「オレの姫君」

そう呼びかけるとお前は少しだけ赤くなってくれるけど。
正直物足りない。
照れるだけじゃつまらない。


(どうかオレのところまで堕ちてきて)


だから今日も、オレはお前に手を伸ばす。





オレの姫君





夏の熊野に現れた白龍の神子は、噂よりも可憐な少女だった。
男たちに護られて、それでも元気に出歩く姿は目を惹いた。
変わった装束。
すらりと伸びた手足。
そして何より。
――――熊野の海を思わせる瞳。

(一目惚れ、って言ったら信じるかな)

ヒノエは自分でも信じていない目でくすりと笑う。

源氏として来たのも、弁慶がついてるのも気に食わないが、まあ様子を見るのに困ることはない。
ヒノエは時折望美たちの様子を見ることにした。









「やあ、めずらしく一人かい?」

潮岬で、一人素振りをしていた望美は、後ろから唐突にかけられた声に振り返った。

「ヒノエくん!」
「こんにちは、姫君」

熊野水軍の一員を名乗る彼は、弁慶の甥らしく饒舌で女の子を酔わせる何かをもっている。
警戒しなきゃ、とも思わせるのに、彼はいつの間にかするりと入ってきてしまう。
魅力的な笑顔で。

(いっつも絆されるんだよね)

そう思いつつ、憎めないのは何故だろう。
望美にとって熊野は3回目。
今度こそ、熊野水軍の援護が欲しい。
ヒノエは橋渡しをいつもしてくれるけど、それが得られたためしはない。
今回も、そうだろうか。
どうやったら熊野は動かせる?

「どうしたの?オレの顔、何かついてる?」
「あ、違うの。ごめん」
「ふふ、いいよ。姫君にならずっと見つめられていたいね」
「もう、すぐそういうこと言う!」

凝視していた望美を、ヒノエはからかうように触れる。
望美はペシッと小気味いい音で、その悪戯な手を払い落とした。

「ちえ、いいじゃん、少しくらい」
「ダメ。すぐ触るんだから」

軽く、もう一度ちえっとヒノエが舌打ちして、ちっとも悪びれない様子に望美が苦笑した。
まったくこの人は。

「お前にしか最近触ってないよ?」
「最近って・・・・」

ある意味正直で、不誠実な言葉に望美は呆れる。
ヒノエはまた、ふふっと笑った。

「オレはこれでも、本気なんだけど」

望美はふ、と、表情を消した。

「――――私だって、本気だよ」

その気迫は、ヒノエのように軽いものではない。
勿論ヒノエとて軽くはないつもりだが、これはその質量が絶対的に違うのだ。

「・・・・熊野を味方にって?」

一転して揶揄するように哂うヒノエに、望美は真剣な顔で頷いた。

「もう誰も、失わないために」

その瞳に気圧される。
その強さに魅入られる。


その瞳の色が、愛した熊野の海でなければ、きっと呑まれずにすんだのに。


「・・・・・・・・熊野は慎重だよ?」

知ってる、と望美は心の中で呟く。
ヒノエに見て取れたのは、ちょっと嘆息した姿。諦めたか?
そう思う間にも、望美の瞳が力を煌かせて再びヒノエを射抜いた。

「でも、諦めないから。私は戦を、終わらせたいの」


――――ああ、その瞳が熊野の海でなければな。


もう一度魅入って、ヒノエは少し、苦笑する。

取り込まれそう。
吸い込まれそう。
からかうつもりが、本気になりそう。


でもそれは、自分ひとりじゃつまらない。


「オレの姫君は、魅力的だね。堕ちてしまいそうだよ」
「は、恥ずかしいこと言ってはぐらかさないでよ・・・!」

ヒノエが軽口に紛れ込ませた本音に、望美が慌てる。
赤く染まった頬が可愛い。

「本気だよ?褒めてるのに」
「もうっ・・・・!誰にでも言うんでしょ?」

ヒノエはそっと望美の頬にもう一度手を伸ばす。

「――――お前にしか、言ってないよ」

思いがけないほど真摯な響きに、一瞬虚を突かれた望美にヒノエが素早く口づける。

「ヒ・・・・・ヒノエくんっ!!!」
「ははっ、隙あり!・・・・・楽しみにしてなよ、本気で『オレの姫君』にしてみせるから!」

これ以上調子に乗って、怒られてはたまらない。
ヒノエはあっさりとその場から姿を消すように退散した。
望美の怒りながら探す声が、くすぐったい。


(一目惚れって言ったら信じる?)


今度聞いてみようか。

ヒノエの恋は、一気に色をつけて走り出そうとしていた。