう。
知盛は揶揄したが。
「いい男が奏でる音はそれだけで素敵よ」
と、あっさりそれは払いのけられた。
勝手な理屈に、苦笑せざるを得ない。
要は、今日は弾きこなすまでは求められていないのだと、知盛も気にしないことにして試しに指を滑らせた。
軽快にして滑らかな即興に、会場の動きが一瞬止まる。感嘆のため息がそこかしこで漏れた。
「……ほらね?」
得意げに将子が微笑んで、知盛は僅かに哂った。呑気なことだ。
練習でもするかと思えば、知盛は会場の外に歩き出そうとしていて、将子は慌てた。支配人との引き合わせもまだなのに。
「ちょ、ちょっと待ってよ。渡すものもあるんだから」