桜が、誘う。
暗い闇に白く浮かんで。

桜が、誘うの。
きっとあなたに出逢えると―――






桜酔夢






白い花びらは、実は芯の方が赤い。
それで全体で薄いピンク・・・桜色になるのだと、風早が言った。
夜の闇の中で、千尋は一人、立っている。
王の装束のままのその姿は一枚の絵画のようだった。

千尋はじっと桜を見つめ、立ち続けた。
きっと来る。
約束もしていないそれを、願いながら―――

果たして。



「千尋?―――まさか一人か」
「アシュヴィン」

黒麒麟に乗って現れた常世の皇子を、あるかなきかの微笑で千尋は迎えた。
アシュヴィンは周囲をざっと見渡すと、渋面を作った。

「不用心な―――取り巻きはどうした」
「ふふ、用心なんて。今この国で、私を害せる者などいないわ」

美しくどこか艶のある笑みで千尋は笑う。
アシュヴィンは一瞬魅入られた。
こんな風に笑う、姫だっただろうか。
もっとずっと屈託のない、その髪のような、太陽のような姫だと思っていたのに。
咲き狂う桜の下、千尋は、儚い色艶に満ちていた。
それを振り払うようにわざとアシュヴィンは傲慢に笑った。

「わからんぞ?現に俺が―――」
「俺が、何?」

無防備な背中。
弄ってやろうと近づいたアシュヴィンの、心臓の直上に、小さな刃。

「・・・・・・っ」

振り向かない千尋が、暗器で正確にアシュヴィンを牽制していた。

「・・・・なるほど見事だ。柊の仕込みか?」
「ふふ、彼の武器より小さいけど」

千尋が振り返って可憐に微笑んだ。
うまくいったことを喜ぶように。
その微笑みはまだいつもに近くて、アシュヴィンは少し安心する。

「やれやれ・・・・この国の中ではお前に触れることも叶わぬらしいな」
「そうよ?叶わないの。――――私の選んだ、男しか」

そして不意の口づけ―――
アシュヴィンの虚をつき、柔らかな感触だけで離れたそれは、幻に似ていた。
いや・・・・・・

「・・・・・俺は、選ばれた男か?」

幻になど、できるはずもない。
恋い焦がれ、憧れるように欲した、救国の神子姫。

千尋はそっと笑った。
いつにない、桜のように妖しく、美しい夢のような微笑で。

「・・・・・そうよ?私は、あなただけ、好きだもの・・・・・」







桜闇に誘われる。
お前の瞳に酔わされる。








「・・・・・・んっ・・・・は・・・・・・」

桜の下、アシュヴィンは自分を狂わせるよく知る知らない乙女に溺れていた。
男を知らないはずの少女はアシュヴィンの前に膝をつくと、躊躇いなくそれを取り出し、口に含んだ。
その絶妙な奉仕は時間がたつにつれその錬度を増し、アシュヴィンの理性を奪っていく。

「・・・・・・千尋、もう、いい・・・・」

必死に呼びかけると、千尋はようやく目を開けた。
咥えたまま、上目遣いに見つめられて、アシュヴィンの中の何かがまた揺れる。

「気持ちよく、なかった?」

千尋が口からようやく離し、それでも名残惜しそうに頬ずりした。
その光景のあまりの妖しさにアシュヴィンは目眩がする。
それでもギリギリ、アシュヴィンは己を保った。

「・・・・馬鹿、逆だ。気持ちよすぎる・・・・お前」

あのまま最後までイキそうだった。
それもいいが、最初からそれは、とアシュヴィンは思う。
まだ千尋を啼かせてない。

千尋は「じゃあまだしたかったのに」と、残念そうに言った。
その言葉がまたアシュヴィンの理性を揺らす。

「・・・・・・・今日は一体どうしたんだ。随分、違う」
「そう?」

千尋ははぐらかすが、微笑といい、言動といい、まるで別人のようだ。
その危うさが今日の魅力でもあるが・・・。

「今日みたいなの、嫌い?」
「そんなことはないが」
「・・・・・・・よかった」

千尋が笑うと、いつからだろう――それだけでアシュヴィンは幸せな気持ちになってしまう。
目の前の笑顔以外が些事に思えてしまうのだ。

胸が高鳴る。
千尋が、欲しい。

「・・・・・今度は俺が触っていいか」

頷かれるのをアシュヴィンは待ち、そして―――

「・・・・・うん、さわって」

その微笑に、逆らえない。
アシュヴィンは王の装束をたくみに落とすと、その肌の白さに、溺れこんだ。







「あっ、アシュ、はあっ・・・・・・!」

甘い声がアシュヴィンを煽る。
もっと聞きたい。
更に甘く、俺と同じ位置まで堕としたい。

「ああう・・・・ああっ・・・・・もっと、もっと、アシュ・・・・・!」
「千尋・・・・・・・!」

愛しい女を抱くというのはこれほどに違うのだろうか。
やはり自分が最初だった、というのは流れる血が教えてくれた。
千尋の涙も、自分の形に拓かれる証拠のようで、嬉しくてならなかった。
そしてもう、千尋は快楽しか感じていない。
そうなるまで、何度もアシュヴィンは千尋を極めさせた。

簡単に終われるはずがない。
終わりたくなんてない。

千尋もまた、何度アシュヴィンの果てを身に受けても、ねだり続けた。



―――陛下、お願いがございます・・・・・



瞬間千尋に甦る、老女の声音。
それを振り切るように、千尋はアシュヴィンに縋りついた。

断れるわけがない。
受けるしかない。
当たり前のことなのだ。


それでも――――


「アシュ、アシュ、好きっ・・・・あなたが、好きなの・・・・!」
「俺もだ、千尋、ずっと好きだった・・・・」

―――ああ、果てが来る。
そして夜が明ける。明けてしまう。

千尋は目を閉じて、アシュヴィンに噛み付くように口づけた。