それはすべてが終わった後。
 なめらかに国はその軌道を描き、これからもそれが約束されたと誰もが信じた頃。

 英雄であり、亡国の王女であり、救国の神子姫王は、こんなことを言い出した。

「私、リブと結婚するわ」

 ・・・・・・周囲は大いに慌てた。
 八葉というつながりに胡坐をかいていた者も、そうでない者も。

「君は何を考えているッ!」

 忍人の大喝はご尤もで。
 
「千尋・・・・もう国の王なんだって自覚、ある?」

 那岐さえも呆れ混じりに止めたほど。
 けれど千尋の決意は固かった。
 揺らぎさえしなかった。

「だってもう国は軌道に乗ったわ。王もやめないわ。それならいいじゃない?」

 保護者の風早に、当然みんなの視線は集中した。
 風早が居心地悪く、苦笑する。

「あー・・・はは、千尋は決めたら譲りませんからねえ・・・」

 それでもなおも止めようとする周囲に痺れを切らし、千尋はにっこり微笑んだ。
 ・・・・・傍目には。

「もう決めたの。いいよね?」

 ―――かくして、結婚の儀と相成るものの、常世の、それも一従者との婚姻は公にされず、千尋は王のまま二重生活を送ることになった。
 それが周囲と千尋の妥協点だったのである。




     潤滑油になった王



 千尋は憤慨していた。

(せっかく二人でいられるのに。そういうのって短いのに・・・・!)

 あれやこれや理由をつけられ中つ国に留まらざるを得ず、逃げようにも王の政務をおろそかにも出来ず、リブはリブでアシュヴィンの補佐に忙しい。
 二人が蜜月を過ごせるのは多くて月に5日といったところか。
 今日はその珍しい日。そうした珍しい日にリブが話す事といえば・・・・

(兵器、政務、アシュヴィン、戦略・・・・・!)

 勉強になることも多いから、聞くのは別に悪くない。
 が―――

(それ以外何もないって・・・・!!)

 千尋とて、少女。
 甘い言葉や優しい言葉、それらの雰囲気も少しは期待する。
 けれどそれらはゼロ。
 千尋としてはマイナスの領域に近い。
 
「もう・・・・リブのバカッ!」
「・・・・・っと、危ないな」

 ズカズカ歩きすぎて、角で人に衝突した。
 咄嗟に抱きとめられて事なきを得る。

「アシュヴィン?!どうしてここに?」
「俺が俺の宮にいて悪いか?」
「そうじゃなくて、東の部族との交渉は―――」
「あれなら終わらせた。リブがうまく繋いでいてくれたおかげだがな」

 嘆息しつつのセリフに、千尋の表情から色が抜ける。

「・・・・そ、う・・・・・」
「・・・・・どうした、浮かない顔だな」

 千尋は小さく首を振る。
 他人に話すことじゃない。

「何でもない・・・・」
「・・・・そんなわけないだろう、話せ。気になる」

 子どもっぽいようでいて、高圧的で、それでいて優しい声音。
 不思議と気持ちが軽くなって、少し涙の滲んだ顔で千尋はにこっと微笑んだ。
 
「ホントに大丈夫、ありがとう。・・・・部屋に戻るね」

 捕まえようと咄嗟に動いたアシュヴィンの手は空を切った。
 駆け去った千尋の背を、何となく立ち尽くして見送りながら。



「お疲れ様です、陛下」
「・・・・・リブ?!」

 しばし立ち尽くしたアシュヴィンが部屋に戻ると、リブがいつものようにお茶を用意していた。

「お前・・・・千尋は」
「や、部屋に行ったら追い返されまして。やることもないので、陛下にお茶をと」
「・・・・・・・・」

 リブの表情は常と特に変わらない。
 アシュヴィンは何だか面白くなかった。

 誰もが惹かれ、あるいは興味を持った白百合を手折り、その手に抱く権利を持っているくせに――

「千尋なら泣いていたぞ」
「・・・・・・・え」

 ここでようやくリブの表情が変わった。

「お前、ここはいいから行ってやったらどうなんだ」
「や、・・・・だからですね、追い返されまして・・・・」
「心当たりは?」
「は?」
「追い返される心当たりだ。ないのか?」

 重ねて問われ、リブはちょっと思案した。

「・・・・・特に」
「本当か?」
「ええ、その、・・・・さっぱり」

 出来る限りと話をして、お茶をいれて、それでいつもは千尋は笑顔で帰る。
 いつもと変わらないはずなのだが・・・・

「・・・・お前、あまり千尋を泣かせるな」
「泣かせたいわけでは、ないんですが・・・・はい」
「あいつの泣く顔は出来れば見たくない。大事に出来ないなら攫うぞ」

 アシュヴィンの視線とセリフにリブは息を詰めた。
 たわむれにこんな事を言う人ではない。
 ましてたわむれでさえ、常世と中つ国の王同士の婚姻は、リブと千尋の意義に勝る。
 そして自分は、この目が本気なことがわかってしまう―――

「・・・・冗談だ。・・・・たく、こんな時くらい『攫わせません』とか言ったらどうだ」
「や・・・・その、動転しまして・・・・」
「どうせ、王同士の婚姻の方がとか下らんことを考えたんだろう。・・・待て、リブお前・・・千尋の前でもそうなんじゃないだろうな?」
「そう・・・とは・・・」
「戦術や政務だらけということだ」
「あ、はい・・・よくそのような話は・・・・」

 ここでアシュヴィンには合点がいった。リブはまだよく分かっていない。
 それのどこに問題が?
 そんな顔をしている。
 アシュヴィンは苦虫を潰した。
 何で俺がこんな事を・・・・・!

「それが原因だ!・・・・早く千尋のところに行って愛してるとでも囁いてこい」
「えええ?!」
「千尋はお前が好きでここにいるんだ!もっときっちりそういうのも言ってやれ!」

 どうせお前のは遠まわしに過ぎる!
 アシュヴィンの機嫌はそろそろ絶頂に悪くなっていた。
 言えば言うだけリブは混乱し、アシュヴィンは苛々する。

「え、あの、陛下、ですから・・・」
「くどい!」

 一喝の後、放り出されるようにして閉めだされたリブは最初呆然としていたが、やがて、すっと立ち上がり、丁寧に頭をさげた。

「あの、ありがとうございます、陛下・・・よくお休み下さい」

 扉の内側で去る気配を感じながら、アシュヴィンはフンと鼻を鳴らした。
 何故こんな道化の役回りをせねばならないのか。
 こんな夜は柔らかい体でも抱いて眠るに限る。
 たとえその香りが白百合でなくとも――










「千尋様?」

 扉の外から窺うものの、いらえはない。
 リブは意を決して扉を開けた。
 ・・・応えがないはずだ。千尋は少し泣きながら眠っていた。

「・・・・千尋」

 本当は。
 本当は分かっている。
 常世の――彼女から国を奪った仇国の、それも一従者の自分が千尋に釣り合わない事。
 人前では呼び捨てにさえ出来ない。

「それでも、傍にいたいと思うんですから・・・・」

 ならばせめて役に立たねばといろんな話をするけれど。
 話し上手な方でないから、話せる話題も限られてしまうけど。
 お茶を淹れるくらいしか、思いつかないけど。
 それでも笑ってくれる、あなたが好きだ。

「好きです・・・・・」
「・・・・本当?」
「ち・・・・!?」

 思わず零すように呟けば、頬をたどっていた手を捕らえて、ぱっちりと目を開けた千尋がリブを見つめた。

「お、起きてたんですか?!」
「起きたの。・・・・ね、本当?」

 千尋の目は真剣だ。
 動揺していたリブも逃さない目。
 真実を見つめる目。
 ああ、これは自分が囚われた目。

「ほ、・・・・本当です。あの・・・・」

 言い連ねる前に千尋が背伸びしてリブに抱きついた。
 
「・・・・ありがとう」
「え・・・・?」
「リブ、政治の話ばっかりだもん。あと兵器とか、果てはアシュヴィンとか」
「は・・・それはその」
「ヤキモチやいちゃった。・・・でもそうだね、それがリブの仕事だもんね・・・」

 アシュヴィンが赴く前、東側が本当に剣呑だった情勢を千尋も知っている。
 短期にこれを収めたのは、もちろんアシュヴィンの手腕あっての事だろうが、影で奔走したリブの尽力のおかげであるとアシュヴィンは言っていた。
 きっとそれは本当に。
 それが彼の仕事。彼のやるべきこと。
 自分が王であるのと同じように。

「たまには好きって言って欲しかったの。それだけ・・・・」
「・・・・・・」

 リブは最前の王の表情が思い出されてならない。
 ・・・自分の主、仕えるべき君主は、きっとこの少女を愛している。
 きっと自分と同じ色の目をしている。
 気付いて手放しそうになった。
 でも、千尋を目にしただけで、どんな決意も瓦解する。
 他の何を譲れても、彼女だけは。

「私は・・・・あなたに何も差し上げられない。この身一つです。だから・・・せめてと思い、自分の得意分野だけでもお役に立とうと努めていたんです・・・・その、不安がらせてすいません・・・」
「そうだ・・・ったの?・・・でもリブ、言ってくれないとわからないよ」

 腕の中、かすかに千尋が笑う。
 それだけでこんなにも満たされる。
 心が凪いでいく。

「自分なりには言ったはずだったんですが・・・・」
「求愛だって分からなかったもん。さわりとか言って」

 思い出したのか、千尋がまた笑う。
 あのときの千尋の呆然として、ついで真っ赤になった顔を思い出し、リブも笑顔になっていく。

「・・・・好きです、千尋」

 すいません、陛下――
 背を押してくれた王に、ひっそりとリブは詫びる。
 どうあっても、この手は離せそうにないから。


 この後二人がどうなったかは――アシュヴィンの不貞寝が、すべてを物語る。


                                  fin.

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