―――1561年。
 甲斐の虎と越後の龍が互いに睨みあう乱世。
 一人の少女が、舞い降りた。

御使い様効果



「は、はあっ……ふー……」
「御使い様、大丈夫?」

 ゆっくりとランニングを終えた真奈を気遣うように、瑠璃丸が覗きこむ。
 反対側を走っていた暁月はいささか呆れ顔だ。

「これぐらいでお前……ちょっと情けないぞ?」
「あ、あんたたちと…一緒にしないで……」

 真奈は現役女子高生(今ちょっと御使い様中)。
 それに比べて、暁月たちは政虎を守る越後の忍び、軒猿の精鋭だ。
 一緒くたにされては早晩参ってしまう。

「これは、気晴らしみたいなもんだから……いいの!」
「はあ……まあ、俺はいいけどよ」

 からかうように笑っていた暁月が表情をふと改めた。
 真奈の顔色が確かに悪い。

「大丈夫か?」
「うん、急に…ペース上げちゃったから……」

 そう、軒猿の暁月にいらぬ対抗心を燃やした結果というやつだ。

「御使い様、今日は何するの?」
「えっと、秋夜の家に約束が…」
「ならちょうどいいね!送るよ」
「えっ、きゃっ……!」

 瑠璃丸はそう言うなり、ひょいっと真奈を抱えて、走り出す。
 目で合図だけ送られた暁月は置いてけぼりを食って、ぽり、と小さく頭を掻いた。






 真奈は、秋夜の家について、凛気水を分けてもらっていた。

「んー、生き返るー」
「でしょ?美味しいよね」

 瑠璃丸もちゃっかり飲んでいて、秋夜は半分呆れてため息をつく。

「抱えてくる事もないだろうに」
「だって、この方が早いだろ?」
「急病かと思うだろう」

 秋夜のため息に、送られた真奈が恐縮した。

「ご、ごめん秋夜、驚かせて…」
「……別に、御使い様のせいではないが……」

 わずかに目元を赤らめて慰めに転じる秋夜を横目に、瑠璃丸は機を逃さず外に出る。

「じゃあ秋夜、あとはよろしく!オレ、鍛錬に行ってくるから!」

 まさに風のように去る瑠璃丸に、二人は顔を見合わせて苦笑した。






 走ってから、昼過ぎまでは秋夜の家でお手伝いが真奈の日課だ。
 薬草を干したり、分けたり、すりつぶしたり。
 小さな子どもの相手もしたりするのだ。
 やることはいっぱいある。
 薬師をしている秋夜の家には、たくさんの人が出入りする。
 城下の人たちや、瑠璃丸に暁月。
 それと……

「……おや、御使い様」
「翠炎!」
「ふふ、秋夜のお手伝いですか?」
「そう!」

 珍しく翠炎が顔をのぞかせた。

「……どうした?」
「いえ、うちに来る子の一人が、熱を出したと言うので……」
「そうか」

 軽く頷いて、秋夜は棚を探し、てきぱきと用意する。

「あまりに高い時だけ飲ませろ」
「承知しました」

 翠炎はにっこりと笑って微笑んで、真奈に向き直る。

「御使い様」
「何?」

 薬草をすりつぶしていた真奈が顔をあげると、翠炎は軽く真奈の頭を撫でた。慈しむように。

「たまには私のところにも来て下さいね?」
「わかった!」

 快諾に嬉しそうに微笑んでから、翠炎はゆっくりと歩き去った。
 後姿を見送ってから、またすり潰しに戻ろうとすると、今度は低めの声が響いた。

「……ここにいたのか」
「……雅刀っ?」

 仏頂面の軒猿が、真奈のすぐ近くにいつの間にか立っていて、真奈は驚く。
 秋夜も驚いたようだった。

「急患か?」

 雅刀がここに来ることは少ない。
 だから、秋夜も聞くのだが……雅刀は何故か罰が悪そうに顔を顰めて、顎鬚を掻いた。

「……いや」
「じゃあ、どうしたの?誰か風邪とか?」

 きょとんとした真奈の眼差しにも、雅刀は何も答えない。
 暫く沈黙していた後、翠炎と同じように、だが若干乱暴に、雅刀は真奈の頭を撫でた。

「―――あんたも、根を詰めすぎるなよ」

 そのまま出ていってしまう。
 真奈と秋夜は顔を見合わせた。

(……何だったんだろう)






 夕方まで、来客はひっきりなしだった。
 ようやく人も切れ、帰る頃合いになってきたので、真奈は立ち上がり、ふーっと息を吐き、とんとんと腰を叩いた。

「疲れたか?」
「ううん、大丈夫。今日もいっぱい来たね〜」
「……ああ」

 秋夜はちょっとだけ笑った。
 真奈はきっと、これが日常だと思っているのかもしれない。
 だけど、本当はちょっと違う。

「御使い様がいるからな」
「私?」

 秋夜は、微笑みのまま、頷いた。
 ちょっと前まで、秋夜だけがいる頃は、遠慮が先行するのか、姿をなかなか見せなかった老人たちも顔をこまめに出すようになり、子供の数も増えた。
 暁月たち軒猿も連絡でもないくせにしょっちゅう来るし、果ては主筋の弥太郎や謙信までが顔を出してくるようになった。

「そ、それって迷惑じゃない?」

 真奈が何故か顔を青くしている。
 秋夜は、理由が分からなくて、首をかしげた。……迷惑?

「…いや、賑やかなのも悪くない」
「そ、そう?よかった!」

 まるで百面相だ。真奈の表情はくるくる変わる。
 そして胸を温めてくれる。
 こんな日々がまだもう少し続けばいい。
 秋夜はそっと、そう思った。

                                       Fin.