迷宮から戻り、みんなでのクリスマスはとても楽しかった。
 でも・・・・・・


(せっかくのクリスマス―――ヒノエくんと過ごしたかったかも)


 そう思った望美の願いを叶えるように、有川家の門を出たところで声をかけてきたのはヒノエだった。

「待った。送ってくよ」

 優しい声に、望美は思わず言った。

「だ・・・大丈夫だよ。隣だもん!」
「そうだけど、それでもさ」

 いつも軽やかなヒノエの目が、困ったように細められる。
 望美の天邪鬼も引っ込むような切なさで。

「もう少しだけ―――一緒にいたいって思っちゃダメかな」

 これを蹴ることは、いかに望美でも出来なかった。





聖なる夜の贈り物





 ヒノエが手を伸ばしてくれたから、望美はそっとその手の中に自分の掌を滑り込ませることが出来た。
 寒い夜に感謝したくなる。
 それと、大きな有川家と。
 隣の家とはいえ、玄関までは少しかかるのが、このときばかりは嬉しかった。

 塀の長さの分が、二人きりの時間。

・・・・・だけどそれはすぐに着いてしまう。
しかも。

「じゃあここまでかな。また明日」

 ――――あんなに切なげな目を見せたヒノエは、春日家の玄関であっさり踵を返してしまう。
 あっさりと離れた手に、望美は寂しさを堪えられない。


 あれは、その場だけの言葉なの?


「待って!」

 ヒノエが振り返ったのは、望美が自分で思わず口を抑えるほど声が大きかったからだ。
 望美は頬を赤らめて、ヒノエのジャケットの端をつかんだ。

「もうちょっとだけ…私も一緒にいたいよ。駄目かな」
「……お前は」

 呆れたような声音に、望美が思わず目を瞑った。
 ・・・・・そんなに簡単に目を瞑ると、キスされちまうぜ、望美?
 今すぐ抱き締めたくてたまらなくなる風情に、ヒノエは苦笑する。
 これだから、望美は困る。

「まいったな。そんなこと言われちゃ、攫って行きたくなるだろ?」
「えっ・・・・・・」

 驚きに開かれる目も、寒さと羞恥で赤らんだ顔も、全部愛しくなる。
 ヒノエはもう一度、望美に手を差し出した。

 手配だけした、無駄になるはずだったプレゼント。

「じゃあ・・・・・・来るかい?今夜一晩の逢瀬の対価に、あの星空をプレゼントするよ」

 満開の笑顔は、先にもらったクリスマスプレゼントのようだった。













(・・・・・・・ど、何処に行くんだろ)

 てっきり街中に出るのだと思っていた望美は、不安げに辺りを見回した。
 すっかり住宅地の奥の山の中。
 ヒノエが面白がるように笑う。

「怖いのかい?やだな。約束しただろ。お前を星空に連れていくって」

 それがどういう意味か分からないのだ。
 まさか―――山の上で星空鑑賞?

 そう思ったとき、静かだが確かな音が近くなってきた。
 これは・・・・ヘリコプター?
 気づいて視線で問う望美に、ヒノエは小粋にウィンクした。

「二人を天つ国へいざなう御使いの羽音・・・・・かな」

 高台の広場には、確かにヘリコプターが乗客を待つようにスタンバイしていて、望美は絶句した。
 ヒノエはあっさり扉を開けて、望美を誘う。

「さあどうぞ。お前のために用意した、空を翔ける船だよ」













「ああっ、すごい!あれレインボーボ―ブリッジ?」

 衝撃が過ぎ去ってしまえば、望美は窓の夜景に釘付けだった。
 ヘリコプターの中は、運転席と区切られたちょっとした小部屋になっていて気兼ねする必要はない。
 こんなものに乗ったこともない望美は、素直な疑問を呈した。

「ねえ、このヘリコプターどうしたの?」
「言っただろ。お前のために用意したのさ。気に入らない?」

 気に入らないはずがない。
 でも・・・・・・・
 ヒノエをひきとめた後、ヒノエがどこかに連絡した様子はなかったのに・・・・?

 もとから用意してくれていたのだろうか。
 だとしたら・・・・・・あの呆気ない去り際が気にかかる。

「う、ううん・・・・凄く素敵・・・・・でも、私があの時引き止めなかったら、どうしたの?」

 食い下がる望美に、ヒノエは苦笑した。
 この夜景に飲み込まれてしまってくれればいいのに、どこか聡くてヒノエはいつも困ってしまう。
 少なくとも最初から用意していたことは見抜かれているようだった。
 仕方ないから、そこは誤魔化さないことにした。

「それはしょうがないだろ。・・・・・これはね、賭けの一つなんだ」
「賭け?」
「そう」

 ヒノエは謎めいて笑う。
 こういう笑顔の時は、ヒノエは絶対に口を割ろうとはしないのだ。
 望美は追及を諦めた。

「ホントに綺麗ね・・・・・」

 再び窓に張り付く望美を、ヒノエは優しく見つめる。
 そうだね、と言いながら、窓に映る望美ばかり見てしまう。

「・・・・・・・これがオレのホントのクリスマスプレゼント」

 不意の一言に、望美は振り返った。
 やっぱり最初から用意してくれたのだ。
 しかし、望美は首を傾げる。

「さっきのじゃなくて?」

 クリスマス会で、望美はヒノエのプレゼントを貰っているのだが・・・・・・。
 望美の言いたいことを察して、ヒノエが嫌そうな顔をした。

「・・・・・・まあ運よくお前にいって、よかったけど、あれは交換会だろ?お前のは弁慶がかっさらっていったし・・・・・・」

 望美の企画したプレゼント交換。
 ヒノエの買ったプレゼントは望美にいったが、それはそれ。
 しかも肝心の望美が作ったというモノは、叔父に取られているのだし。
 あれを数に含められたくない。

「ちゃんとお前のために用意したかったんだよ、オレは」

 拗ねたようなヒノエに、望美の中で暖かい気持ちが広がる。
 嬉しいような、くすぐったいような。
 抱きついてしまいたくなる。
 これが譲や将臣になら、躊躇わず、抱きついていたかもしれない。

「・・・・・ありがとう。すごくうれしい」

 望美が幸せそうに微笑むのに、ちょっとヒノエも機嫌を直した。
 この一夜に不機嫌な顔ではいたくないし。
 しかし、今度は望美が少し拗ねた。

「でもそれなら・・・・・私もヒノエくんにプレゼントしたかったな。ちゃんと用意すればよかった」

 思いつかなかった乙女回路の足りない自分を本気で望美は悔やんだ。
 時間はあったのに。

「優しいね。じゃあ・・・・・ひとつだけ、お願いを聞いてくれるかい?」

 望美はそれを、ヒノエの優しさだと思った。
 躊躇わずに頷く。
 それに・・・・ヒノエのおねだりは、本当に数少ないのだ。
 叶えられるなら叶えたい。

「うん、いいよ」

 簡単に請け負った望美に、ヒノエは微笑んだ。

「一瞬だけ、目、閉じて」

 ふっと伏せた暗闇の向こう。
 小さな音。
 望美が驚愕で目を見開いた時、ヒノエの顔はまだ、間近だった。

「ヒ、ヒノエくんっ!?今―――」
「ふふっ、他の連中には秘密だよ。オレもまだ命が惜しいからね」

 そうして笑う姿に望美は胸が締め付けられる。
 突き起こったのは、衝動に近い。

「のぞ―――――・・・・っ」


 ――――冗談みたいなキスじゃ嫌。
 ちゃんと、触れて。


 どうすればいいかわからないから、望美はついばむようなキスを繰り返した。
 離れない唇に、ヒノエが陥落する。

「口、開けて・・・・・・」

 聞いたことがないほど、その囁きは掠れていた。
 望美の中の何かが甘く震える。

「んっ・・・・んんっ・・・・・・」

 甘い甘いキスに、目眩がした。
 立っていられない。

「・・・・・・他のヤツに殺されても文句の言えない贈り物だね・・・・・・」

 懸命に応えようとする望美が愛おしかった。  望美は望美で、ヒノエのささやきに、何かが全部壊されそうだった。
 もう一度、唇が重なる。

 滑り込んできた舌を、もう望美が躊躇わずに追った。
 絡まり、くすぐられる愛しさに、望美が力を込めた、そのときだった。


「――――時間切れ、ってね」


 ヘリコプターの羽音が変わる。
 望美を名残にきゅうっと抱き締めて、ヒノエは離れた。
 何かの指示があるのだろう。
 残された望美は、きゅうと自分を抱き締めた。

 気づいてしまった。
 淡い想いだと、思い込んでいたものの成長に。
 甘いだけの恋じゃない、この想いに。



(彼は、還らなきゃいけないのに――――)



 うつろな心に響いた恋が、この先の導となることを、このときの望美はまだ知らない。