何度屋上に昇ったか、覚えていない。
ずっと寂しかったよ。
でもずっと、信じてた。
きっともう一度、逢える。
それが叶った今が、私はとても、幸せなの。
思い出をたくさん
「将臣君!早く早くー!」
「分かってるって……たく」
発端は、ある日、望美が持ってきたのは一枚のチラシだった。
「新装オープン?じゃああんまり変わんねえんじゃねえの?」
「そんなことないよ!イルカが来るんだよ!」
「イルカくらいどこにでもいるだろ」
「いいじゃない!ね、ね、行こうよ〜。行きたいよ、将臣君〜」
他愛無いやり取り。
でもここで、俺たちではなく、俺だけ誘うようになったのは、一つの進歩と言えなくもない。
いや、それはまだ分からない。
望美の天然を骨身に沁みて理解している将臣は、確かめておくことにした。
「……ちなみに譲は?部活?」
そう、単に譲に断られ済み、という可能性もなくはない。
だったらどう、ということはないのだが……。
ちょっとした確認。
将臣にとってその程度の質問は、望美の顔をぽんっと赤くさせた。
「さ、誘ってないから知らない」
「ふーん、これから誘うのかよ」
「……将臣君の意地悪。二人で、行きたくないってこと?」
可愛らしいイジケぶりに、将臣は破顔した。
「ンなわけないだろ。行こうぜ、二人で」
「……うん!やったあ!」
行くのが水族館、っつーのがどうにも子どもっぽいけどな。
心底嬉しそうな望美の笑顔はそれだけで嬉しいし、二人を意識してくれているのはやっぱり格別で。
次の休みはバイトの予定だったけど、まあそれは別の奴に代わってもらった。
そして、今に至る………。
「将臣君、凄いよ!魚のアーチだよ!」
「ちょっと低くねえか、天井」
まず入ったのは、屋内展示の回廊。
そこでは大きな水槽のぐるりをトンネルのように透明な管が通っていて、俺たち人間が魚に鑑賞されつつ下りていく作りになっていた。
しかし、狭い。
はしゃぐ望美を横目に、将臣は眉を顰めた。
前の男も首を竦めているし、俺だけじゃないと思うんだけど。
「そう?私には全然……」
「そりゃお前はな」
「もうちょっとだよ、将臣君!」
「はいはい」
軽口を叩きながら進む。
アーチをくぐりぬけると、ようやく吹き抜けの大展示場に辿り着いた。
俺はやっと、首を伸ばし、肩をぐるぐる回した。
「ぐあ、生き返るー」
「ふふっ、お疲れ様!」
笑う望美はあどけない。
リボンの大きなカットソー。
ショートパンツから伸びた足が健康的だ。
いつもより可愛く見えるのは、俺の気のせいか?
「おお疲れた。まさか、あれ、戻ってかなきゃいけないなんてこたねえよな?」
「大丈夫じゃない?戻ってきた人、いなかったし……」
「そりゃ助かる」
大袈裟に肩を竦めた俺を見て、望美が楽しそうに笑う。
ああくそ、可愛いなー。
抱き締めたい衝動を堪えるために、将臣は前方の大水槽を見る。
そして息を呑んだ。
極彩色。
たぶん南の海の、魚たち――――
「………綺麗だねえ」
さっきまではしゃいでた望美が、どこかしみじみと呟いた。
ふと気づく。
望美が強固に、まずはここと譲らなかったこと。
入り口に一番近いのは確かで、深くは考えなかったけど、イルカショーだっていい時間だったのに。
一番それが楽しみだと言っていたくせに。
それが、何のためかなんて。
「……ああ」
声は、震えなかっただろうか。
涙は、滲まなかっただろうか。
置いてきた、送り出してくれたたくさんの大事な人たち。
幸せにあれからも、過ごしてくれただろうか。
「綺麗だな」
「こんなだった?南の島」
「どうだかな。こういう魚はいたけど、深くまでは潜れねえしよ」
「そっか」
軽く話しつつ、胸が優しく暖められる。
(望美も、そうなのかな)
忘れることはできない。
うまくいかなかったことだって、山ほどある。
優しく思い出すにはまだ生々しく、後悔が常に先に立って。
だけどこうして思い出せば、それは胸が締め付けられるようにかけがえのない思い出で。
(望美もこうして、乗り越えたのかな)
まだ話せていないことはお互いたくさんあるはずだった。
この半年。
不思議なほどお互いに、あの頃のことを話さなかった。
例えば譲となら、俺は話せるのに。
話せたのに。
「だけど、こんなだった。うん」
「……そっか」
静かな笑顔が、自然に浮かんでくるのを将臣は感じていた。
どちらからともなく、手を繋ぐ。
暫くは無言だった。
二人とも。
それでよかった。
それを打ち破ったのは、次のイルカショーの告知のアナウンス。
「大変、将臣君!早く行かないと!」
「お、おいおい、引っ張るなよ」
「だって始まっちゃう!」
元気に俺を引っ張りだした望美の目の端、ちょっと涙の名残りを見つけて、苦笑する。
「はいはい、行くぜ」
「きゃあ!……もう!何するの!」
位置を入れ替え、反対に望美を引っ張るようにして、将臣は走り出した。
転びかけた望美が反射的に体勢を直して怒る。
だけど、遅れてはならないと思ったのか文句は走りながら。
結局、水族館は将臣の予想より随分と大きくなっていて、一日みっちりかかってしまった。
全部のショーと館を巡って、今は帰り路。
望美は夢の中。
手の中にはお揃いのカップがしっかり握られている。
「……ったく、子どもみてえ」
将臣は苦笑する。
無理に起こそうとは思わないが、ちょっと退屈。
そんな風に思って欠伸をした将臣も寝てしまい、二人が乗り過ごしたのは言うまでもない。