「オレの姫君」
そう呼びかけるとお前は少しだけ赤くなってくれるけど。
正直物足りない。
照れるだけじゃつまらない。
(どうかオレのところまで堕ちてきて)
だから今日も、オレはお前に手を伸ばす。
オレの姫君
夏の熊野に現れた白龍の神子は、噂よりも可憐な少女だった。
男たちに護られて、それでも元気に出歩く姿は目を惹いた。
変わった装束。
すらりと伸びた手足。
そして何より。
――――熊野の海を思わせる瞳。
(一目惚れ、って言ったら信じるかな)
ヒノエは自分でも信じていない目でくすりと笑う。
源氏として来たのも、弁慶がついてるのも気に食わないが、まあ様子を見るのに困ることはない。
ヒノエは時折望美たちの様子を見ることにした。
☆
「やあ、めずらしく一人かい?」
潮岬で、一人素振りをしていた望美は、後ろから唐突にかけられた声に振り返った。
「ヒノエくん!」
「こんにちは、姫君」
熊野水軍の一員を名乗る彼は、弁慶の甥らしく饒舌で女の子を酔わせる何かをもっている。
警戒しなきゃ、とも思わせるのに、彼はいつの間にかするりと入ってきてしまう。
魅力的な笑顔で。
(いっつも絆されるんだよね)
そう思いつつ、憎めないのは何故だろう。
望美にとって熊野は3回目。
今度こそ、熊野水軍の援護が欲しい。
ヒノエは橋渡しをいつもしてくれるけど、それが得られたためしはない。
今回も、そうだろうか。
どうやったら熊野は動かせる?
「どうしたの?オレの顔、何かついてる?」
「あ、違うの。ごめん」
「ふふ、いいよ。姫君にならずっと見つめられていたいね」
「もう、すぐそういうこと言う!」
凝視していた望美を、ヒノエはからかうように触れる。
望美はペシッと小気味いい音で、その悪戯な手を払い落とした。
「ちえ、いいじゃん、少しくらい」
「ダメ。すぐ触るんだから」
軽く、もう一度ちえっとヒノエが舌打ちして、ちっとも悪びれない様子に望美が苦笑した。
まったくこの人は。
「お前にしか最近触ってないよ?」
「最近って・・・・」
ある意味正直で、不誠実な言葉に望美は呆れる。
ヒノエはまた、ふふっと笑った。
「オレはこれでも、本気なんだけど」
望美はふ、と、表情を消した。
「――――私だって、本気だよ」
その気迫は、ヒノエのように軽いものではない。
勿論ヒノエとて軽くはないつもりだが、これはその質量が絶対的に違うのだ。
「・・・・熊野を味方にって?」
一転して揶揄するように哂うヒノエに、望美は真剣な顔で頷いた。
「もう誰も、失わないために」
その瞳に気圧される。
その強さに魅入られる。
その瞳の色が、愛した熊野の海でなければ、きっと呑まれずにすんだのに。
「・・・・・・・・熊野は慎重だよ?」
知ってる、と望美は心の中で呟く。
ヒノエに見て取れたのは、ちょっと嘆息した姿。諦めたか?
そう思う間にも、望美の瞳が力を煌かせて再びヒノエを射抜いた。
「でも、諦めないから。私は戦を、終わらせたいの」
――――ああ、その瞳が熊野の海でなければな。
もう一度魅入って、ヒノエは少し、苦笑する。
取り込まれそう。
吸い込まれそう。
からかうつもりが、本気になりそう。
でもそれは、自分ひとりじゃつまらない。
「オレの姫君は、魅力的だね。堕ちてしまいそうだよ」
「は、恥ずかしいこと言ってはぐらかさないでよ・・・!」
ヒノエが軽口に紛れ込ませた本音に、望美が慌てる。
赤く染まった頬が可愛い。
「本気だよ?褒めてるのに」
「もうっ・・・・!誰にでも言うんでしょ?」
ヒノエはそっと望美の頬にもう一度手を伸ばす。
「――――お前にしか、言ってないよ」
思いがけないほど真摯な響きに、一瞬虚を突かれた望美にヒノエが素早く口づける。
「ヒ・・・・・ヒノエくんっ!!!」
「ははっ、隙あり!・・・・・楽しみにしてなよ、本気で『オレの姫君』にしてみせるから!」
これ以上調子に乗って、怒られてはたまらない。
ヒノエはあっさりとその場から姿を消すように退散した。
望美の怒りながら探す声が、くすぐったい。
(一目惚れって言ったら信じる?)
今度聞いてみようか。
ヒノエの恋は、一気に色をつけて走り出そうとしていた。
