もしかしたらこの先にいるのかもしれない・・・・。
千尋はちょっとした期待と、確信を込めて小道を行く。
木漏れ日の暖かな場所。
風の通る涼しい場所。
季節によって多少違うが、那岐が昼寝しているのは、おおむねそういった居心地いい場所だ。
しかも、人知れぬ場所を探してしまうのだから凄い。
情熱だなあと半ば感嘆する。
「・・・・・・・いた」
道の途切れた湖の畔。
ちょっと死角になった場所で那岐が昼寝している。
見つけて嬉しくなって、千尋はちょこんと那岐の傍に腰を下ろした。
―――風が通る。
こんなにゆったりした気分になるのは、即位してから久しぶり。
初めてかもしれない。
心地よい場所と大切な人の傍は、相乗効果で安らかな眠りを誘い出す。
千尋の傍だと那岐は起きない。
千尋はちょっとそれを自慢に思っている。
「ふぁ・・・・・」
ちょっとならいいよね・・・・・?
眠気に負けた千尋はそっと那岐の肩に頭を乗せた。
そのままそっと、目を閉じる。
寄り添い眠る、金の恋人たち。
あまりに安らかな眠りに、時機を逸した那岐が少しだけ苦笑。
また眠る。
千尋の傍で眠るのは久しぶり。
いつの間にか那岐に膝枕されていた千尋が慌て、那岐が交代膝枕を要求するのは、既に夕暮れの頃。
今はまだ、昼下がり。
「・・・・・・・・おや?」
柊の在所。
それは大概天鳥船の書庫である。
星の一族のさだめを背負う身だからか、はたまた趣味か、柊はよくそこで書を紐解いている。
そこに眠る、雛鳥の君。
柊の唯一絶対君主。
「こうしてみると、あどけないのですがね・・・・」
先の女王のごとき威厳はない。
狭井君のような老獪はない。
師君のような威容もない。
一の姫のような貫禄もない。
ただ幼いだけの、異世界で隠されてきた少女。
なのに時折、柊さえも膝を折りたくなる。
誰をも圧倒する強さはない。
誰をも納得させるものは何一つない。
なのに誰もが、いつしか姫に引き込まれていった。
それは冬の太陽が、その儚い日差しでほんのりと皆を暖めていくようで。
いつのまにか、敵将さえも、姫のもとに。
柊もまた、その陽だまりにとらわれた一人に過ぎない。
柊は本にうつぶせて寝る千尋を触りたい衝動でうずうずする。
でも、連日頑張る千尋の、僅かな眠りを妨げるわけにもいかない。
それでもかなり躊躇ったが、渋々柊は我慢する。
たまに羽織る、上掛けをそっと持ってくると、壊れ物に被せるかのように慎重に千尋にかけた。
千尋は僅かにむずがり、身じろぎしたが、どうにかこうにか、再びの眠りの淵へ。
そしてその場をそっと離れた。
ここにいたら、いつか起こしてしまいそう。
接吻のひとつもしかねない己を、柊はたっぷり自覚している。
千尋がふと気付くと、思ったよりぬくかった。
そのぬくもりの理由に気付いて、千尋は慌てて口元を拭う。
・・・・・・何もない。
よかった。
これをかけてくれた誰かに、醜態を見せたりはしなかったようだ。
そして気付く。
いつも意地悪な男の香り。
最近気になる、軍師のそれ。
「・・・・・・・・・・柊」
千尋はちょっと顔を赤くする。
かけてくれたのは彼なのだ。
嬉しいやら、恥ずかしいやら。
よし、と躊躇ってから決意して、上掛けを手に、千尋は柊を探すため立ち上がった。
「寝てる・・・・・・・」
差し入れを持ってきた千尋が静かに部屋に入ると、アシュヴィンが椅子にもたれたまま、うたた寝をしていた。
机には書きかけの書類。
疲れているのだ、きっと。
「・・・・・・・読めないや」
ではせめて代わりにと、書類を仕上げてあげたいと思ったものの、字が難解で千尋には読むことさえ出来ない。
千尋は自分の無能に嘆息する。
自分がもうちょっとよく出来たら、アシュヴィンももうちょっと楽が出来るのだろうか?
それとも他の仕事をして、結局忙しさは変わらないことになったり?
・・・・・・・ありうる。
リブの心酔する主。
自分の夫。
常世の絶対王に逆らう者。
彼は自分を使いすぎるのだ。
「困った人」
言いつつ、傍からは離れられない。
きっといない方がいいのだろうけど。
いつも冷徹に見えるほど研ぎ澄まされた瞳は、今は隠されている。
傲慢な笑みがこの上なく似合う唇も、今は薄く開いて、その影はない。
頬の稜線が綺麗で、浅黒い肌が妙に色っぽくて、千尋はドキドキする。
目が逸らせない。
妙な勇気がちょっと湧き、千尋はそっと口づけた。
体温の低い、一番魅力的だと思う唇へ。
内心できゃあきゃあ恥ずかしく騒ぎ、千尋はそそくさと逃げた。
今度はアシュヴィンを見られなくなった!
ここは退散である。
「・・・・・・・・・・何をしてくれるんだ、あいつは・・・・・・・」
寝込みを襲われた皇子は、思ったよりも恥ずかしい、千尋からの初々しいキスに悶絶する。
とっさに反応できなくて、狸寝入りを続けてしまったではないか。
「・・・・・・・・・・」
政略婚が、始まりだったのに。
今はもう、こんなキスですら愛しい。
アシュヴィンはもうぬくもりの消えた唇にそっと手を当てる。
そして浮かんだ、不敵な笑み。
「―――見てろ」
千尋を中つ国に帰さない。
絶対自分だけのものにする。
アシュヴィンはすっきり冴えを増した頭で、目の前の書類を片付け始めた。