ここ最近、どうも困ることがある。
最初は戯れだった。
あるいは挨拶。
可憐な花に対する最低限の礼儀と言うか。

それが、いつの間にか。



困る。
気になって、心が騒ぐ。
こんな自分は初めてで。




焦燥



勝浦の宿。
長逗留を余儀なくされた一行である。
ヒノエは部屋を覗いて、望美の姿がないことに気づいて舌打ちをした。
・・・・・・今日は間に合わなかったか。

「おや、ヒノエ。どうしたんですか?」

気さくな声をかけてくる叔父を少し睨む。
のほほんとした顔しやがって。

「どうもこうも。―――姫君は不在みたいだね」
「ええ、出かけてしまいましたね」

揺れもしない微笑に、苛々する。
ついでに自分にも苛々する。
この男のこんな様子はいつも通りで、それなのに苛立つ余裕のなさが不快だ。

「神子姫様に八葉は同行しなくていいわけ?川の調査は?」
「川の調査は連日望美さんや九郎がしてくれてるみたいですし、問題ないですよ」
「・・・へえ、九郎が同行してるのかよ」
「いいえ?」

よどみなく答え、一片の迷いもない綺麗な笑顔で弁慶は首を振った。
それは一見、望美に対する全面的な信頼のようにも見えた。
彼女のしていることをすべて是認するかのような。
だが―――
ヒノエは、弁慶も烏の報告を受けていることを確信する。

「・・・・・・いいのかよ、それで?」

ヒノエの挑戦的な眼差しに、弁慶はふと微笑を消した。
それでも声は、揺れない。

「―――ええ」

ヒノエがまた小さく舌打ちし、そのまま踵を返した。
その後姿を、弁慶は少しだけ見送って、瞑目する。

甥の奇策に乗る形で、戦の流れは一気に源氏へと傾いたかに見える。
それでもまだ、平家に繋ぎは残しておきたい。
自分が公に、望美をあそこから連れ出すことは出来ないのだ。

彼女を追っただろうヒノエが、少し羨ましかった。









弁慶の予測通り、ヒノエは望美を追っていた。
ただし、見つけた後姿に、声をかけることは出来なかった。
報告の通り、一緒にいるのは将臣と平家一門の二人。
優美な物腰で宮中の光る君と謳われ、その知謀と武勇で戦場に並ぶ者無しと恐れられた男。

(平知盛、ね・・・・・・)

どうして望美と二人が出歩いているのか、ヒノエは知らない。
紀伊半島の入り口で偶然再会したという将臣はさておいて―――いや。

(あの時も、今も、どうして望美は幼馴染を放置する?)

時空の奔流で、別々になってしまったという幼馴染の片割れ。
きっと探していただろうに、望美は同行できないと言う将臣の手をあっさりと離していた。
今も、八葉と合流させず、譲も連れずに、望美の方が将臣に合流している。
それが気にかかる。
―――それだけじゃない。
不意に見せる瞳の煌き、哀しい横顔、剣の冴え。
笑顔。
どれもヒノエを惹きつけ、離さない。
最初は本当に、単に源平への影響を見極める、それだけだったのに。


気にかかる。
彼女が与える影響ではなくて、その行動と、心が。


「・・・・・・もうっ、知盛!どこに行くの!」
「クッ・・・・・・わざわざ追ってきた、か・・・・・・」

木陰で様子を窺ううちに、望美と知盛は二人きりになっていた。
ヒノエは少し、眉を顰める。
それはまぎれもなく敵方の男。

(それなのに、・・・・・・随分親しげだよなあ)

ヒノエはじっと二人を見つめる。
優美な一対。
失われた舞を舞う名手の噂は、ヒノエの耳にも届いている。

一瞬、望美が最初から平家方だった可能性も考えた。
――――ありえない。

だが、それならば何故、望美は・・・・・・

「・・・・・・・っ」

思考は、一気に中断させられた。
思わず出て行こうとした自分を押し止めた。

ヒノエの視界に、望美の唇を奪っている知盛がいる。
その菫の瞳が、確かに自分を見て、微笑んだ。

(・・・・・・・ヤロウっ・・・・・・!!)

怒りで、目眩がした。
一方で冷静な自分が囁く。

何の怒りだ。
何の苛立ちだ。
何の―――羨望だ。

これは、誰への気持ちの発露だ・・・・・・?


(それはお前が持っていいものかい?)


「おーい、望美、コラ知盛ー?」


遠くから聞こえる将臣の呑気な声に、呪縛をとかれたのはヒノエも同じだった。
望美が知盛を睨んで走っていく。
知盛がそれを追う。
一連の行動を、ヒノエは黙ってみているしか出来なかった。


傍観者。
叩き込まれた中立の精神が、感情で動くことを堪えさせた。

あるいは、男としての意地が。

「―――くそっ・・・・・・」

ヒノエは思わず拳を近くの木に叩きつけた。

(見極めなくては明かせない)
(明かした後も、見捨てることになるかもしれない)

それでいいといつもなら思うのに、躊躇う。
まだただのヒノエでいたい。
誰も、何も、彼女と自分の間に置きたくない。


ヒノエは戸惑う。
こんな気持ちは初めてで、いつもの恋とは勝手が違って。

「望美・・・・・・・」

普段は滅多に呼べない名前を、小さく呟いた。



焦燥。
それは、閉じ込めた胸の片思い。