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――そうかもしれない。
思考は微かな誰何の声で中断された。
「誰だ」
「あ、私、千尋です・・・・」
「千尋?」
忍人は跳ねるようにして扉の前へ急いだ。千尋は書庫にいたのに。
「いったい、どうして・・・・・」
そして開けた扉の前の、千尋の姿に忍人は絶句する。衝撃は一瞬で、ほとんど反射で千尋の腕を引き、忍人は扉を閉めた。
「君は何を考えているッ!」
千尋は、いつもの衣装を脱いでいた。青い衣は千尋の肌に映えるが、恐らくこれは夜着。
まさかその格好で書庫にいたのか?
忍人の剣幕に千尋は固まったけれど、予想の範疇であったため、何とか堪えた。
「ご、ごめんなさい!怒らないで、忍人さん」
「これが怒らずにいられるか!・・・・・だいたい今を何時だと思っている。そんな格好で、夜に男の部屋を訪ねて。・・・風早め、君の教育を怠ったか・・・・」
忍人は口早に言いながら、自分の上衣を脱いで千尋に被せた。このままだと目のやり場が無い。
苛立ち混じりに風早への悪態まで口をつく。
「ごめんなさい、あの、どうしても今日、話があって・・・・」
千尋は着せられた忍人の衣を握りつつ、少し涙ぐむ。こんなに怒らせるなら、来なければよかった。
それかせめて、いつもの格好のままだったらよかったかも。
しかしこれは、千尋なりの決心なのだ。
後にひかないための。
「・・・・・まさかずっとその格好だったのか?」
「まさかっ!い、今です!」
どうしても気になったため、忍人は率直に聞くことにした。
千尋が真っ赤になって否定する。
書庫から自室に帰り、そこで着替えてまっすぐ来たのだ。
途中誰かに会いでもしたら、部屋に逃げ帰っていただろう。そういう格好である自覚は、ある。
千尋の全開の否定に、忍人は、はーっと深いため息をついた。
「・・・・話とは?」
正直に言うと、まだ頭が混乱していて千尋とは話したくなかった。しかし、話があるという千尋を無碍に追い返す真似も忍人には出来ない。
ごくっと、千尋は喉を鳴らした。
「・・・・千尋、って呼んではくれませんか?」
つい、言いやすい方を選んでしまう。忍人ははっとして、口元を押さえた。
「そう呼んで欲しいと、言っていたな。だが、俺は君の臣下だから・・・・」
「臣下なんて!・・・・そういうのも、私、嫌です」
いつになく頑なな千尋に、忍人は戸惑う。
「・・・・どうしたんだ?君らしくもない・・・」
ふと、書庫の話が頭を掠めた。
自分でさえ混乱した話だ。千尋もそうだったかもしれない。動転して、眠れなくてここにきたのか?
そうでなくとも明日は橿原に着く。緊張していて当然だ。
それなら、風早を呼んだ方がいいかもしれない。
自分よりもうまく宥めるだろう。忍人はそう判断して、黙ってしまった千尋の前から踵を返す。
「・・・・・ここで待っていてくれ。風早を呼んでくる」
千尋は勿論慌てて止めた。
「ま、待って!どうして風早?」
「どうしてって・・・・」
真正面から視線が絡み合い、どちらともなく慌てて視線を外した。
「・・・・・誰かの傍にいたいなら風早が適任かと・・・」
言いながら、忍人は何故か胸が痛むのを感じる。
いつだって千尋に頼られ、千尋の居場所も心も知る男。
最近ずっと苛立たされてきた男。
・・・・・・認めざるをえない。
(俺は風早に嫉妬している)
それは千尋への恋心の自覚でもある。
正直、こんなときに自覚したくはなかった。
死を受け入れる決意が鈍ってしまいそうになる。
「それなら最初から風早のところに行ってます!お願い、忍人さんがいいの・・・・!」
千尋が懸命に訴えて、忍人は躊躇う。
だが、二人きりではいたくなかった。
想いを自覚してしまえば、一層千尋が気になる。
こんな時に自分までもが千尋にとって衝撃であろう告白をして悩ませることにでもなったら、目も当てられない。
そうかといって、千尋を振り払うことは出来ない。
忍人は困り果てた。
こういうのは千尋にとって初めてで、本当はどうしたらいいのか分からない。
でも、時間が無いのだ。
「・・・・・ニノ姫?」
訝しげに返事を促した忍人に、千尋は思わず震えた。・・・・やめた方がいいのかもしれない。
「あ、相手は一人だ!かかれーッ!」
「―――さて、それはどうでしょうか?」
そこに割り込んだのは、こんな時も優雅な声音。
「柊!」
「ふふ、忍人、お元気そうで何よりです」
からかうような言葉に、忍人は一瞬切れかける。
本当はこのとき、間に合った安堵で柊は胸がいっぱいで、本気で嬉しかったのだが。
それを忍人は知るはずもない。
「何故ここにいるっ」
「君の加勢ですよ。君に何かあったら、我が君が嘆かれます」
「・・・・・・っ」
柊の行動理念は一貫している。
だが、これでは「何かある」と知っていたかのようではないか――
一瞬柊を疑いかけ、忍人は首を振った。
「忍人?」
急な行動に柊が首を傾げたのが視界の端に見える。
ぼんくらめ!敵を見ろ!
怒鳴りたいのを必死に堪える。
あの夜、書庫で、忍人はもう柊を疑わないと決めたのだ。
「――― 一撃で終わらせる」
「ええ、加勢してくださいよ?」
「お前はお前の敵を片付けろ!」
・・・・・やはり怒鳴らずにはいられない。
そうこうしつつ、十人ほどの男を斬り捨てた。
さすがに息が荒い。
次々とやられていく男たち、そして猛将の勢いに恐れをなして、常世の文官が後ずさる。
「逃がしませんよ」
駆けつけた風早がその腕を捕らえて、にっこり笑う。安堵して一瞬、姿勢を崩しかけた忍人を狙った男を、那岐の火が焼いた。
「ぎゃあああっ!」
「わあ、やりもやったり」
那岐は血に塗れた回廊を嫌そうに眺めている。
少し遅れて、遠夜が忍人に駆け寄った。
「・・・・・・・貴様ら、どうしてここに・・・」
巫医たる癒しの力で、忍人の呼吸が楽になっていく。風早が笑顔のままで頷いた。
「千尋がね・・・・・」
言いかけた声を、遠くからの千尋の絶叫が遮る。
「・・・・柊を捕まえてーっ!」
「我が君?」
咄嗟に動いた那岐と遠夜が柊を拘束する。
柊はわけが分からない。