「・・・・?あ、いた!忍人さーんっ」

 千尋はきょろきょろとあたりを探し、目当ての人物を見つけると嬉しそうに走り寄った。
 ぎょっとしたのは周りの方。
 まず怒ったのは、呼ばれた張本人だった。




  内緒のコイゴコロ




「・・・・・・そんなに怒らなくても」
「怒らせてるのは君だろうッ!簡単に一人歩きするなと何度言えば分かるんだ!」

 怒りたくて怒っているわけではない。
 だが。
 千尋の突撃訪問はいつだって1人で。
 まだ混乱の癒えきらない中、のんきにひょこひょこ歩かれるのは心臓に悪い。
 忍人は頭を掻き毟りたい衝動に駆られている。

「君はもう王なんだ!呼ばれれば俺から・・・・」

 苛々と言いかけて忍人は口をつぐんだ。

「・・・・・どうかしたのか」
「・・・・・呼んじゃ駄目って、言うんだもの」

 千尋の目は寂しいと物語る。
 千尋の頬は我慢の限界を伝える。

「・・・・もう戦時中とは違うのです、って」

 忍人は沈黙した。
 千尋の来訪の理由は単にお菓子のお裾分け。
 興味津々の軍の中からやっとのことで連れ出して、思う存分叱り付けようと思ったのに。

「・・・・・・狭井君か」
「・・・・・・・」

 風早、岩長姫のもとにいた千尋に狭井君の説く理屈は相容れない。
 肌で感じる違和感は千尋を疲弊させていた。
 ちょっと外へ、せめて仲間の元へと出ようにも、それさえ許されない毎日で。

「風早は?」
「お仕事で、帰ってこない」
「・・・・・師君は」
「たまに来てくれるよ」

 どうやら師君までは止めきれないようだ、とちょっと忍人は安堵する。
 自分には理解の及ばない磊落さだが、それは千尋を和ませるだろう。
 だが、自分の知る限りでも、たとえば風早・那岐といった古くから千尋と親しい面々は仕事の一言で千尋からたくみに遠ざけられている。
 そして自分や布津彦は軍事に忙しい。
 千尋の孤立は避けられない状況だった。

「・・・・・風早に会いたい。那岐に会いたい。みんなに会いたいよう・・・・」

 涙ぐむ千尋を叱り飛ばす気には到底なれなかった。
 誰かが許してやらねば、壊れかねないほどに千尋が疲れているのは明白だった。

「風早を侍従・・・・王の側近にしてはどうだろうか?」
「側近?」
「それなら、傍近く控えても問題ない。戦功から取り立ては可能だろう」

 千尋の顔が輝く。

「それは他のみんなも出来る?遠夜も?」

 忍人は一瞬言葉に詰まる。

「遠夜は・・・・無理かもしれん。奴は土蜘蛛だから・・・・」
「・・・・どうして?どうして駄目なの?」
「・・・・・身分、と言われるのだろうな。更に、俺自身はもう遠夜にエイカは重ねないが・・・」

 千尋の瞳がみるみる曇るのを痛感しつつ、忍人は続けた。

「古くからの差別はもとより、土蜘蛛によって我が国の受けた被害を考えれば、土蜘蛛を侍従にはさせられまい」
「そんな・・・・・・」

 アシュヴィンも、サザキも、柊も去った。
 それでも、いやすい土地ではないはずなのに、遠夜は残ってくれた。
 それに千尋は感謝している。
 疲れた夜、遠くから聞こえる歌声に何度慰められたことだろう。

「・・・・・・身分なんて大嫌い」
「二ノ姫・・・・・・」

 こんなことなら、国なんて継ぐんじゃなかった。
 そう言われるのが怖かった。
 けれど。
 もう王ではいたくない。
 そう言われるのも覚悟した。
 
 しかし―――

「諦めないもん・・・」
「・・・・・・・・」

 まだ涙まじりで言われた小さな小さな、声。
 力強くない。
 それでも目だけは力を失わない。
 いつもまっすぐ、伸ばされた視線。
 今はまだ頼りなくても。

「・・・・その意気だ」
「忍人さんも手伝ってね!」
「ああ、俺で出来ることなら何でもしよう」
「頼りにしてます!」

 ああ、君が王でよかった。
 心からそう思う。
 頼りない幼さも、無垢なほどの無防備さも、みんなみんな大樹になるための要素に思えた。
 こんなにも簡単に、千尋の治める幸せな国が脳裏に浮かぶ。
 あの頃――さほど遠くない昔は、絶望しか思い浮かばなかったのに。

「・・・・そろそろ送る。俺も・・・もう少し王宮に詰めよう」
「・・・はい、お願いします」

 帰る段になると、ちょっとだけやはり千尋の顔が曇った。
 しかし、ぱっと顔が変わる。

「やだ、お菓子!忘れてました。はいっ」

 差し出されたお菓子は、そういえば来訪の理由。
 虚をつかれつつ受け取ると、千尋がいたずらっぽく微笑んだ。

「手作りのお菓子、持ってくるの忍人さんだけになんですよ?」
「・・・・・・。それがどうかしたか」
「・・・・・・、風早にでも聞いてくださいっ」

 べっと、何故か舌を出されて呆気にとられる。
 前を歩く千尋の表情は見えない。
 夕日に縁取られて、金色の髪がきらきらと光る。
 命の色。

「・・・・・・ありがとう。大事にいただこう」
「はいっ」

 振り返った千尋は笑顔で、もう泣いてはいなかった。
 忍人はそれを嬉しく思う。
 この笑顔を守ろう。
 それはなるべくならば、自分が。

 胸に咲いた小さな花。
 その芽吹きに忍人が気付くのは、もう少し先の話―――