毎朝は、戦争である。
少なくとも、春日家息女・望美にとっては。
だが、専属の執事であるはずの男にとってはどうだろう?
彼にとって、主たる少女に起こされることは、単に一行事に過ぎないのかもしれない。
「…あんたってホント、最低な執事よね…!」
「クッ…では、誰かと代わるか?」
「だ、…誰もそんなことは言ってないでしょ!知盛でいいなんて言うの、私だけなんだから!」
お嬢様の毒吐きに、男――知盛はただ悠然と笑うのだ。
望美はいつも悔しい。
自分がどんなに何か言っても、この男には敵わない気がして。
「知盛でいい、か……?」
にやにやにや。
執事にはあるまじき傲岸な笑みが、この上なく魅力的な男。
―――男は望美の何もかもを分かった上で、問いかけるのだ。
「……知盛がいいのっ!」
「上出来……」
「もう…!ひどいんだから…!」
今日も負けた。
望美は涙目である。
知盛はそれにはコメントせず、ただ知られずにそっと微笑むのだ。
望美にとって、休日の午後は貴重である。
普段は専属とは言っても、自分には学校があるし、知盛も自分に構うだけが仕事ではないので、そうそうずっと一緒にはいられない。
だが、休日の午後は別だ。
特段の事情がない限り、傍にいてくれる。
―――いてくれるはずだった。
「……知盛は?」
「さあ…お出かけになられましたけど……」
お茶を運んできてくれたのは知盛ではなかった。
当然、お茶を淹れてくれたのも違うのだろう。味が、違う。
メイドの泳いだ視線に望美が気づくはずもなく、望美はちょっと落ち込んだように嘆息する。
何か用事が出来たのかもしれない。知盛はいちいち断らない。
望美はちょっと、寂しかった。
望美の想像通り、知盛は用事だった。―――ただし、望美にかかわる。
「…本当に申し訳ございません」
機嫌の悪い自分に怯えているのだろう。恐縮を越えて、メイドは萎縮している。
知盛はそっと息をついた。
「…次からは気をつけろ」
「は、はい……!」
新米の彼女は、うっかり望美が一番好きなカップを割ってしまったのである。
形あるものはいつかは壊れる。
とは言え…
(…泣くだろうな。いや、ふてるか…?…面倒なことだ…)
知盛は苦笑する。
本当に面倒なら、自分は放置しているのだろうに、望美が泣くかと思うと、新たなカップを自ら探しに歩いている。
昔、小さな望美に仕えることを決めた日から、少女を護るのは、自分の役目だった。
本当は役目だけでなく…。
「……面倒なことだ」
皮肉げに哂ったのを、違った意味に捉えたのか、メイドはますます恐縮して縮こまった。
誤解したのは分かったが、いちいち訂正するようなマメな男ではない。
そして知盛はその後も無言で、カップを探しに気だるげに歩いていった。
望美は怒っていた。
「……遅いっ…」
もう夜の九時である。まだ知盛は戻らない。
職務怠慢もいいところだ。
いや、ここまで来ると職務放棄だ!何も言わずに夜までなんて。
望美は怒って、もう夜着に着替えてやろうかと思う。
そうなれば、知盛は入ってこない。謝れないだろう。
一晩反省すればいいのだ。
(……しないだろうなあ)
望美は小さくため息をつく。
会えなくて寂しいのも、きっと自分だけだ。
怒っていたはずなのに、じわり、涙が出た。
馬鹿みたいだ、半日顔を見なかっただけで寂しがるなんて。
ノックはその時だった。
「入るぞ…」
「…いいなんて言ってない」
「クッ…それは悪かったな…」
返事も待たずに入ってくるのは知盛一人だ。
欠片も悪いと思わない様子で入ってきた男は、この時間には珍しく、お茶とお菓子を持っていた。
「……食べていいの?」
「待て、でもいいんだがな…」
浮かぶ苦笑は「いい」のしるし。
望美は一気に顔を輝かせた。
「わあい!…あれ、いつものカップは…?」
知盛が嘆息する。
「…割れてな。…これは気に入らないか」
「……割れ、た…」
案の定、望美は一気に落ち込んだ。だが、少しして顔を上げた。
「これも可愛い。…ありがとう、知盛」
「…怒らないのか?」
「怒っても仕方ないもん…。…それに…これ、知盛が探しに行ってくれたんでしょう?」
望美はそっと薔薇の絵がカップの内側に描かれたカップを取り上げる。真紅の薔薇は紅茶に揺れて、とても綺麗だ。
前の物より意匠が大人びている。
「これも、すごく素敵。ありがとう、知盛」
「…これも食え」
口に無造作に押し込まれたのは、甘さを控えたクッキー。
どちらもいつもより大人びていて、望美はくすぐったそうに笑う。
せめてこれに見合うように、ならないと、知盛にはいつまでも子供扱いされてしまう。
「美味しいよ、知盛」
「…それはよかった」
苦笑を少し混ぜたような、望美を見る優しい笑顔。
これは望美だけが見れる笑顔だ、ということを望美はまだ知らない。
「…食ったら寝ろよ」
「まだ九時だよう」
「フン、子供は寝る時間だ」
子供扱いできるのがあと少しなことを、彼も知らない。