遙かなる時空の中で見つけた恋は、いつもすぐ傍にあったはずのもの。
 一度は離れ、失いかけ―――再び手にすることができたのは、私たち二人ともが諦めず、同じ気持ちでいたからだ。
 望美はそう思う。
 学校の屋上で抱き合ったときの、泣きたくなるほどの愛しさは、今も胸に残っているから―――




お前の瞳の先




 将臣くんと恋人になって、現代に戻って……私たちの距離は、やっぱりちょっと変わった。
 ううん、ちょっとじゃなくて……。




「―――花火ィ?わざわざ行くのかよ、あんな人混みを?」

 望美が持ってきたチラシを見るなり、将臣は思いきり嫌そうな顔をした。
 ……うん、こういうところは変わってないんだよね。
 何ていうの、空気読まずにこういうことを平気で言えるあたり?
 だけど、以前とは関係が違う。
 望美は勇気を出して食い下がってみた。

「人混みに行きたいんじゃないの!将臣くんと花火を見に行きたいんだよ。ねえ、いいでしょ?」
「……マジかよ……」

 将臣は本気でげんなりしたような顔をする。でもこれは、幼馴染の時からのOKの証のようなものだから、望美は気にせずにっこりする。

「マジマジ♪」
「こら、嬉しそうにすんな。ったく……行くって言ったわけじゃねえぞ」
「ふふ、わかってるよ」

 ―――それでも行ってくれるってこと。
 そこを口にすれば将臣がへそを曲げてしまうから、望美は、ちゃっかりそこをぼかして微笑んだ。
 そんなことは、幼馴染の呼吸でよくわかっている。
 こんなところも相変わらずで、でも……。

「はあ…ホントに行くのかよ……」

 将臣が大きくため息をついた。
 望美を後ろから抱き締めてくる。将臣のベッドの上というシチュエーションなだけに、望美の鼓動も大きく高まった。
 ぼやきが肩口に降ってくる。

「だいたいその日、俺の誕生日じゃん。お前と二人でいたかったのに」

 ……これだ。
 望美はちょっと顔を赤らめた。

「……人がいたって、私は二人きりだと思ってるよ。周りの人だってきっとそうだよ?」
「それでもだよ。こうしてる方がずっといいだろ?」

 甘い声。
 甘えたな―――それでいて力強い腕。
 幼馴染だった頃と、当たり前だけど触れ方がもう全然違う。
 優しくて、熱くて、時々壊されそうになるほど激しくて―――
 ……あ、当たり前だよ?
 幼馴染だった時と一緒だったら、それはそれで困る。
 だからもちろん嬉しい。
 嬉しいんだけど……。

「……ン、将臣くん……くすぐったいよ」

 後ろから色んな所に触れてくる将臣の手。
 本当はもうくすぐったいだけじゃない。
 だけど恥ずかしさが勝って、望美は将臣の手を押し留めた。

「………くすぐったいだけじゃねえだろ?」
「……馬鹿」

 甘い、熱い、意地悪な目が振り返った望美を見つめてくる。
 望美は小さく拗ねるしかない。
 恥じらう強がりな唇を、将臣が塞いでくる。
 最初はそっと―――次第に熱く。











(―――結局行くことになっちまったか)

 望美を帰した部屋の中、将臣はごろんとベッドに寝転がった。
 枕に僅かに望美の髪の香りが残る。
 それだけで切迫にも似た何かが胸の中に荒れ狂って、ようやく帰すことができた望美を呼び戻し――あるいは、望美の部屋に押し入って、また抱き締めたくなってしまう。
 もう失われることはないのに。
 離さなくてもいい。
 以前と同じように誰よりも近く――それどころか、それ以上に近い位置にいることができるのだ。
 それなのに胸に迫るこの気持ちは何だというのか。
 将臣は自分の気持ちを持て余す。
 だがそれさえも幸せなのだろうとも思えた。
 ……ここ数年の間、将臣は平家の存続だけに気を取られて、どうしても自分の気持ちとかいったものを優先させることができなかったから。
 自分だけの気持ちに向き合える。
 それが今更で、妙に気恥ずかしくて、どうにもこう、難しい方に考えようとしているんじゃないだろうか。
 そんな風にも思ってみたりする。

(やべえな……)

 将臣は一人ごちた。
 好きすぎる。
 望美を一度抱いてから、どうにも歯止めがきかない。
 前はもう少し抑えというか、何というかが利いていたような気もするのに。

「………夏祭り、か」

 将臣は小さく呟いた。

(ああくそ、やっぱり望美のヤツ、浴衣着てくるんだろうなー。したら絶対可愛いだろ。大丈夫か?抑え利くか、俺?)

 悶・悶・悶……。
 青少年か、俺は。いや青少年だけど。
 あの時空で手に入れたはずの、ちょっとした自制心や落ち着きは、身体が元に戻ったのと同時にどこかへ隠れてしまったようだった。
 ああ駄目だ。望美が愛しい。







 どんなに将臣が葛藤しても、祭りの日というのは容赦なくやって来る。
 容赦なくやって来るのは別に祭りの日だけじゃないのだが、将臣の感覚ではやっぱりそんな感じだ。
 ちなみに、家には将臣しかいない。
 父母は例によって留守、譲は弓道部の合宿だ。
 どうも譲はインターハイまでいってしまったらしく、部を挙げての強化合宿となったそうで、三日前から缶詰になっている。
 いかんいかん。
 どうにも都合のよすぎる状態の我が家だ。

(こんな日に夏祭りに行くのか……?)

 絶好のスポットがここにあるのに?
 将臣は本格的に行きたくなくなってきた。
 でも、どうせ行くのだろうが。
 これは幼馴染の時からで、もはや刷り込みに近いが、将臣は望美のおねだりに勝てたことがないのだ。
 それはもう約束のように。
 もしかしたらそれは、星の一族のDNAなのかもしれないけれど。


 ピンポーン♪


 機械音まで弾んでいるように聞こえる。
 将臣は欲望のこもったため息をひとつついて、のろのろと立ち上がった。
 そこには案の定、笑顔満面の望美がいた。










 江の島の花火は結構大規模で、言わずと知れた夏の風物詩でもある。
 だが、ここ数年は受験や誰かの用事が重なって、なかなか行く機会がなくなっていた。
 いつも三人でいたから。
 ……今年も本当なら、いつものまま幼馴染だったら、譲が合宿だという時点で行かないことは決定されていただろう。
 二人で夏祭りに行ったのは、あれは、いつ以来だっただろうか……。

(将臣くん、覚えてるかな……)

 望美はちら、と将臣を見上げた。
 精悍な横顔。
 向こうの時空にいた時よりは幼い、けれど切れ長の瞳に、胸がドキドキする。
 カランコロンと、音がする下駄の望美に合わせるように歩調は緩い。
 だから、気づいてくれてるんだろうとは思うのだが、どうにも将臣は上の空だ。
 電車の中も……今も。

「―――混んでるね、やっぱり」
「まあ、有名だしな」

 声をかければ返ってくる。
 だけど会話は続かなくて、望美は何だか寂しくなる。
 ……そんなに行きたくなかったのだろうか?

(それを、無理強いした?私……言えば、連れて行ってくれるなんて思って……)

 望美は足を急に止めた。

「……望美?」

 ほら、気づいてくれる。止まってくれる。
 でも、何も言ってくれない。
 二人きりのデートなのに、手だって差し出してくれないでしょう?
 望美は二人の距離を感じ、無性に寂しくなった。
 それは、今日この時のことだけではない。
 ずっと秘めていたこと。

「そんなに行きたくなかった?夏祭り……」
「え?」

 将臣の顔が、まるで取り繕ったように驚いた風になる。
 まさか、それで何でもありませんよなんて言う気なのっ?

「それならそうと言ってよ、将臣くんの馬鹿ぁっ……!」

 どうしてだろう、堪え切れなくて、望美は人混みから逆流して、海とは反対方向に駆けて行ってしまった。

「あっ、こら望美……っ?」

 将臣の声が聞こえた気がしたけど、望美は立ち止まらなかった。
 立ち止まることが、できなかった。







「……痛……」

 望美はいくらか走った先の林のあたりで、蹲った。
 下駄でなんか走るからだ。血が出ている。
 ……後ろで大きな音がする。
 花火が始まったんだと思ったら、何だか無性に孤独な気がして泣きたくなった。
 向こうは騒がしいだろうと思うのに、声も届かない。この辺りが嘘のように静かだからだろうか。

(将臣くんは、変わった)

 変わったことは嬉しくて、歓迎できるはずだった。
 こ、恋人なわけだし、いつまでも幼馴染のままだと何だかそれも困ると思うし。
 触れてくる手の変化は、恥ずかしいけれども嬉しい。
 何度も身体ごと愛されて、望美は向こうで負った心の傷も全部癒されているかのように思えた。
 ―――だけど。

(私一人、変わらない)

 我儘言って、受け入れてもらって、愛されて、受け取るばかりで。
 進歩が、ない。
 浴衣を頑張って着て、将臣のためだけど、それを気づいてもらえないと拗ねる自分が嫌い。
 手を繋ぎたいなら繋げばいいのに、繋いでくれたらいいのに止まっている自分が嫌い。
 将臣はいつでも進む。
 自分は必死に追いかけるけれど、何だか変われないままで。


 ―――寂しい。


 こんなに愛されてるのに、寂しいことなんて一つもないはずなのに、もっとと強請る自分がすごく我儘で駄目なように思える。
 今日は、将臣の誕生日だから、来たのに。
 望美は鼻をひとつ鳴らして、起き上がった。

「……戻ろう」

 そして、せめて謝ろう。今からでも将臣が本当に嫌なら帰ってもいいし。……うん。
 殊勝に考えて、元来た道を戻ろうとしたとき。

「―――っ」

 がさがさと音がした。望美は気づき、身構える。
 まずい。痴漢?それとも、野犬とか……。

(と、とにかく武器!)

 近くの棒切れを掴んで構えようとして、足に激痛が走って顔を顰めた。痛っ―――


「やっ……」


 音は近づいてくる。
 望美は一瞬後ずさった。
 怖い。
 こんなの、向こうじゃ何ともなかったのに。

   もしかして自分は、進歩していないどころか後退している?
 もっともっと、駄目になっているのか……?
 望美はそれでも棒を構えながら、強く目を瞑った。
 思わず、呼ぶ。

「ま、将臣くん……っ!」
「おう、何?」

 ―――現れたのは将臣だった。
 片手で望美を倒れないように器用に支え、もう片方で棒切れを捕まえて自分に当たらないようにしている―――後ろから。
 将臣は何事もなかったかのようにからりと笑った。

「おっ前、相変わらず強いな〜。何か逆方向守ってんのは、ちょっとアレだけどな」
「なっ…ど、どういう意味よ!」

 謝ろうと思っていたことも忘れて、望美が怒る。
 将臣は少し笑ったけれど、ちゃかさなかった。
 ―――ふわり、抱き締められて、望美は何だか息を詰める。

「ま、将臣くん……?」
「……悪かった」
「え?」
「感じ、悪かったよな。ずっとお前の方見ないで、上の空でさ」

 ……先に謝られてしまった。
 何だか倍くらい情けなくなって、望美は思わずぎゅう、と棒を握り締めてしまう。
 後ろからの暖かなぬくもり。
 そういえば、こうされることが多いなと今更気づく。
 そろっと見つめると、困ったような将臣の瞳とぶつかった。

  「……浴衣見たらやっぱり独り占めしたくなるだろ。で、どうやって帰ろうって言い出すか、考えてた」
「なっ……!」

 望美は真っ赤になって口をパクパクさせる。
 怒りだか照れだかわからない感情でいっぱいになって、望美は寂しさを忘れた。

「ここまできて!?」
「……だよな。俺も腹くくってちゃんと遊ぶから、お前も腹くくれ」
「へ?」

 将臣がニッと笑う。
 ―――最近望美が一番好きで、苦手な笑顔で。
 何だか、やらしい感じの。

 思う間もなく、望美のお尻を将臣がわざとらしく叩いた。

「だからきっちり遊んで、早く帰ろうぜ―――なっ♪」

   ――――ばれてる!!!!

「や、そのあの、これはそんな意味じゃなくて、だからね…!?」
「わーかってるって」
「ぜ、絶対わかってないよー!」

 半泣きの望美の腕をぐいぐい将臣はひいていく。
 こうなっては望美も振り回されるまま。

 
 延々とぐるぐる振り回される中で、望美はいつしかしたたかさを身につけ、知らないうちに進歩していくのであった。
 めでたし、めでたし?