秘密の籠絡







 ……明日の和議の後の事が気になるのは、忠度についてだけではない。
(あんたも熊野の男なら――か……)
 ヒノエは深く瞳を沈ませた。
 心にかかるのは望美のことだ。
 和議が成れば、彼女は還りたいと言い出すだろうか。その場合、自分はどうするか――
(浚うのも、還してやるのも……な)
 強引に浚って、泣く姿は見たくない。
 かと言って、彼女が還るとき、自分は果して笑顔で見送れるだろうか?
(泣かしたくないな……)
 ヒノエ自身にも意外だが、望美に関しては、いつもの恋と勝手が違った。
 手に入れるのが恋なのに、手に入らなくてもいいとさえ思う。
 それが彼女の願いを叶えるためなら、この想いは報われずともいいと思ってしまうのだ。
 だが、やはり欲しい気持ちも本当で。
 ヒノエは未知の情熱を持て余す。
「ちっ……」
 余裕のない自分が嫌で、ヒノエは舌打った。
 だから、そのとき飛び込んできた声を、ヒノエは最初、空耳だと思ったのだ。
「……てよっ、離して!」
 ―――だが、万一を思ってそちらを向いた瞬間、ヒノエは柄にもなく駆け出してしまっていた。
「望美っ……」
「もうっ…、あ、ヒノエくん!」
 助かった、とばかりに花のような笑顔を望美がこぼす。
 望美は酔っぱらった男二人に絡まれていた。
 掴まれた腕が、気に障る。
 ヒノエは駆け寄ると、男の腕を捻りあげた。
「汚ねえ手、どけろ」
「ひっ……」
 見知らぬ青年の鋭い眼光と、華奢なはずの腕の意外な力強さに男の一人がひるんだ。
「つ、連れがいたとは知らなかったんだよ!」
「目障りだ。さっさと行け」
「あ、ああ!」
 怯えた二人はヒノエが手を離すと、一目散に逃げ出した。
 ヒノエはふーっとため息をつく。
「―――姫君」
 低く押し殺された怒りの気配に、望美は小さく首を竦めた。
「あ、ありがとう。ごめんなさい…」
「こんな夜更けに、感心しないよ、姫君」
 運よく自分が通りがかったからいいものを…。
「どうせ、あいつらに姫君は剣は抜かないだろう?かどわかされても文句は言えないよ?」
 いつも甘いヒノエには珍しい小言に、望美は更に小さくなった。ご尤もである。
「ごめんなさい。あの、……すぐ戻ろうと思ったの」
「何する気だったのさ?昼にでも言ってくれてたらお供したのに」
 京邸にいる連中は何をしているんだ、と、ヒノエは深く息をつく。
 神子姫様は本当に目が離せない。
 望美心底反省した様子で、しょんぼりと目が伏せがちだ。
 ……その頼りなげな様子が、いかにもヒノエを煽りたてることにも気付かないまま。
 ヒノエもまた、目を逸らそうとして逸らせない。
 特にその、月に照らし出された白い肌に残る痕が。
 ―――気に入らない。
 望美がポツリ、呟いた。
「……ヒノエくんを、探してたんだよ」
 苛々していたヒノエは、その言葉を素通りさせかけた。―――待て。
 ……オレを?