桜が、誘う。
暗い闇に白く浮かんで。
桜が、誘うの。
きっとあなたに出逢えると―――
桜恋夜
不意に千尋は目が醒めた。
それは突然で、当然。
(明日は執務が早くからある)
知っているのに、千尋はそのまま目を瞑ろうとしなかった。
窓から舞い込んだ桜に目を奪われる。
(明日には散ってしまいそう・・・・)
桜は、少し怖い。
吸い込まれそうなほど美しく、昼も夜も、その姿は絢爛で。
―――繚乱。
千尋は夜着の上に厚手の布を羽織ると、ふらり、立ち上がった。
桜が呼んだ気がした。
☆
「・・・・・・・・どうしてここにいるの?」
「それは、こちらのセリフだが」
端的なセリフ。
闇の中、昼よりも尚白い美貌。
常世の誇る火雷・ナーサティヤが、桜の下に佇んでいた。
今彼は、常世の将ではないけれど。
「私は・・・・目が醒めたの」
千尋の言葉に彼はそっと笑った。
答えになってない。
言ってやるべきか、否か。
暗闇に千尋の金髪が揺れる。
か細いその体が、どうしてだか、そこだけが切り取られた絵画のように鮮明で。
ナーサティヤは沈黙する。
見惚れたのかもしれない。
桜が散り敷く、幽玄の闇。
この世のものではないどこかであるような、錯覚。
それが二人を、少なくともナーサティヤを惑わせる。
「サティは?」
柔らかく千尋が尋ねた。
「・・・・・・に、・・・・し・・・から」
「えっ・・・?」
答えた言葉のほとんどを、突然の桜吹雪が攫った。
千尋は聞き取ろうと足を進める。
風に煽られた白い肌が、夜目に眩しい。
その幽艶に、惑う――――
「サテ・・・・・・ィ・・・・・」
口づけは、突然。
でもそれは優しくて、思わず千尋は目を見開いたままそれを受け入れていた。
離れた後も、瞬き一つできない。
間近の美貌に吸い込まれたのは、どちらだろう。
―――二度目の口づけは、どちらから、だろう・・・・・
桜は不思議な花だ。
常世にはない花。
常世が枯れる、その前からも、あの美しい花はなかった。
「っ・・・・・・ふう・・・・あっ・・・・」
甘く、重く、柔らかく。
花びらは降り敷いて。
花吹雪が、逢瀬を隠して。
「ああっ・・・・、サティ、サティ・・・・!」
甘く乱れる桜の姫。
火雷の上でその肢体は可憐に踊った。
金糸が闇に舞い、白い体は桜色に染まっていく。
元の色がそもそも桜だったのかと思うほど、それは千尋によく似合う。
「あ、アアッ・・・・・・、だ、め、もう・・・・・」
「そう、啼くな・・・・千尋」
名前を呼んだ途端、千尋が甘く震えた。
沈めて久しい自身が締め上げられて、ナーサティヤは微笑する。
「そんなに喜ぶことか・・・?」
「だって、初めて・・・・っ!・・・・・ンン!」
そうだっただろうか。
いつからか重ねた体。
惹かれ、惹かれあった奇跡。
幾度も呼んでいた気がしていたのに。
「初めてだよっ・・・・」
千尋が非難と艶の入り混じる涙目で、ナーサティヤを睨む。
仕草のどれもが愛しいから、それは抗議にならないと、千尋は知っているだろうか。
ナーサティヤは目の前で揺れる儚いふくらみを優しく舐めた。
「あっ・・・・・!」
そして速度を速め、千尋を再び煽りだす。
千尋が乱れ、甘く呼ぶ名が自分だけであることが嬉しかった。
それがなければ、去っていた国。
捨て去っていたであろう命。
「や、サティ、きちゃ、きちゃうっ・・・・・!」
千尋がいつも怖がるように迎える頂点を、今日は躊躇なく駆け上がらせる。
千尋は緩まないそのスピードのまま、可憐な嬌声をあげた。
「・・・・ねえ」
桜の下、まだ二人は寄り添って。
千尋はナーサティヤに甘えるように、そのさらされた胸板に頬ずりした。
「どうしてここに、いたの?」
またそれか。
困ったようにナーサティヤは微笑んだ。
珍しい表情に、千尋は目を瞬かせた。
「・・・・・・言いにくいの?」
「ああ・・・・言いにくいな・・・・」
千尋は僅かに沈黙した。
そして。
「誰かと・・・・会う、つもりだったとか・・・?」
一瞬瞠目したナーサティヤは、これも彼には珍しく、声を立てて笑った。
言いながら傷ついていた千尋は、機嫌のいい火雷にむくれる。
しかしその瞬間、耳元に落とされた言葉に絶句。
怒りを忘れ、微笑んだ。
―――どうしてあそこにいたの?
『・・・・・お前に逢える気が、したから』