※このお話は嵐の籠絡→真昼の月のその後です。
 夕闇の部屋「嵐の籠絡」をお読み下さい。






和議が成り、平家は都に還りついた。
京は雅な守護者たちの帰還を歓迎し、源氏は伝達の役目に九郎を残して鎌倉に戻った。
白龍の神子は京に残り、平知盛卿の妻になる―――はずだった。





愛に変わっていく過程





「・・・・・・・で?何が原因なわけ」

知盛を前に問いかけながら、「俺はお前らの痴話喧嘩の仲裁に残ったんじゃねえんだぞ」と心の中で毒つく将臣である。
放っておいてもいいのだが、事が望美に関わるとなるとそうもいかない。
知盛は事が起きると必ずやって来る過保護な「兄上」を嫌そうに見遣った。

「別に・・・・・兄上には関わりなきことだ・・・・・」
「そうもいかねえよ」
「クッ・・・・・何故」

知盛が嘲笑う。
その仕草は、優麗でいて野蛮。
見慣れた将臣でさえ、一瞬息を呑む。

「何故って・・・・そりゃ、心配だろ」
「心配ね・・・・・・」

和議前夜、望美は知盛と結ばれた。
そしてそのまま、京邸に戻らず、知盛の元にいる。
知盛は一時も離さないほどの執着を見せていたし、望美も幸せそうに見えた。
なのに、三日前。


『実家に帰らせていただきます!』


凄まじい剣幕の望美。
そして、知盛の頬に今も残る赤い手形。
気にするなというほうが無理がある、と将臣は思う。

小さな喧嘩は間をおかずあった。
だが、知盛の顔が腫れるほど望美が知盛を叩くなんてことは今までになかった。
望美が朔のところに帰ってしまったなんていうことも初めてだ。
今も帰ってきてはいない。

「なあ・・・・迎えに行ったほうがいいんじゃね?」
「俺に、この顔で歩けと・・・・?」

そっと立てたお伺いは、極寒の視線で射殺された。
将臣は困ったように笑う。
・・・・・確かに。
納得はするが、もうちょっと食いさがることにした。
将臣はあくまで、望美の味方でいてやりたいのだ。
気丈で意地っ張りな、幼馴染のことを思う。
――――絶対に待っている。
将臣には絶対の自信があった。

「じゃあ・・・・夜とかさ。あいつ、絶対待ってるって」

フン、と知盛は鼻を鳴らした。
そのまま立ち上がり、室を出て行ってしまう。
もうかまわれるのが嫌になったのだろう、と、将臣も判断して、それを追うことはしなかった。











場所は変わって京邸である。
頼朝に付き従って鎌倉に戻った兄の代わりに、朔は京に残り邸を切り盛りしていた。
邸の管理のためというより、朔は望美と離れたくなかったのである。
だから、望美が急に来ても朔は嫌がったりしなかった。
むしろ、大歓迎。
涙目で駆け込まれたときにはびっくりしたが・・・・

「ごめんね、朔・・・・急に来て、ずっと帰らないで」
「あら、いいのよ。私は嬉しいわ」

本心から微笑む朔に甘える形で、望美は知盛の邸に帰らずにいる。
これで3日目。
だが、迎えはおろか、文のひとつもない。
最初は元気に怒っていた望美も、そろそろ萎れ始めていた。

「もうずっとここにいようかなあ・・・・・」

半ば本気で望美は呟く。
いきなり叶ったかに思えた恋は、やはり何の確証もありはしなかった。
叶ったのも唐突。
あまりにそれは、あやふやで。
求めた時間が長すぎたせいか、望美にはどうにも現実感がない。
この3日、知盛から何の反応がないことも拍車をかけた。
手放してしまった方が楽になる、と望美が本気で思ったとしても無理はない。
しかし、いいんじゃない、と返ってくると期待した対の返事は、違っていた。

「駄目よ、望美」
「・・・・・・朔」

柔らかな微笑、しかし断固とした瞳で。
朔は望美を突き放す。

「好きなのでしょう?じゃあ、離しちゃ駄目よ」

言葉には哀しみが滲む。
しかし、せっかく夫婦なのだから、と続けられた言葉に望美はうっと詰まった。

「・・・・・・望美?」
「だって・・・・好きとか・・・・言われてない」

小さく零された対の弱音に、朔は僅かに目を見張った。

「望美・・・・・・」
「抱いては・・・・くれるけど、でも、身体だけ、で・・・・」

小さく顔を赤らめながら、望美はこぼす。
朔は言葉もない。
――――驚いていた。
身体だけ云々でなく、望美の弱音に。

・・・・・望美は、弱気になどならないのだと思っていた。
いつも自信に溢れてゆるぎなく、進む力の、神子。
自分とは、違う。
だけど・・・・・・

朔は少しだけ笑う。
僅かな足音。
先導されてくる気配。
何故だろう、話したこともないのに、あの人だと、分かってしまう。

「・・・・・・それでも、あなたは好きなのでしょう?じゃあ、ちゃんと、話さなくちゃ」

やんわりと言われた言葉。
そのまま出て行ってしまった対の動きに、望美は慌てて顔をあげた。

(―――傷つけた?)

朔の相手は、もういない。
空にとけているのは、別の存在。
謝ろうと思った。
顔をあげたその先にいたのは、朔ではなく、知盛だった。





「・・・・・知盛・・・・・」
「それ以外に見えるか・・・・?」

久しぶりに見る知盛は身なりもきちんとしていて、望美は驚く。
来たことも、その姿も。
あまりにも、望美の知る姿とはかけ離れていて。

(・・・・・三行半、とか?)

この時代、この時空にそんなものがあるか分からなかったが、とりあえず望美はそれを覚悟した。
先日自分が力任せに張った頬。
赤く残る痕と、不機嫌な表情が、それを覚悟させた。
それでも・・・・・来てくれた。

(将臣君にしかられて、とか)

思って、少し笑う。
ありうる。
でも、それでいいと思った。
それでも来てくれた。無精者のこの人が。
それを大事にしたい。
だから、望美はすべての覚悟を決めた。
だから、知盛の言葉は意外でしかなかった。

「・・・・・何をすればいい」
「え・・・・・?」

女に頬を打たれて、赤い頬。
何より誇り高い男が、それでも示したのは、望美の誤解でなければ譲歩だった。

「何をすればお前は満足する。何か、謝ればいいのか・・・・?」

分からないなりに、知盛は譲歩に来たのだ。
望美の胸をそのとき占めたのは、喜びと―――絶望。


それは、私が、白龍の神子だから?


「・・・・・満足って・・・・・」

謝罪が欲しいのではない。
形だけの、愛が欲しいのではない。
譲歩が欲しいのでは――――ないのだ。

では何が?
望美にも分からなかった。

でも。
抱かれるうちに、募る想い。

「・・・・・・私だけ、好きで、・・・・・・知盛は・・・・・」

何を言えばいいのか分からなかった。
何かの意味を持たせた言葉ではなかった。
だから後悔した。

まるで、縋るよう。
縛られるのが大嫌いなこの人に。
それでも責任を手放さないこの人に。

望美の頬に、羞恥と後悔の朱がのぼる。

途方もない沈黙に、望美はいたたまれずそれを撤回しようとした。
縛って、何になる?
形だけ手に入れて何になる――――

泣き出しそうになった望美に、降りてきたのは唇だった。

「・・・・・・とも、もり」

呼吸の間に、少しずつずらして、重ねられる優しいキス。
決して義務だとか義理を感じさせないぬくもりに、望美は戸惑う。
それはとても、望美を困惑させた。
知盛もまた、困惑しきった望美に少し苦笑する。

――――最初は確かに、気まぐれだった。
興味と欲望で組み敷いた女。
思いがけず佳くて、溺れた。
連日抱いても飽きなかった。
だが、女ならほかにいくらでもいる。
本当に溺れたのは身体ではなく、その翠の瞳。

自分でも信じられない感情の発芽。
だが、否定できない。
女を追ったのは、初めてだった。
女の涙を愛しいと思ったのも。

「・・・・・・・・愛している」

望美は目を見張った。
それはとても、小さな囁き。
聞き違いかと思った。
だけど、気まずそうにそらされた瞳。
張ってない右の頬もわずかに赤く、望美は「誤解」しそうになる。
――――いや。

(―――馬鹿みたい)

どうでもよくなる。
神子とか、責任とか、身体だけだとか。
さっきの言葉が誤解でも、責任でも。
何であったって、もう離せないのに。
意地を張って。

「知盛」を追いかけすぎて、望美には分からなくなっていた。
声に出せなくなっていた。
ここにいる、あなたが好きだと。

言葉にしてないのは、望美も同じ。

唇を離して、知盛がふと笑う。
困ったような、この苦笑が好きだ。
嘘をつかないこの人が差し伸べる、この腕だけは信じられた。

「帰るぞ・・・・・・」
「・・・・うん・・・・・!」

ありったけの力でしがみつく。
知盛への恋が、あなたへの愛へと変わる。
知盛もまた無言で、自分の月を抱き締めた。
何をしても手放せない、唯一の女。






――――後日、将臣は朔にぼやいた。
あれほど崩壊を心配した二人は、今日も奥から出てこない。

「人騒がせな・・・・・!ホントごめんな、朔」
「ふふ、そうね・・・・でも、いいわ。嬉しそうだから」

ごめんねと謝りにきた対の表情は、ずっとあった影が僅かにでも拭われていて。
だから朔は、いいのだ。
あとは祈るだけ、見守るだけ。

そっと空に浮かぶ月を見上げる。
将臣も息をつく。
月の平穏を、心から願った。