ここにきて半年になるけど、いまだにヒノエくんの仕事はよく分からない。
手伝いたいのに手伝わせてもらえない。
・・・・・・・・私、ホントにこのままでいいのかなあ?
落とし穴
「・・・・・・じゃあ、これはそっちの方向で進めて。この件は逐次オレに報告。それから・・・・」
熊野の平和な午後。
・・・・・・とはいっても、ヒノエは一日の半分ものんびりとはしていない。
いつも走り回っている。
望美が覗いた部屋で多くの人に囲まれながら指示を飛ばす姿は、ちょっと望美には遠い存在だ。
ふと、身の置き所なく佇む望美に、水軍衆の一人が気付いた。
「頭領」
「うん?・・・・・ああ、望美。どうしたの、珍しいね」
「あ、ごめん。邪魔して・・・・・・なんでもないの」
厳しい顔つきから、一転、甘やかな笑顔になったヒノエに望美は赤くなる。
いつになっても慣れず恥らう姿に、ヒノエをはじめ、水軍衆が相好を崩す。
可愛い。
しかし眺める間もなく、望美は走り去ってしまった。
「・・・・・・・頭領」
「・・・・・・・なんだよ」
「あんなに可愛い嫁さんもらっておいて、放置はないんじゃないですか?」
「・・・・・・放置なんか」
「してるでしょ」
「してるよなあ」
うんうん、と、頷きあう部下たちの姿に、ヒノエはげんなりする。
こんなところで息が合ってどうする。
「以前の頭領なら、恋人にはうんと甘くして、仕事の匂いも感じさせなかったのに」
「やっぱりあれか?釣った魚には・・・・か?くう、勿体ねえ!」
一人が拳を握ると、他の一人が大きく頷いた。
「俺ならずっと傍に置くね」
「優しくするのに」
「おかしらは」
「頭領は」
「ヒノエ様は」
「・・・・・・・・・・・・」
望美がちょこっと顔を出しただけでこの有様である。
龍の姫君として、頭領の奥方は、熊野水軍に広く受け入れられていた。
信奉しているものも多い。
望美の気性が、神秘的というより気安いと知れた後は、尚更だった。
女たちは娘のように可愛がるし、男たちは望美に群がらんばかり。
その度に望美が嬉しそうに微笑むものだから、人気は高まる一方である。
誤算だった。
ヒノエは強く思う。
(独り占めするために熊野につれてきたってのに・・・・・・)
これでは余計な信者を増やしただけのような気がする。
苦虫を潰したような表情のヒノエに、副頭領を務める男が苦笑して宥めた。
「まあまあ、奥方が親しまれているのはいいことですよ」
「・・・・・・まあね」
「ですが、ヒノエ様もお仕事のされ過ぎかと・・・・・本来奥方の仕事になるものまでやられているのですから」
「・・・・・・・」
彼の言いたいことはよく分かる。
きちんと望美にも仕事を割り振れというのだろう。
ヒノエは表情を改めて考え込んだ。
「・・・・・・いや、このままでいい」
「ヒノエ様」
「頼む。・・・・・・・オレはあいつを利用したくて連れてきたんじゃないんだよ」
「・・・・・・・・は」
源氏軍のように、望美を「使い」たくない。
望美の世界を奪った自覚がヒノエにはある。
だからこそ、幸せにしたいという思いはずっと胸にあるのだ。
苦労も面倒な思いもさせたくはない。
そんな気持ちも分かるから、副頭領も黙る。
ヒノエは気持ちを切り替えると、まだ望美について熱く語る水軍衆をどやすと、案件の整理に戻った。
この日、結局ヒノエが望美の待つ部屋に帰れたのは夜中遅く。
待ちくたびれて、柱でもたれ眠る望美を抱き上げて、褥にそっと横たえる。
そのまま瞼に口づけて、自分も横たわる。
「・・・・・・・・・おやすみ、オレの姫君」
ヒノエはそのまま寝入ってしまったから、気付かなかった。
望美が起きた事も、涙ぐみ、そのままやがて室から出て行ってしまったことも。
その日は朝から騒然となった。
「何で気付かなかったんですっ、頭領っ!」
「うるせえ!早く探せ!」
「言われなくても!」
望美がいない。
気付いたヒノエは大声で望美を探した。
異変に気付いた者から順に捜索に加わっていく。
望美を探す全員が真剣だ。
頭領の奥方。
白龍の神子。
熊野の至宝。
望美を大事に思うのは、もはやヒノエだけではなかった。
出て行ったのは望美の意思でも、その先に誰かに攫われないとも限らない。
そうでなくても、暗いうちから出て行ったなら、怪我をしたかも。
夜露に濡れて、凍えてるかも。
熊野の機能の大半がこの時停止した。
―――その3時間後。
「頭領!おられました!!」
「今行く!」
望美は岩陰の洞穴でぐったりしていた。
やはり暗がりで転んだのだろう、足首に新しい傷。
全身は濡れていて、満ちた潮で立ち往生したことがわかる。
ヒノエが人目も憚らず、望美を抱き締めた。
冷えた身体。
あと少し発見が遅かったら、危なかったかもしれない。
「あ、あの、頭領・・・・・」
「・・・・・・ああ、ごめん」
傷口を洗おうと、真水をたっぷり汲んできた少女に、ヒノエは気付いた。
それでも離そうとせず、足首が洗いやすいように、向きだけを変える。
少女はいつも自信たっぷりな頭領の余裕のかけらもない姿に、不謹慎と思いつつドキドキした。
望美を心配そうに見つめる目は情熱的で、意識のない望美を抱く姿はとても絵になった。
命に別状ないと知れると、水軍衆からはからかいの口笛なども飛んだが、もうヒノエは気にしないことにした。
「みんなありがとう。・・・・・・・通常業務に戻ってくれ」
手当てが終わった望美を抱き上げつつ、言う。
全員心得たように、それぞれに散っていった。
☆
望美が気がついたのは、その日の夕方だった。
目を開けると、愛しい人の姿。
ヒノエが頬杖をついてうたた寝している。
望美は怪我をして動けなくなったことを思い出す。
(探してくれたんだ・・・・・・)
思わず飛び出したけれど、暗い熊野の海は、ただただ恐ろしかった。
ヒノエの傍で見た感動も美しさもない。
怪我して動けないのに、ひたひたと水面が迫り、叫びそうになった。
このまま会えなくなるのではと、ひどく心が痛かった。
「・・・・・・・!お目覚めかい、姫君・・・・・・」
「ヒノエくん、ごめんなさい・・・・・・」
「・・・・・・・無事だったから、もういいよ」
そう言いつつ、ヒノエの顔には焦燥が残る。
望美はやはりいたたまれなくなった。
何をしても、足手まといになる。
やっぱりあのまま消えちゃってもよかったかも。
「ごめんね・・・・・私、ヒノエ君に迷惑かけてばっかり・・・・・」
このまま、帰ってしまっても、ヒノエ君は構わないかも。
最近よくそう思う。
いたたまれない。
源氏の軍にいた頃、白龍の神子だった頃は、まだ自分の役割があって、やるべきことが存在した。
でも、ただの望美に戻った今、望美にはやることがない。
望美を必要としてくれるのは、きっともうヒノエ一人なのに、ヒノエには迷惑しかかけられない。
「・・・・・・・・そうじゃないよ、望美」
望美が自分を役立たずだと思うほどに、望美は役立たずではない。
やることがないのは、ヒノエがその役目を奪っているからだ。
「お前は役に立ちすぎるんだ・・・・・」
「そんなことっ・・・」
「いや、ホントに。・・・・・・・利用しやすすぎる。オレはそれが怖いんだ・・・・」
望美にこんなに溺れていなければ、ボロボロになるまで使い果たしただろう。
こんなに使える存在を放っておく手はないのだから。
でもヒノエはそうしたくなかった。
利害抜きで欲しいと思ってさらった女。
役になんか立たなくていいのだ。
役に立てたら、恋情以外で望美を見てしまうかもしれないから。
叩き込まれた頭領としての思考。
それがヒノエには怖かった。
「どうして?利用できるなら利用して?私、ヒノエ君の役に立ちたいよ・・・」
「姫君が利用されず、ただ笑っていて欲しいっていうオレの我侭さ。聞き分けてくれないか?」
「・・・・・私の役に立ちたいって気持ちはどうでもいいの?」
ヒノエは暫し沈黙した。
「ヒノエ君、お願い」
結局ヒノエは、望美のおねだりには逆らえない。
本当に渋々といった様子で、ヒノエは頷いた。
この笑顔が曇らないなら、少しくらいの妥協は仕方ない。
それによる弊害はオレが取り除いてしまえばいいのだ―――
そして望美が、ヒノエの名代ともなり始めて暫くしても、ヒノエの仕事は減らなかった。
望美との時間は減る一方である。
「・・・・・・・・こうなると思ったんだよ」
ぼやくヒノエに周りは苦笑する。
今日も望美は帰ってこない。
速玉の抗争の仲裁に出かけていって、もう抗争は終結したと聞いているのに。
「待つ身は辛いですね、頭領」
「うるさいよ」
毎日生き生きとした望美を垣間見るのは嬉しいが、こうもすれ違いが続くと機嫌も悪くなる。
やっぱり奥から出すんじゃなかったかも。
望美はヒノエの想像通り、凄まじく使える故にヒノエの傍に留まらない。
「暫くは仕方ないですよ、頭領」
「そうそう、最初の半年は頭領がこうだったんだし」
・・・・・・・・水軍衆の悪戯もあるのだ。
たちが悪い。
ヒノエは不機嫌のまま、月を睨みつつ言った。
「いいけど、このままなら子供は当分先だぜ。覚悟しとけよ」
この一言に、周りの空気は凍った。
子供。
望美と頭領の子供。
実際的な意味でも欲しいが、望美を可愛がる熊野にとって、ただ望美の子供というだけで待望されている。
それが遠い。
それは、嫌かも。
「・・・・と、頭領・・・・・」
情けない声を出す部下たちを尻目に、ヒノエはフン、と鼻を鳴らした。
これで水軍衆が望美に構ってもらおうとすることは控えるだろう。
それだけでも、と思い、ヒノエはわずかに嘆息する。
・・・・・やっぱり望美を独り占めするなら、故郷を蹴って、望美の世界に行くべきだった。
半分本気で、ヒノエはそう思った。