救国の神子姫。
 金の髪の美しい少女。
 本当は、出会った瞬間に、恋に落ちていた。






 アシュヴィンは手に遠夜特製の薬湯を持ちながら、いつもより大股で歩いていた。
 千尋が熱を出したと聞いたのである。


(まったくあいつは……!暑い季節だからといって川の水は冷たいのだぞ。それを……!)


 沐浴でもしていたのか。
 自分がついていれば、少なくとも凍えさせたりはしなかったのに。
 アシュヴィンは妙な憤りを胸に、遠夜に命じて薬を作らせたのだ。
 そして無理矢理時間を作った。
 自分が届けに行くために。


(同盟国とはいえ、かつての敵国の女王に……フ、馬鹿だな、俺も)


 内心嘲笑いはするものの、それが千尋なら、敵国の町娘だって自分は会いに行っただろう。
 というか、本当は余程そちらの方がよかったかもしれない。
 それならば遠慮なく常世に浚えるものを―――

 そこまで考えて、アシュヴィンはふと足を止めた。
 向こうの回廊からやってくる姿に、見覚えがあったのである。









 忍人は走りそうになる自分を抑えながら、千尋の自室に向かっていた。
 手には氷室の氷と林檎のすりおろしを混ぜたものが入った小さな器。熱を伝えないよう、出来るだけ端っこを持っている。


(俺がついていながら、こんなことになるとは……!)


 忍人的には失態である。
 随従として散策をしていたら、急に千尋は走り出した。
 止める間もなく小川に入り、鳴いていたと思しき猫を助けたのだ。
 すぐに千尋も抱きあげて川から救出したが、風邪をひかれては遅かったというしかない。
 気持ちは分かるが、せめて俺に命じて欲しい。何のための随従だと思っているのか。


(君が言うのなら、たとえ命令でなくとも川へくらい入るものを)


 可憐な体躯。救国の女王陛下。
 彼女への忠誠は、共に旅立つことを決めた日から、いささかの揺らぎもない。
 ―――いや、本当は忠誠だけではなく……

 向こうから足音が聞こえてくるのに気づいて、忍人は足を速めた。
 歩いてくるのは常世の皇。
 こんなところにはいるはずのない人物だったからである。






「どうしてあなたがこんなところにいるんだ」
「それはこちらも聞きたいな、多忙の虎狼将軍?」
「そんなものは言う必要がない」
「フ、ならば俺も同じだ」
「……ここは仮にも他国の王の宮殿だぞ!」


 仇敵と言ってさしつかえのない間柄である。
 共に戦った仲間とはいえ、そういう認識は簡単にはなくならない。
 くわえて、規律に正しい忍人には、ひょいひょい他国の者が出入りできる王宮には問題があるように見えてならない。


「千尋の見舞いか」
「陛下を呼び捨てにするな」
「あれがそうしろと言うのでな」
「……っ!」


 忍人は思わず斬りかかりそうになった。
 器のことが頭から消えていれば、本当にやったかもしれない。
 そして短気だと笑われるのだが。
 しかし、そうはならなかった。


「もう、喧嘩は駄目でしょう…」


 眠たげな声が割って入ったのだ。


「千尋!」
「陛下!」


 千尋の室はもう少し忍人の後ろである。どうしてこんなところにいるのか、という忍人の視線に、少女王は苦笑した。


「……自分の室で寝ていると、ひっきりなしに人が来るから……」


 皆考えることは同じらしい。
 二人は各々の手にあるものを隠したくなる。
 だが、千尋は気づいてしまった。


「あ、二人もお見舞いに来てくれたのね。ありがとう」
「……ああ」
「俺は、…俺のせいで、君が風邪をひいたのだから」


 思わず頷いてしまったアシュヴィンの隣で、忍人が申し訳なさそうに俯いた。



「そんな。忍人さんのせいじゃ」
「―――千尋の風邪はきさまのせいだと?」


 殊勝な忍人に千尋がころころと微笑むのに、アシュヴィンは割りこんだ。
 犯人はこの男か!


「貴様がついていながら川に千尋をいれたというのか」
「……そうだ」
「貴様……っ、それでも将軍か!」
「待って!」


 気色ばんだアシュヴィンに慌て、千尋が二人の間に割り込んだ。
 普段は隠れている青の鮮やかな衣のせいで、二人、共に声を失う。


「アシュ、忍人さんのせいじゃないの。私が溺れた猫を助けただけ」


 要は自業自得である。
 きっぱり言った後で、にっこりと笑う。
 それは、歴戦の猛者二人を黙らせるのに十分な威力を持っていた。


「それで、二人とも何を持ってきてくれたの?」
「あ、ああ。これを……」
「つまらないものだが」


 甘いものと、薬湯。
 確認した千尋は、まず一口忍人の手にあるものを食べ、薬湯を一気飲みすると、口直しに、また林檎のすりおろしを、今度は全部食べた。完食!


「御馳走様。これできっとよくなるわ。もう少し寝ますね?」


 可憐な笑顔に、二人は人形のように頷き、


「もう喧嘩しちゃ駄目ですよ?」


 ……駄目押しされた。
 パタン、と閉じられた扉の前で、二人は立ち尽くす。
 ああ言われた手前、言い争いはもうできない。
 それぞれ別方向に、さっさと踵を返した。  タイミングが一緒だったのが妙に癪に障る。








 扉の中で様子を窺っていた千尋は、ふうっとため息をついた。


「……行ったみたい。もう、ホントに二人とも似てるんだから」


 そして似た者同士だからか、よく喧嘩する。
 二人にその自覚はないのかもしれないが。


「困ったことですねえ」


 まんまと陛下を独り占めしている隻眼の軍師はでれ、と笑った。


「さあ、もう少しお休み下さい」 「うん、―――おやすみなさい、柊」


 彼らが本当の恋敵に気づく日は、遠いかもしれない。


                          Fin.





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タイトルは[恋敵」でした。
何気に出し抜いている柊のポジションが好き。