拍手 2009春





那岐編




 もしかしたらこの先にいるのかもしれない・・・・。
 千尋はちょっとした期待と、確信を込めて小道を行く。

 木漏れ日の暖かな場所。
 風の通る涼しい場所。

 季節によって多少違うが、那岐が昼寝しているのは、おおむねそういった居心地いい場所だ。
 しかも、人知れぬ場所を探してしまうのだから凄い。
 情熱だなあと半ば感嘆する。

「・・・・・・・いた」

 道の途切れた湖の畔。
 ちょっと死角になった場所で那岐が昼寝している。
 見つけて嬉しくなって、千尋はちょこんと那岐の傍に腰を下ろした。


 ―――風が通る。
 こんなにゆったりした気分になるのは、即位してから久しぶり。
 初めてかもしれない。


 心地よい場所と大切な人の傍は、相乗効果で安らかな眠りを誘い出す。
 千尋の傍だと那岐は起きない。
 千尋はちょっとそれを自慢に思っている。

「ふぁ・・・・・」

 ちょっとならいいよね・・・・・?
 眠気に負けた千尋はそっと那岐の肩に頭を乗せた。
 そのままそっと、目を閉じる。




 寄り添い眠る、金の恋人たち。
 あまりに安らかな眠りに、時機を逸した那岐が少しだけ苦笑。
 また眠る。
 千尋の傍で眠るのは久しぶり。






 いつの間にか那岐に膝枕されていた千尋が慌て、那岐が交代膝枕を要求するのは、既に夕暮れの頃。
 今はまだ、昼下がり。








柊編





「・・・・・・・・おや?」

 柊の在所。
 それは大概天鳥船の書庫である。
 星の一族のさだめを背負う身だからか、はたまた趣味か、柊はよくそこで書を紐解いている。

 そこに眠る、雛鳥の君。
 柊の唯一絶対君主。

「こうしてみると、あどけないのですがね・・・・」

 先の女王のごとき威厳はない。
 狭井君のような老獪はない。
 師君のような威容もない。
 一の姫のような貫禄もない。


 ただ幼いだけの、異世界で隠されてきた少女。


 なのに時折、柊さえも膝を折りたくなる。
 誰をも圧倒する強さはない。
 誰をも納得させるものは何一つない。
 なのに誰もが、いつしか姫に引き込まれていった。


 それは冬の太陽が、その儚い日差しでほんのりと皆を暖めていくようで。
 いつのまにか、敵将さえも、姫のもとに。
 柊もまた、その陽だまりにとらわれた一人に過ぎない。

 柊は本にうつぶせて寝る千尋を触りたい衝動でうずうずする。
 でも、連日頑張る千尋の、僅かな眠りを妨げるわけにもいかない。
 それでもかなり躊躇ったが、渋々柊は我慢する。


 たまに羽織る、上掛けをそっと持ってくると、壊れ物に被せるかのように慎重に千尋にかけた。
 千尋は僅かにむずがり、身じろぎしたが、どうにかこうにか、再びの眠りの淵へ。
 そしてその場をそっと離れた。
 ここにいたら、いつか起こしてしまいそう。
 接吻のひとつもしかねない己を、柊はたっぷり自覚している。





 千尋がふと気付くと、思ったよりぬくかった。
 そのぬくもりの理由に気付いて、千尋は慌てて口元を拭う。
 ・・・・・・何もない。
 よかった。
 これをかけてくれた誰かに、醜態を見せたりはしなかったようだ。

 そして気付く。
 いつも意地悪な男の香り。
 最近気になる、軍師のそれ。

「・・・・・・・・・・柊」

 千尋はちょっと顔を赤くする。
 かけてくれたのは彼なのだ。
 嬉しいやら、恥ずかしいやら。


   よし、と躊躇ってから決意して、上掛けを手に、千尋は柊を探すため立ち上がった。







アシュヴィン編






「寝てる・・・・・・・」

 差し入れを持ってきた千尋が静かに部屋に入ると、アシュヴィンが椅子にもたれたまま、うたた寝をしていた。
 机には書きかけの書類。
 疲れているのだ、きっと。

「・・・・・・・読めないや」

 ではせめて代わりにと、書類を仕上げてあげたいと思ったものの、字が難解で千尋には読むことさえ出来ない。
 千尋は自分の無能に嘆息する。
 自分がもうちょっとよく出来たら、アシュヴィンももうちょっと楽が出来るのだろうか?
 それとも他の仕事をして、結局忙しさは変わらないことになったり?


 ・・・・・・・ありうる。


 リブの心酔する主。
 自分の夫。
 常世の絶対王に逆らう者。
 彼は自分を使いすぎるのだ。


「困った人」

 言いつつ、傍からは離れられない。
 きっといない方がいいのだろうけど。


   いつも冷徹に見えるほど研ぎ澄まされた瞳は、今は隠されている。
 傲慢な笑みがこの上なく似合う唇も、今は薄く開いて、その影はない。
 頬の稜線が綺麗で、浅黒い肌が妙に色っぽくて、千尋はドキドキする。
 目が逸らせない。


   妙な勇気がちょっと湧き、千尋はそっと口づけた。
 体温の低い、一番魅力的だと思う唇へ。


 内心できゃあきゃあ恥ずかしく騒ぎ、千尋はそそくさと逃げた。
 今度はアシュヴィンを見られなくなった!
 ここは退散である。







「・・・・・・・・・・何をしてくれるんだ、あいつは・・・・・・・」

 寝込みを襲われた皇子は、思ったよりも恥ずかしい、千尋からの初々しいキスに悶絶する。
 とっさに反応できなくて、狸寝入りを続けてしまったではないか。

「・・・・・・・・・・」

 政略婚が、始まりだったのに。
 今はもう、こんなキスですら愛しい。


 アシュヴィンはもうぬくもりの消えた唇にそっと手を当てる。
 そして浮かんだ、不敵な笑み。

「―――見てろ」

 千尋を中つ国に帰さない。
 絶対自分だけのものにする。


 アシュヴィンはすっきり冴えを増した頭で、目の前の書類を片付け始めた。