即位式も終わり、ようやく落ち着きを見せた昼下がり。
忙しい合間を縫って、岩長姫門下は揃って茶を片手に世間話に興じていた。
そこを通りかかったのは忍人だ。
常ならば怒声が飛ぶ。
そうでなくても呆れのため息。
ところがこの日、忍人はどちらもなしにまっすぐ卓に近づいてくる。
風早が「おや」と目を大きくした。
近づいて一瞬押し黙り、ずい、と茶器を指差す。

「・・・・・・・俺にも1杯いただけるか」

もちろん誰も否やは言わない。
忍人は無言のまま、ぐいっと飲み干した。
また沈黙。

「・・・・・・忍人?どうしたんですか?」

さすがの柊も問う。
忍人はどかっと勧められた椅子に腰を下ろすと、渋々と言った様子で話し始めた。

ぽつり、ぽつり。
不器用に、実直に語られた内容に。

全員が大爆笑した。




初めての恋だから




忍人は震える拳にぎりぎりと力を込めた。
相談。俺は相談を持ちかけたんだ。
何があろうと俺からキレてたまるか。
千尋千尋千尋・・・・・
心の中唱える愛しい人の名は、最早堪忍袋の最後の盾になりつつあった。

「す、すいません・・・・・忍人がそんな相談を持ちかけてくるとは思わなかったので・・・・」

道臣は笑いと気恥ずかしさの相乗効果で顔を真っ赤にしつつも、さすがに謝った。
しかし、風早と柊はまだお腹を抱えている。
つくづく道臣もいるときを選んでよかった。
これがこの二人だけだったら、俺は今、もう席にいないだろう。
そう思うものの。

「ひ、柊、風早も・・・・!」
「わ、笑いやもうとは思ってるんですっ・・・・・!」

柊の大爆笑。
これはこれで見物だ。
そうだ、珍しいものを見てるじゃないか。貴重だ。

・・・・・・・・・自分以外のことならば。

「・・・・・・・俺は出直すとしよう」
「わあ、ま、待ってください忍人!あまりに情熱的だったもので・・・・!」
「グッ・・・・・アハハハハハ!」
「・・・・・・・・帰る!」
「柊!」

低く押し殺された言葉に風早が慌てるものの、柊がまた吹き出し抱腹絶倒。
きっと明日は筋肉痛だろう。
耐え切れず忍人は盛大に立ち上がった。
風早が柊を殴る。

「ま、まあまあ落ち着いてください忍人・・・・」
「俺は落ち着いている!」
「俺たちが悪かったですよ、ねえ柊?」
「ク・・・・・、ええはい・・・、それで、・・・・ええと?」
「・・・・・・・本当に貴様聞いていたのか!?」

忍人は顔に青筋を浮かび上がらせんばかりだが、どうにかこうにか椅子に座りなおした。
もともと兄弟子らの奔放さに活路を見出して相談しているのだ。
笑われるのも先刻承知。 (ここまでとは思わなかったが)
千尋のために忍人は耐えた。

「千尋が寂しがるんですよね?」
「・・・・・・正確には暇を見つけて傍に来たがるな」
「可愛いですね、我が君は。忍人は果報者です」

全員まだ笑いの余韻を残しながらも本題に入り始める。
ここで忍人を本格的に怒らすと後が本当に厄介なのだ。
引き際は肝心。

「傍に置けばいいと思いますけどねえ、俺は。千尋は邪魔にならないでしょう」

俺の育てた姫に間違いはありません。
あっさりと風早が言い、道臣もそこは頷いた。
姫は聡明だ。・・・・・他人の気持ちに聡い。
戦時中、誰かの傍にいたがりつつ、誰の邪魔にもならなかった少女。

「君以上の守役もいません。政治のの息抜きにもなると思いますが・・・・」
「・・・・・・・だが」

忍人も息抜きについては否定しない。
勤務中でなければいつだって相手もしよう。しかし・・・・

「君もほぼ休みがありません。君の息抜きにもなると思うのですが」
「そうですよ、千尋が甘えてきたらそれを君が甘やかしつつ休んだって、誰も文句は言いません」
「・・・・・・・・・簡単に言うな?」
「俺もよく千尋を連れて見回ってましたから」

忍人は頭を抱えた。
千尋が簡単についていこうとする理由が分かった気がする。
そのうえ、風早の場合とはわけが違う。
それは道臣も感じたのだろう。

「そ、そのときとは違うと思いますよ」
「そうですか?」

あっけらかんとした風早の横で、柊が難しい顔をして黙っていた。

「柊?」

ちなみにこの時、つい声をかけてしまったのを、忍人は激しく後悔することになる。
なぜなら。

「・・・・・・・わかります忍人・・・・」
「・・・・・・何がだ」
「我が君の可憐さに君も抗えないんですね・・・・!確かにあの可憐な声音、華奢な腰で誘われてしまえばひとたまりもないでしょう・・・・!」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・確かにまあ要約すると忍人の悩みはそれなんですが・・・・」

激しく違う気がするのは何故だろう。
柊はまだどこか恍惚とした顔で、千尋の魅力を謳いあげている。
この男が言うと、選ぶ言葉をはじめ、どうしても変態っぽくなってしまう。
むしろ変態だ。
これに同意されても困る。

柊の熱弁を置き去りにして、忍人らはさっさと席を立った。
そろそろ見回りも交代の時間。

「・・・・・・まあでも、千尋は喜ぶと思いますよ」
「喜ばれても困るんだが・・・・・」
「柊殿はどうかと思いますが、君はもう少し楽になさい。その・・・・・欲求はある意味とても普通ですから」
「普通・・・・・」

両側から宥められて、忍人は考え込む。

「思いつめすぎて『ああ』なられるのも困りますし・・・・きっと・・・・」

後ろから響く柊の千尋賛歌に、さすがの風早も苦笑いする。
ここに那岐がいたら、きっとまた交友関係を責められただろう。
忍人はそこに激しく反応し、ぐっと息を詰めた。
それは困る!

「・・・・・・・わかった。善処しよう・・・・・・」

そう言いつつ、よろよろと忍人は去ってしまった。
きっと本日の精神力は使い果たしたに違いない。
ようやく青春期な青年を、年長組はほわほわ見守る。

「ようやく忍人にものんびりしてもらえそうですからねえ」
「こういう話題は平和でいいですね」
「本当に」





暫くの間、忍人は「我が君の細腰」やら「可憐な唇」やら「金にけぶる睫」に翻弄されるのだが。
(すべて柊作「千尋賛歌」)
葛藤する中で青年は、確実に対処法と諦めと開き直りを手にしてゆく。


「平和ですねえ」
「ちょっと退屈ですね」
「師君が温泉に行きたいと言ってましたよ」
「是非行きましょう〜」



「・・・・・・・最近忍人さんがおかしい」
「・・・・・・・それをなんで僕に言うの」
「だってぇ・・・・!」

そしてここに、逆に振り回されるようになった少女王が、一人。

中つ国は平和に日々を刻んでいこうとしていた・・・・