和議が成った。
壊れかけた和議を見事立て直すことができたのは、意外な男の協力によるものだった。
異世界の平和の冬を、望美はその男の恋人として過ごしている。
キスで唇を塞ぐ。反論は許しません!
「知盛ーっ、早く、早く!」
小雪の降る中、出仕がだるいと言った男に、それなら、と望美が言い出したのは、雪の中の散歩だった。
元気に手を振り駆けまわる望美に、知盛は内心「出仕すればよかった」と考えたのだが……
「クッ……そう焦るな……」
そう長くは続かない。
知盛は酷薄に哂いながらも、とりあえず足を進めた。
望美と本人だけは知らないが、知盛は望美のことを大変気に入っているのである。
溺れると言っていいほど。
和議前夜に咲いた恋。
それがどんな縁なのか、当人以外の誰も知らない。
敵同士でしかありえなかった二人は、神泉苑で荼吉尼天相手に、驚くほどの連携を見せた。
……そして今に至る。
平家は都に復権し、白龍の神子は京に留まった。
今世界は、応龍の加護の下、平和の日々を刻み始めている。
「それで……お前はどこに行こうというのだ……?」
「ふふ、ここが到着地点だよ、知盛!」
静寂の場所、糺の森を抜ければ下鴨神社に着く。
知盛には、特に何の用事があるとも思えない場所である。
しかし、望美はにっこりと笑うと、羽織っていた被きを落とし、扇を取り出した。
挑戦的に知盛に微笑みかけてくる瞳の煌めきに、一瞬にして知盛は呼吸を奪われた。
楽の音もなしに望美が舞う。
袖の一振り、扇の閃きが幽玄の美を纏う。
吐く息の白ささえ飾りのようで、ただ望美の唇だけが赤い―――
「どうだった?」
「……ッ」
覗きこまれて、ハッとした知盛は渋面になった。
望美は急に不機嫌になった男を胡乱気に見る。
「なあに?何か間違えた?」
「いや……別に……?」
「じゃあ何か言ってよ!せっかく舞ったのに〜」
そう言うと、寒さに凍えるように望美は被きを被り直し、ぶるっと震えた。
「………俺が頼んだわけではない…」
「そうだけどさ……もう」
そう言われればその通りなのだが、望美としては、もうちょっと何かないかと思ってしまう。
せっかく、いい機会だと思ったのに。
「春までに二人っきりで…って思ってたのに」
小さくごちる望美に、知盛は目を遣る。
春までに……?
「春に……何かあったか……?」
これが望美以外であるなら何も聞かない知盛であるのだが。
望美は軽く頷いた。
何でもないように、ごちる続きのように。
「だって、春にはまたヒノエくんがここで舞が見たいって言うんだもん」
ここで望美が、知盛の変化に気づいていればよいのだろうが、望美はもともと大変鈍い。
「また…?ヒノエ、だと……?」
またというからには、前があるはずで、しかも言うからには会ったはずである。
いったいいつのことか。
凍える視線に気づかないのは平和ボケしているせいではない。
繰り返すが、望美はもともと鈍いのである。
幼馴染の淡く年季の入った恋心に完全に気づかずにいたくらいには。
「うん、ヒノエくんが……って、ちょっと、知盛?何その顔!」
呑気に言いながら、振り返った望美は驚いて知盛に駆け寄った。
「その顔とは…?」
「その顔って言ったら、その顔だよ!何?」
表情は一見変わらない。
銀と菫の冷たい美貌は健在であり、特段変わったところは見られない。
……余人が見れば。
しかし、望美にはさすがに分かる。
これは拗ねている。
何にかは皆目見当もつかないが、拗ねている。
(どうして?私、ちゃんと知盛優先にしたよ………?!)
首を捻る望美には永遠に分からない謎である。
知盛が、優先して欲しいのではなく、独占したいのだということなど。
望美に解決の糸口など分からない。
こうなってしまった知盛は答えもしないのだから。
「――――――んもう!」
望美は鈍感、そして、もともと割と短気である。
望美は体当たりのキスを知盛にした。
知盛は思いがけない反撃に目を丸くした。
そして、にやり、と哂う。
「これでは機嫌は直らぬぜ……?」
「なっ……もっとしろって言うの?!ここで!?」
「してきたのはお前だろう……?」
傲慢な笑みが口元に刻まれる。
偉そうな表情がこれほど似合う男も他にいない。
大概の女はこれに参るらしいが、望美にはこれはからかわれているとしか感じられない。
ぷんぷんと望美は元気に怒った。
「ここは神聖な場所なの!そう何回も出来ますか!」
「クッ……ならば帰るか……?」
「そう帰ってから……って、ええっ?もう帰るの?!」
ここまで出てきたからには、あちこち知盛を引っ張り回す気だった望美は顔色を変えた。
慌てて縋ろうとした隙に、知盛に唇を奪われる。
「―――――ッ…」
「反論はなしだ……いいな……?」
望美は口元を両手で押さえ、真っ赤になって、怒ればいいのか照れればいいのか、真剣に悩んだ。
知盛はいたって涼しい顔で、来るときの倍の速さで帰り路についている。
見慣れた背中。
「……来ないのか……?」
見慣れない、差し出された手。
「……行くよっ!」
結局怒ることはできなくて、望美もその手に向かって走り出した。
知盛は望美に見えない角度で小さく笑う。
追いついた望美の手を捕まえて、二人は並んで歩き始めた。
キスの勝負は引き分けか?
その後の勝負の行方は―――――
もはや語るまでもない。
