春になった。
もう、あれから一年経つんだと、感慨深く望美は思う。

この京に召喚されたのは、宇治川の冬だった。
京の春を過ごし、熊野の夏、生田の戦い、そして・・・・

冬の、壇ノ浦。

―――そうなるはずだった。
変えられたのは、きっと奇跡。
得られたのは、最愛の人。








桜の下で膝枕








「知盛ーっ!」
「・・・・・・・・・望美、か」

珍しくも束帯姿で、でもやっぱりちょっと着崩して、知盛は邸の縁側で寛いでいた。
将臣はやっぱりいない。

「ちょっと中納言殿?将臣君ばっかり働かせちゃ駄目じゃない」

望美が知盛の額をつつくと、知盛はフン、鼻で笑った。
ちなみに知盛に冗談交じりとはいえこんな口を利いて許されるのは数少ない。

「あいつは働き者・・・・だから、な・・・・」
「知盛が怠け者でいていい理由じゃないからね、それ・・・・・」

呆れつつ笑うと、知盛が不意に妖艶に笑った。

「こうして出来る限り、おまえといようと、努めているんじゃあ、ないか・・・・・」

望美は顔を赤くした。
言い訳だ、言い逃れだ。
分かっていても嬉しいし、そもそも知盛は嘘はつかない。
望美のために出歩かないというのは言い訳でも、望美といようとしてくれているのは本当だ。
何のために、知盛と将臣が梶原京邸に程近いここを居所にしているかということでもある。
だから望美もこうして不意に、会いに行けるのだ。

知盛の手がゆっくり伸びて、望美の藤色の髪を一房、優しくつかんだ。
それに緩く口づけられて、望美はドキドキする。
その仕草の色っぽさと、知盛の綺麗さに魅せられて、身動きも出来ない。

「知も・・・・・・・」
「――――神子殿か!」
「・・・・・・これは、言仁様・・・」

帝であった少年は、慣れない呼び名に照れつつも嬉しそうに笑った。
後ろにいるのは二位ノ尼―――尼御前だろう。
望美も面識のある二人が幸せそうなのは、素直に嬉しい。

「どうしてこちらへ・・・?」

意外にも知盛は子供が苦手でないのか、身内は別なだけか、言仁を邪険にしない。
結構かいがいしく世話をする。
このときもちゃんと起き上がりつつ、寄って来た少年の頭を撫でた。
敬意というより、やはりただ可愛がっているのだろう。
撫でられて、更に嬉しそうに言仁は笑った。

「桜が綺麗なので花見がしたい。それで、知盛殿も誘おうと思ってな!」

神子殿もいたとは、都合がいい!
そう言って喜ぶ姿は年相応で、望美にも微笑ましい。
確かに今は桜が盛りだ。
しかし・・・知盛は少し思案した。

「・・・・・仮にも上皇ともあろうお方が、簡単に出歩かれるのは・・・・」
「私もそう、申したのですが・・・・」

困りきった声は優しい。
止めきれず、ついて来たのだろう。そう察せられる声だ。
だが・・・・

「庭ならいいんじゃない?京邸、桜が見事だよ?」

望美の出した案は折衷案。
きっと言仁は出歩きたいのだ。それは望美にも分かる。
でもそれが駄目なら、ちょっとでも違うところへ。
さいわい、京邸はお隣だ。
でもちょっと歩くし、そのつもりにはなれる。

「神子殿の居所か!いいのか?!」
「うん、景時さんは怒らないと思う」

本当は微妙な間柄。だけど、たとえば朔が許せば問題ないことになるだろう。
望美は自信をもって快諾した。
尼御前が多少申し訳なさそうに、僅かな不安を垣間見せつつも嬉しそうに微笑む。
知盛はすっかり決まっているような流れにため息をついた。
まあいいだろう・・・・。
そして小一時間後、場所は梶原京邸へと移されて――――















「・・・・・ったく、はしゃぎ過ぎ、コンニャロウ」
「仕方ないでしょう・・・・・帝・・・いえ、言仁殿下には初めてのことです」

主だったメンツを揃えた宴会が夕暮れまで続いた。
各方面に文を出した結果、こっそりとみんな抜けてきたのだ。
さすがに熊野のヒノエは無理だと思っていたら、京にいたらしい。
噂を聞きつけて、一時間だけ参加してくれた。
重衡や将臣はもちろんのこと、景時も顔を出し、入れ代わり立ち代わり、人は途絶えない。
敦盛やリズヴァーンも山から降りてきて、小言を言いつつ九郎も参加。
望美が知盛と桜の下で舞を披露していると、五条で薬師を営む弁慶が近所の子を連れてきた。
彼らは言仁のいい遊び相手になり、たっぷり遊んだ言仁は疲れて眠ってしまった。
――――望美の膝枕で。

「可愛い〜」
「・・・・・・・・・・・」

今はもう、お開きの時間。
本当に平和で、楽しい春の一日だった。
望美にはこの幼い寝顔が、何よりも幸せの証左に思える。
暮れなずむ空は、望美の気持ちを代弁するように、ゆっくりと夜に移行する。

にっこり笑った重衡がその腕に大事そうに言仁を抱き上げた。
尼御前がそれに従うように帰っていくのを、望美は名残惜しげに見送った。
三人の姿が消えた途端だった。

「・・・・・・・・・知盛?」
「・・・・・・・・」

知盛が黙って横になった。
望美の膝を枕にして。

「・・・・・重いんだけど・・・・」
「・・・・・・・・うるさい」

夕暮れまでご機嫌だったくせに、なんだろう?
そういえばずっと無言だったような。

知盛は弁舌家ではないが、無言の男ではない。
不思議に思いつつも、皆との花見が楽しくて望美は放置していた。
言仁が膝で寝付いてからは、その可愛さに夢中で。

ふと、気付く。
・・・・・・・・・・もしかして。

「・・・・・ヤキモチ?」
「・・・・・・・・・・・・」

答えないのは変わらないが、違うなら違うと、知盛は言う。
拗ねたような態度が可愛くて、無言の肯定が微笑ましくて、望美はくすくすこらえかねたように笑い出した。

「・・・・・おい」
「ご、ごめ・・・・・だって・・・・・!」

不機嫌にさせてしまう。
分かってはいるのだが。

「ふふっ、大好き、知盛!」
「・・・・・・・・フン」



見上げれば月が昇っていた。
空はまだ少し、夕闇を残して。

秋の生田。紅葉の降るあそこで、もし剣が振られていたならば、あなたはきっと退かなかった。
冬の壇ノ浦で沈むまで、あなたはきっと止まらずに、あなたをまた、私は殺したのでしょう。
今、桜の京で、二人、ここにいる。
これは奇跡だ。
そして愛おしい現実。

望美はもう文句も言わず、月を眺めることにした。
知盛が満足して、望美に口づけてくれるまで。