桜が、誘う。
暗い闇に白く浮かんで。

桜が、誘うの。
きっとあなたに出逢えると―――






桜恋夜






不意に千尋は目が醒めた。
それは突然で、当然。

(明日は執務が早くからある)

知っているのに、千尋はそのまま目を瞑ろうとしなかった。
窓から舞い込んだ桜に目を奪われる。

(明日には散ってしまいそう・・・・)

桜は、少し怖い。
吸い込まれそうなほど美しく、昼も夜も、その姿は絢爛で。

―――繚乱。

千尋は夜着の上に厚手の布を羽織ると、ふらり、立ち上がった。
桜が呼んだ気がした。













「・・・・・・・・どうしてここにいるの?」
「それは、こちらのセリフだが」

端的なセリフ。
闇の中、昼よりも尚白い美貌。
常世の誇る火雷・ナーサティヤが、桜の下に佇んでいた。
今彼は、常世の将ではないけれど。

「私は・・・・目が醒めたの」

千尋の言葉に彼はそっと笑った。
答えになってない。
言ってやるべきか、否か。

暗闇に千尋の金髪が揺れる。
か細いその体が、どうしてだか、そこだけが切り取られた絵画のように鮮明で。
ナーサティヤは沈黙する。
見惚れたのかもしれない。

桜が散り敷く、幽玄の闇。
この世のものではないどこかであるような、錯覚。
それが二人を、少なくともナーサティヤを惑わせる。

「サティは?」

柔らかく千尋が尋ねた。

「・・・・・・に、・・・・し・・・から」
「えっ・・・?」

答えた言葉のほとんどを、突然の桜吹雪が攫った。
千尋は聞き取ろうと足を進める。
風に煽られた白い肌が、夜目に眩しい。
その幽艶に、惑う――――


「サテ・・・・・・ィ・・・・・」


口づけは、突然。
でもそれは優しくて、思わず千尋は目を見開いたままそれを受け入れていた。
離れた後も、瞬き一つできない。
間近の美貌に吸い込まれたのは、どちらだろう。

―――二度目の口づけは、どちらから、だろう・・・・・










桜は不思議な花だ。
常世にはない花。
常世が枯れる、その前からも、あの美しい花はなかった。

「っ・・・・・・ふう・・・・あっ・・・・」

甘く、重く、柔らかく。
花びらは降り敷いて。
花吹雪が、逢瀬を隠して。

「ああっ・・・・、サティ、サティ・・・・!」

甘く乱れる桜の姫。
火雷の上でその肢体は可憐に踊った。
金糸が闇に舞い、白い体は桜色に染まっていく。
元の色がそもそも桜だったのかと思うほど、それは千尋によく似合う。

「あ、アアッ・・・・・・、だ、め、もう・・・・・」
「そう、啼くな・・・・千尋」

名前を呼んだ途端、千尋が甘く震えた。
沈めて久しい自身が締め上げられて、ナーサティヤは微笑する。

「そんなに喜ぶことか・・・?」
「だって、初めて・・・・っ!・・・・・ンン!」

そうだっただろうか。
いつからか重ねた体。
惹かれ、惹かれあった奇跡。
幾度も呼んでいた気がしていたのに。

「初めてだよっ・・・・」

千尋が非難と艶の入り混じる涙目で、ナーサティヤを睨む。
仕草のどれもが愛しいから、それは抗議にならないと、千尋は知っているだろうか。
ナーサティヤは目の前で揺れる儚いふくらみを優しく舐めた。

「あっ・・・・・!」

そして速度を速め、千尋を再び煽りだす。
千尋が乱れ、甘く呼ぶ名が自分だけであることが嬉しかった。
それがなければ、去っていた国。
捨て去っていたであろう命。

「や、サティ、きちゃ、きちゃうっ・・・・・!」

千尋がいつも怖がるように迎える頂点を、今日は躊躇なく駆け上がらせる。
千尋は緩まないそのスピードのまま、可憐な嬌声をあげた。






「・・・・ねえ」

桜の下、まだ二人は寄り添って。
千尋はナーサティヤに甘えるように、そのさらされた胸板に頬ずりした。

「どうしてここに、いたの?」

またそれか。
困ったようにナーサティヤは微笑んだ。
珍しい表情に、千尋は目を瞬かせた。

「・・・・・・言いにくいの?」
「ああ・・・・言いにくいな・・・・」

千尋は僅かに沈黙した。
そして。

「誰かと・・・・会う、つもりだったとか・・・?」

一瞬瞠目したナーサティヤは、これも彼には珍しく、声を立てて笑った。
言いながら傷ついていた千尋は、機嫌のいい火雷にむくれる。
しかしその瞬間、耳元に落とされた言葉に絶句。
怒りを忘れ、微笑んだ。


―――どうしてあそこにいたの?






『・・・・・お前に逢える気が、したから』