2012.5.5
音也とトキヤはいいコンビです。わんこ具合が。
どこかの島の夏の合宿が終わって、オレたちは本格的な練習に入った。
―――何のって?
もちろん、卒業オーディションのさ!
そりゃ……七海とペアでパートナーが組めなかったのは……本音を言えば、ちょっと残念だったんだけどさ。
でも、いいんだ。
七海の歌が歌える。七海と一緒に音楽が作れる。
それだけでオレは本当に嬉しいし!
しかも、考えてみればあのメンバーで……って結構凄いことだと思わない?
真斗や那月に翔、そしてレンやトキヤまでいるんだよ!そこにオレ!
こんなメンバー、七海がいなかったら、絶対実現してないよね!
そんな風に、毎日充実しているオレだけど、今日はちょっとソワソワしていた。
バレンタイン狂想曲
「―――何をソワソワしているんですか、あなたは」
つい落ち着きなく辺りを見回していると、後ろから冷たい声がかかって、オレは思わず飛び上がってしまった。
「わあっ、あっ、と、トキヤ!」
だって、そうじゃない?
いきなりトキヤがいるなんて思わないでしょ。
ここはAクラスで、トキヤはもうSクラスに復帰したんだし。
トキヤはこれ見よがしにため息をついた。
「……相変わらず落ち着きがない上、挙動不審な人ですね。そんなことで大丈夫ですか?卒業オーディションはもうすぐなのですよ」
わかってるよぅ……。
だけど、今日は特別だと思わない?だって、バレンタインデーだよ!
まあね、トキヤはもてそうだから、こんな日に感慨なんかないのかもしれないけど、オレはやっぱりドキドキしちゃう。
チョコレートはもともと好きだけど、こんな日に好きな子から貰えたら最高じゃない!
誰から欲しいって、やっぱり七海!
七海、律儀だし、優しいし、几帳面だから、きっと絶対用意してくれてると思うんだよね!
いや、義理チョコだと思うけど……。
いくら恋愛禁止って言ってもさ、今日くらい盛り上がってもいいじゃない?
だけど……七海は朝からなかなかつかまらなくて、オレはついつい探してしまう。
いるといえば授業中とかで、休み時間になるといつの間にかいない。
うーん、どこ行っちゃったんだろう、七海……。
放課後になればレコーディングの約束があるけれど、それは他の人も一緒だ。
できれば二人で話したいと思うから、それまでに……なんて思っているんだけど。
「―――誰かお探しですか」
「えっ、あ、うん……な、七海を……」
またも急に声をかけられて、思わず裏返りそうになる声をオレは堪える。
くだらないことを、とか言いそうだったトキヤは、意外にも、ちょっとため息をついただけだった。
「……まあバレンタインですからね。君の気持ちもわかります」
「えっ、わかるのっ?」
そ、それってまさか、トキヤも七海のチョコを気にしてるとかっ?
思わぬ恋敵の出現の予感に、オレは一気に心臓を高まらせてしまった。
だって、トキヤだよ、トキヤ!
勝てそうにないっていうか……だって、トキヤって七海の好きなアイドルの双子の弟なんだよ!
そんなことを思っていたせいだろうか。
オレはとんでもない所に遭遇してしまった。
「あの……お呼び立てしてすみません、一ノ瀬さん」
「別に、かまいませんよ。何ですか、は……七海さん」
オレは知ってる。
最近、トキヤがずっと「春歌」って言いかけてはやめてること。
……むしろスッキリ呼んじゃえばいいのに。
それがトキヤの「思い入れ」みたいで、オレは少し動けなくなる。
そして、七海の笑顔が、いつもと少し、違うみたいで。
「はい、あの……チョコレートです!バレンタインの!」
予想通りの展開に、身体が固まる。
息を………吸えなくなる。
そんな音也に、トキヤだけは気づいていた。
(まったく……あれで隠れているつもりなんでしょうね、あの男は……)
ため息をついてしまう。
この自分の恋敵となるのなら、少しはそれらしくしてほしいものだ。
とはいえ。
「―――ありがとうございます、七海さん。嬉しいですよ」
「あっ……い、いえ、そんなっ……」
逃せないのだ。
自分にとっても、彼女は初恋の人。
心を救ってくれた、かけがえのないひと。
――――唯一の歌のパートナーにはなれなかったけれど。
「もしかして手作りですか?」
「は…はい、あの、お口に合えばよろしいのですが…」
「フ、君は謙虚ですね」
合うに決まってます。
なんて、馬鹿なことを。
にっこりと笑った顔を維持しつつ、トキヤは可愛いラッピングを解く。
「君から食べさせてもらえれば、もっと美味しくなるかもしれません」
「へっ!?あ、あの……!」
壁の向こうの影はまだ動かない。
動揺くらいはしたみたいだが、意気地のないことだ。
トキヤは冷徹にそんなことを考えるが、やられた春歌と音也はそうはいかない。
(な、ななな何考えてんだよ、トキヤぁっ……!)
(わ、私からって、そ、そそそそんな、どうすればっ……!)
春歌の真っ赤な可愛い顔と、恋敵のダメージを確認したトキヤは、とりあえずこれで満足することにした。
手の中には、愛しい春歌の手作りのチョコレート。
それが今は特別な意味でなくても、それで十分。
負ける気なんてしないから。
「―――半分冗談です。ありがとう、七海さん。いただいていきますね」
「は、はいぃ…」
見事に本音を織り混ぜた社交辞令で、トキヤは颯爽と立ち去っていく。
真っ赤な顔のまま、春歌はなかなかそこから動けずにいた。
「はー……」
朝の浮かれぶりもどこへやら、音也はすっかり落ち込んでいた。
春歌にチョコを貰いたいとか、
義理チョコでもいい!とか、
…………好きだとか。
そんなことを思うゆとりはかけらもなかった。
はぁ……弱……。
オレって前から、こんなだったかなぁ……。
うじうじして、こんな風にいじけたりして。
トキヤだけを七海が呼び出したって、そういうこともあるってわかってたはずなのに。
(分かってなかったかも…)
それでも、トキヤはHAYATOではないから―――
そんなことを考えていたのかも。
(あー、オレ、だめだーっ……!)
およそ初めての物思い。
今まで「自分だけのもの」にしたいものなんてなかったからこそ、持て余してしまう思い。
どうしていいか、欠片ほどもわからなくて、オレはとにかくぐだぐだだった。
そのとき―――
「音也くんっ!こんなところにいました!」
「七海……?」
息を切らして、春歌がかけつけたそこは、そんなに簡単に、誰もが見つかるような場所ではなかった。
たまに孤独になりたい音也が、こっそりと見つけていた死角になる場所。
見つかって欲しかったのか。
それとも、彼女が見つけてくれたのか―――
「ば、バレンタインのチョコです。見つかってよかった。渡したくて……」
「オレに…?」
「はいっ」
聞き間違いかと思った。
見間違いかと。
でもそれは、まぎれもなく、トキヤの手にもあったラッピングで―――
オレの胸はざわざわする。
いい意味にも、切ない意味にも。
でも、そうだ。
(今はギリだって、いいんだ。だって、この先もあるんだから!)
だって、春歌は笑ってくれている。
「ありがと、七海――――ハル!」
「……はいっ」
君に逢うまで知らなかったよ。
何か―――誰かを好きだと思って、それだけじゃ足りなくて、自分のものにしてしまいたい気持ち。
嫉妬して、やりきれなくて、切なくて。
いっそこんな気持ちなんて知らなくてよかったのにと思うほど。
だけど。
――――それを救ってしまうのは、いつだって、君なんだ。
オレは一呼吸で笑顔を浮かべて、七海―――ハルの手をぎゅっと握った。
「…………頑張ろうね、卒業オーディション!」
「はいっ!」
冬の木枯らしに優しい春の息吹が混じる―――
寒い冬を過ぎて、きっと暖かな春が来る。
だけど、きっと、ラブパッションは終わらない。