「・・・・・・知盛殿っ!そのような無礼、許されぬぞ!」
「どちらが・・・・・かな。源氏の姫神を如何に処遇せよと仰せか・・・?」
「・・・・・・く!」
公卿が口惜しげに黙る。
知盛は殊更ゆっくりと背を向けた。
「・・・・・覚えておかれよ!」
捨て台詞まで、捻りのない。
フン、と、知盛は鼻を鳴らした。
戦の終わった宮中は退屈だ。
衣を競い、夜に濡れ・・・・
半年もたたぬうちに、知盛はこの生活に飽いていた。
心を決めるのは
「知盛っ?」
「ああ、神子殿・・・・暫し待たれよ」
京邸に先触れが来て程なく、庭に剣戟が響いた。
何事かと庭に出れば、弁慶と知盛が打ち合っている。
「ええっ?何してるの?!」
弁慶は薙刀。
知盛は両刀。
武器は違えど、互いに熟練者。
まるで剣舞を見ているかのようで。
「・・・・!・・・・・終わりですね」
薙刀をついに取り落とした弁慶が、若干悔しそうに微笑んだ。
「さすがは平知盛殿でした」
「そちらこそ・・・・武勇と知謀、僧籍に埋もれさすには惜しい、な」
知盛が優雅に剣を納めつつ、酷薄に笑う。
「僧籍を返上し、宮中に来るべきと俺は思うが・・・・?」
「まさか。僕は九郎を影から支えるだけで、手一杯ですよ」
「・・・・騒乱の種を生みし責任はいずれにあるや、か・・・・・」
「・・・・・・・・あなたは」
知っているのか。
弁慶の目が真剣味を帯びてすがめられた。
しかし知盛はもう弁慶を見ていない。
問う声は喉元に押し込められた。
・・・・底の知れない人だと弁慶は思う。
弁慶の武勇と知謀を惜しい、と知盛は言うが、それを知盛ほどに備えた男はいないだろう。
そして身分と美貌。
望美との恋仲が囁かれる今も、婿がねにと望む貴族は多いという。
いつの間にか望美を手にしてしまったことといい・・・・
「まったく、誰もが羨みそうな男ですね・・・・」
その知盛は望美に怒られつつ、奥に下がった。
弁慶はため息混じりに見送るしかない。
もしあの男がこの平穏に飽きたら―――思い、ぞくり、と弁慶は背筋を振るわせた。
一瞬知盛が弁慶を振り向き、凄艶に笑ったのとそれは同時だった。
*******
「もう、知盛ってば、どうしてあんなことしてるの!」
「宮中では、ろくな相手がおらんもんでな・・・・」
「将臣君は?」
「奴は政に忙しい・・・・」
「・・・・・知盛だって忙しいはずじゃないの?」
和議の当初こそちゃんと忙しそうにしていた知盛も、今やすっかりのんびりしている。
「・・・仕事はしているさ・・・・」
「・・・・それはそうなんだろうけど」
職分以上をこなそうとしていないのと、要領と。
将臣との違いはそのあたりなのだろう。
知盛が責任を放棄するとは望美にも思えないから、仕事しているのは本当なのだろうけど。
それでもちょっと、知盛の目が怖かった。
こうしている分には和んだ目を見せ、平穏に馴染んだように見えるのに。
「・・・・・似合うな」
「え、あ、コレ?・・・・ふふ、一番に出来上がったの!」
望美が不安に沈んでいると、知盛が何気なしに褒めた。
そう、今日の望美はいつもの神子の装束ではなしに、知盛の贈った表着を着ている。
重くて歩きにくいものの、やはりそこは女の子。
綺麗な着物は嬉しいし、好きな人から贈られたならば、尚の事。
「覚えてたんだね」
「・・・・俺が選んだからな」
「ありがとう、これ、とっても綺麗ね!」
今日、望美の纏う衣は豪奢でいて繊細。
知盛の思う、望美のイメージそのままだ。
伝統柄は残しつつも斬新で、艶やか。
着つけた望美に朔が感嘆のため息をついたほど。
知盛は望美につられるように、淡く笑んだ。
その微笑みは先程の酷薄さの欠片もない。
望美はほっとして擦り寄った。
「知盛にお返ししたいんだけど、何か欲しいものはある?」
「別にいらんさ・・・・」
そう言うと思った。
望美はぷうっと顔を膨らませる。
「クッ・・・・怒るな」
「・・・・だって」
軽く唇を触れ合わせて、宥めるように知盛が望美の頭を撫でた。
「・・・・子ども扱い!」
「これが効くと、有川は言っていたぜ・・・・?」
「知盛には嫌なの!」
「・・・・ほう」
そこはかとなく剣呑を増した知盛に望美は気付かない。
ぶつぶつと将臣への悪口を呟いている。
「有川はよくて、俺は嫌・・・・・か」
呟きは低く、不機嫌もあらわで望美はぎょっとする。
「ちょ、誤解しないでよっ?知盛にされて嫌なのは・・・!」
「有川ならばいいのだろう?」
それはそうだが、この場合、逆の方が問題があるのに。
この間初めて嫉妬を喜んでから、隠すことをしなくなった知盛はヤキモチ放題だ。
たいていは嬉しいが、こうして困ることもある。
「もう!知盛には恋人扱いして欲しいの!」
「・・・・・・・・」
「・・・・・何よ!もう!」
「何も・・・?照れる顔が愛らしい、と思っただけだ」
にやり、と笑う顔まで魅力的で、望美は顔を真っ赤にしながら怒ることもできない。
絶対分かってたのだ。
絶対言わせたかっただけなのだ!
・・・・・・嬉しそうにして!
「クッ・・・・・」
恋人扱いを、望む女は多かった。
擦り寄る女も、自分の様々な部分を欲しがる女も数知れない。
それは今も。
けれど、かつても今も、それに呆れや嫌悪を感じたことはあっても、喜びや嬉しさなど感じたことはない。
――――望美以外には。
「怒るな」
「呆れてるだけだもんっ」
「呆れるな」
無理!
言おうとした口を知盛が素早いキスで塞いだ。
やんわり唇を食まれ、ゆるゆると唇を開くと、待ち構えたように忍び込まれる。
甘い、甘いキス。
「・・・・・知盛はずるい」
「ほう・・・?」
「・・・・・ずるい」
望美は自分から伸び上がって知盛に口づけた。
一瞬離して、ねだる。
知盛はゆるく笑って、望美を抱き上げた。
「・・・・・最近、知盛が怖いよ」
ねだって連れられた塗籠で、望美は呟くように言った。
暗がりで表情はわからない。
知盛は答えなかった。
「ねえ、平和はそんなにも嫌?それに・・・・」
言いにくそうに望美は黙ったが、意を決したように顔をあげた。
「・・・・・・私以外とも、結婚するの・・・・?」
「・・・・・・・誰がそんなことを」
「・・・・・やっぱり本当なんだね」
知盛は違うなら否定する。
誰が、と聞いてきたなら話は少なくとも来ているのだろう。
嫌、と言いたいのを懸命にこらえた。
貴族階級ではよくあることなのだと聞いてもいる。
知盛の結婚は、政治の意味合いがきっと強い。
「・・・・・本当だとして、どうするんだ・・・・・?」
「・・・・・・・!知らないっ・・・・・」
意地悪な質問に、ついに涙がこぼれた。
嫌に決まっている。
知盛が誰かを妻と呼ぶ。
知盛が誰かを抱き、眠る。
思うだけで、心が千切れそうだ。
「・・・・・クッ、泣くくらいなら嫌と言えばいいものを・・・・・」
「だってっ・・・・・」
知盛の指が涙を掬う。
その感触さえ、誰にも渡したくないのに。
「・・・・・知盛は平和に・・・・この暮らしに飽きているのかもしれないって、思って・・・・・っ」
知盛の過去は退廃的で華やかだ。
今の暮らしに飽き、戦乱にも戻れないなら、そうした暮らしを彼は望むのでは。
望美はそう考え、脅えた。
戦乱を――戦いのなかでこそ生きている実感のあると言った知盛。
それは絶対にゆるしてやれない。
けれど、ならば、せめて―――
「随分欲のないことだな」
知盛はゆるく笑む。
言葉が本心なら、知盛は冷めたかもしれない。
けれど、欲のない言葉と逆に、望美の眼差しは叫んでいる。
結婚なんて許さない。
私だけの知盛でいて――・・・!
そのたぎるような独占欲が知盛を熱くさせる。
「そんなお前は、欲しくない」
「・・・・・・っ」
「だけど、俺を欲しがるお前なら・・・・俺は欲しい、ぜ・・・?」
突き放すように、試すように。
望美は「馬鹿!」と罵りながら抱きついた。
なんて男。ひどい人。
それでも。
「好き・・・・・っ」
「上等・・・・・・」
知盛はゆっくりと望美を抱き締めた。
「ともも・・・・・ンン・・・・、あ、やっ・・・・・・」
望美を膝に乗せて、知盛は首筋を辿る。
甘い声は涙を含んで、愛らしい。
「あ、ん・・・・・アアッ・・・・」
啼き声も、どんな女のものより知盛を興奮させる。
衣を解いてゆくと、望美が名残惜しそうにそれを見遣った。
「まだ・・・・着ていたいか?」
「・・・・・・それよりも、知盛が・・・・欲しいよ」
「クッ・・・・・それでこそ、俺の神子殿だ・・・・」
誰よりも、何よりも、知盛を飽きさせないもの。
欲しがられて、嬉しくなるなど思いもしなかった。
こんなにも欲しくなるなど、想像もしなかった。
熱く甘く求め合う。
知盛を望美は離さなかったし、知盛は望美を煽り続けた。
蕩ける瞳で望美が懸命に知盛をねだる。
―――限界なのは知盛も同じ。
叩き込めば望美が歓喜に身を震わせた。
「・・・・・相変わらず、溺れそうな体だな・・・・・」
知盛でさえ、長くはもたない。
もちろん物足りなくて、2戦3戦といくのはいつものこと。
望美の不安、弁慶の懸念は正しい。
知盛はそろそろ飽きてきている。
平安に。
この京に。
知盛を飽きさせないのは、今のところ望美だけだ。
それなのにその望美を取り上げようとする輩までいる始末。
いい加減飽きを越えて、剣呑な思惑まで湧いてきた。
けれど・・・・
「あ、はっ・・・・・ア・・・・ああ・・・・ッ」
望美はそれを、厭うだろう。
望美が語ったここでない時空でのように、自分の敵にさえなるかもしれない。
それは御免こうむりたい。
もう望美を手放せるはずもないのだから。
――――ならば道は決まっていた。
「・・・・・・戦よりもお前が欲しい」
思考を止め、深く抽送しがてら花芽を摘むと望美は高く啼いた。
知盛に纏わりつく秘肉がきつく締まり、知盛を導く。
知盛は一度引き抜き、望美の体を返した。
・・・・・話すのも、休むのも、後。
今は溺れていたい。
溺れさせていたかった・・・・・――
知盛の腕の中で望美が目を覚ましたのは、月が中天にかかる頃。
次の春を待たず、二人は異界に旅立つことになる。
それを朔が知ったのは、それより更に遅く、翌日の昼を過ぎてからだった。
Fin.