ある日の朝、いつも通りに忍人は修練場に向かう。
将軍職にある彼は、兵の修練だけに付き合ってはいられない。
戦時中ならばいざ知らず、国が復興してからは、軍事にも政治―――机仕事が多く絡むものだ。
といって、鈍るのも御免であるし、その責任感からも、忍人は午前中はなるべく修練場に顔を出す。
兵たちもそれを歓迎してくれている―――はずだった。




君が望みのすべて




「忍人様は立ち入り禁止なんですっ」
「・・・・・・・何故だ」
「姫・・・・・・ちが、王のご命令なんですっ」

いつも一番に駆け寄る足往が、忍人が修練場に入ろうとするのに通せんぼした。
忍人はぴくり、と反応する。
千尋の命令・・・・・?

「どういうことだ」

千尋が体を心配しているのは承知している。
しかし、修練に出るのを今更禁じるとは?

「え、えっとあの、・・・・・忍人様はお休みなんですっ!」

忍人の視線に屈したように足往が半泣きで叫んだ。

―――お願いね、足往。

王となっても気安く微笑んでくれる千尋の笑顔のために、足往はひけない。

「休み?いらん!」
「駄目なんですーっ!」

どうしたって入らせるわけにはいかない。
どうしても今日は、と言われているのだ。
直々の、しかも命令でなくお願いなのだ・・・・!

「・・・・・・・・埒が明かん」

いつになく頑固な足往の説得を諦め、忍人は踵を返した。
王の命令だというなら、千尋に撤回させるまでだ。

一応は入ることなく向こうに行った忍人に足往はほっとした。
怒っている様子は怖かったし、足往だって一緒に修練したかったが、千尋のお願いには代えられない。
使命を終えた足往は、胸を撫で下ろすと修練所に入り、自分の修練に戻った。






一方、忍人は憤慨していた。
千尋の元に行く間、道すがらに関連の部署を通るたび、通せんぼされるのだ。
寄ろうとしたら、中から道臣が猛ダッシュで飛び出てきたりもした。
寄る気もなかったが、書庫にさえ「忍人お断り」なんて扉に貼られていたりする。
寄る・寄らないに関わらず、おおむね入る前から禁止をくらい、忍人はキレかけである。
どうしてここまで理不尽な目に。
体のことなら修練場の禁止だけで事足りるものを。

――――したがって。

「千尋ッ!」
「きゃあ!はいっ!」

入室の挨拶が挨拶でなくなってしまったのは忍人のせいではないかもしれない。
飛び上がらんばかりの勢いで千尋が答え、傍らの風早と那岐が苦笑する。

「いらっしゃい、忍人」
「・・・・・・いたのか」
「ええ」

余人がいたと認識したことで、爆発しかけていた怒りは水を差された。
千尋は那岐の校正を待っているようだ。
書類を書く手は止まり、忍人に笑いかける。

「もうちょっとですからね?待ってて、忍人さん」
「何がもうちょっとだ?君は皆に何を命令した!」

それでも問う語調は強くなった。
忍人の怒り様に、皆頑張ってくれたんだな〜と、千尋は怖がらず、逆にほわほわする。
千尋が答える前に、那岐が書類を返した。

「はい、大丈夫だったよ。狭井君に渡してきたら?」
「ありがとう、那岐。じゃあちょっと行ってくるね」
「気をつけて、千尋」

風早ににこっと笑って、千尋は忍人の横を小走りにすり抜ける。
とても急いでいるようだ。

「・・・・・・・・風早?」

何か知っていそうな様子の風早に低く問いかける。
風早が苦笑し、那岐が答えた。

「―――あんたの誕生日だろ、今日」
「誕生日・・・・・?」
「向こうの習慣では、誕生日を祝うんです。年の変わり目ではなく」

風早が言い添える。

「千尋がそれならせめてお休みを、って言い出したんですよ」
「・・・・・・・・それでか」

皆が休みだ、休みだと言う訳が分かった。
千尋の暮らした世界の風習だったのか。

「・・・・・・・それで、これが俺たちからの贈り物です」
「ただいま――――きゃ!」

帰ってきた千尋を、風早はぐいっと忍人の方へ押しやって微笑んだ。
那岐が意味深に笑う。

「千尋付きの休日。・・・・・まさかいらないなんて言わないだろ?」
「・・・・・・っ」
「そ、そういうわけなんです、忍人さん!」

流れを把握した千尋が、身を反転させて忍人に真向かった。
何処でも付き合います。そう言って笑う。
忍人は風早と千尋と那岐を見比べて―― 一気に赤面した。
ある日の相談が甦る。

「ふ、不謹慎な・・・・・!」
「別にそういう休みでなくてもいいけど?」
「ッ・そういう休みとはなんだ!」
「言って欲しいの?」
「・・・・いらんッ!」

一気に白熱した舌戦に、千尋が目を白黒させる。
い、いないほうがいいのかな?

千尋の不安そうな目を、風早が目敏く見つけた。

「――――忍人」

何だッ!と、がなりかけた忍人も、風早の視線に込められた言葉に気付く。

「・・・・・・・っ、千尋、行くぞッ!」
「あ、・・・は、はい!」

傷つけたりする気は忍人にだってない。
恥ずかしさも全部堪えて、忍人は千尋の手を引いて部屋を出た。
・・・・・・・・・後日色々からかわれるだろうことはわかっていたけれど。









「わあっ・・・・・」

忍人が千尋を連れて出たのは高台だった。
恵み豊かな中つ国。そして宮殿。
そのすべてを見晴らすことの出来る、絶景。

「こんな近くにこんなところがあったなんて!」

千尋は屈託なく笑う。
ここ最近の王の装束を脱いだ千尋は将軍の装束でもない。
とても身軽な服をしていて、忍人の視界にとても華奢に映った。
この痩躯、幼い体に、眼下の国ひとつ、圧しかかっているのだ。
そう思うと、多少の憐憫を感じてしまう。
千尋はよくやっている・・・・・やってくれた。
こんなに凪いだ気分で過ごせる日が来ると、昔は思わなかった。
だから千尋に、忍人は感謝している。
いや、感謝だけでなく・・・・

「君の国だ。君の、導いていく―――」
「私たちの、ですよ」
「・・・ああ、そうだ、そうだな」

輝くような笑顔は凍りついた心も溶かし、いつの間にかかけがえのない存在になっていた。
国のために生きようとしていたのに、忍人は今、千尋のために生きたい。

「・・・・・君のいた国では」
「え?」
「君のいた時空では、生まれた日は休みなのか?」

気になっていた事を問うと、千尋はにこっと微笑んだ。

「ううん、違いますよ。でもこう・・・特別な日で、その日はお祝いなんです。贈り物を貰えたり・・・」
「贈り物?・・・・・・そういえば風早がそんなことを」
「はい。でも忍人さんの欲しいものってわからないし・・・・お休みでどうだろうって」

私までお休みで、何だかおかしいですけどね。
そう千尋は笑った。

「いや・・・・・それが一番の贈り物だ」
「ホントに?よかった!」

冗談でなくそうだった。
千尋といられる―――それも、心置きなく。
それは想像以上に、嬉しかった。

「誕生日とはいい習慣だな」

全員が一様に年をとるのとは違い、その人だけの記念日というのは、確かに特別な気がする。
贈り物やお休み。
何かを贈られたり、許されたりする日なのだろう。
忍人は少し思案し、決めた。
そっと千尋の顎をとらえ、優しく口づける。
千尋は抵抗しない。

「んっ・・・・ふ、んぅ・・・・・・」

千尋のくぐもった、あまやかな吐息が忍人の耳と心を揺らす。
ややあって唇を外すと、千尋が顔を紅くしつつ、忍人の袖を引いた。
それが何の合図なのか、忍人はもう知っている。
あえて問わず、忍人はただ微笑んでやる。
その微笑が千尋の目に妙に艶っぽく見えて、千尋は抱き上げられるままに顔を隠してうつむいた。
いつからか忍人は慌てたり避けたりしなくなった―――千尋はまだずっと、どきどきしてしまうのに。







千尋は何処とも知れない小屋に連れて来られた。
そっと千尋を降ろすと、忍人は上着をばさっと脱いで敷いてあった筵の上に重ねた。
千尋はどきどきと、均整の取れた体を見つめる。
刀も傍に落とすと、忍人は座り、千尋に手を差し出した。

「・・・・・・千尋」

先を予感させる、いつもより甘い呼び声に千尋はどきどきしつつ、そっと手を重ねて傍に座る。
すぐに抱き寄せられて、甘く、吐息のように口づけられた。

「・・・・・・今日はきっと無理をさせる。いいだろうか」
「え・・・・?」

いつにない言葉に驚いて見上げると、どこか悪戯っぽい目とぶつかった。

「今日は特別な日なんだろう?」

忍人の声音に千尋の心臓が早鐘を打つ。
答えなきゃ。
・・・・・思う、必要もなかった。

「きゃ、・・・・・・・アアッ」

千尋の思考はすぐに白くなった。
いつもより性急に、忍人が千尋を暴いてゆく。

「やっ、ああっ・・・・・忍人さ・・・・・アッ・・・・・」
「可愛い、千尋・・・・」
「やだ、アッ・・・・!」

まともに喋らせてさえもらえない。
こんなに情熱的な忍人は初めてだ。
いつもどこか抑えて、優しくしてくれるのに。
ひどくされるのではない、けれど優しくない愛撫が強引に千尋を翻弄しようとする。
それじゃいけないのに。
恥ずかしいけど、私からも、したいのに。

「あっ、アハッ・・・・・!あんっ・・・・」

もう抗議さえできない。
気持ちいい。
飲み込まれてゆく。

「千尋・・・・・千尋・・・・」

忍人が名を呼ぶだけで、勝手に体は悦び締まる。
眼裏がちかちかした。
もう駄目。―――これだけは言わなきゃ。

「忍人さ・・・・んっ、すき・・・・・・!」

いつの間にか貫かれていた衝撃のままに、ほとんど叫ぶように千尋が縋って言う。
忍人が嬉しそうに微笑んでくれた気がした。
それが千尋の明確な記憶の最後。





「・・・・・・・・ん」

いつもより近い鳥のさえずりに起こされて千尋は目覚める。
腰がだるい。

(・・・・何で?)

思考を一瞬辿り、千尋は一気に覚醒した。
朝?!もう朝?!

恐る恐る見ると、既に起きていた忍人が裸のまま、千尋を眩しそうに見つめている。
―――なんで元気なの???

「お、おはようございます」
「おはよう」

忍人のご機嫌はすこぶるいい。
千尋は絶句する。
千尋と忍人がここにたどり着いたのは、昨日の昼前。
そこからほぼ、通して睦みあった・・・・・はずだった。記憶は朧だが、確かそのはず。
気を失っても貫かれて、随分恥ずかしいことも言った気がする。
無理をさせる。
確かにそう、言われたけれど。

(いやああああ・・・・・っ!)

めくるめく濃厚なあれこれが次々浮かんで千尋はいたたまれない。
縮こまった千尋を忍人はくすくす笑ってしまう。
昨日の千尋は随分頑張ってくれた。
誕生日だから、と、うわごとのように言いながら、懸命に大胆に振舞おうとしていた。
それが、可愛くて尚更に忍人を煽った。
結果、初めて心ゆくまで千尋を抱いて、忍人は心身ともにスッキリしている。
ああいう艶っぽい千尋もいいが・・・・。

「千尋、そろそろ帰らないと」

優しく声をかけて衣服を渡すと、涙目の千尋が振り返った。
そのいたいけな様子に、思わず笑みこぼれる。
可愛い。

「立てません・・・・・」
「構わない、抱いていく」
「構います・・・・!」

千尋は真っ赤で、簡易なはずの衣服をどうにかこうにか身につけた。
勿論立てないから、強がっても恥ずかしがっても、抱かれていく羽目になる。

「毎日誕生日でもいいな」
「なっ、だ、駄目ですよ・・・!」
「ふ、冗談だ」

冗談に聞こえない!
千尋は抱き上げて馬に乗せられつつ、ひきつるのを抑えられない。
忍人はくるくる変わる反応を楽しみつつ、腕の中の千尋を想う。

誕生日であってもなくても、忍人が個人で望むものは一つだけだ。
千尋、君だけが俺の望みのすべて。