ずっとずっと恋してるんだ。
終わりのない恋に眩暈がしそう。
こんな気持ちがどうしたら落ち着けるのか、知りたいのはオレの方。





熱愛警報発令中





だいたいね、オレたちは新婚なんだよ?
もう少しくらいは、優遇されてもいいと思うわけ。

それなのに、ねえ、お前ときたら……。



「御方様、御方様――――っ?」
「はいはい、こっち!なあに?」
「望美様、こちらをご覧くださいまし」
「ちょっと待ってて!」
「神子様、京の方から御文が…」
「わー、今いく!」



数日ぶりに戻ってきた熊野本宮。
オレが目にしたのは右往左往と走り回る愛しい女の姿だった。
……つまり、出迎えはナシ。
今日、この時刻には帰るよと、文はちゃんと出していたんだけどね。


(まあ、ね。望美が忙しいのは仕方ないけど…)


分からないわけじゃない。


清盛を討ってから、そろそろ一年。
望美を熊野に連れ去ってからも季節は廻った。

今は師走も終わり際。
熊野別当の奥方として迎える初めての年越しの準備に忙しいのは仕方ない。
異世界の望美には知らない風習だらけだろうし、それでなくても行事は多いし。
望美は努力家で生真面目だからね、手は抜かないだろうし。

その上、戦が終わって初めての正月だ。
熊野自体も浮かれ気味。

そんなわけで、望美が忙しいのは分かってはいるんだけど。



(こっちに気付きもしない、とか…)



思わずため息。
だってさ、もう何日お前の傍に戻ってないと思ってるの?
少しは寂しいとか、会いたいとか、そんな言葉が聞きたいのにそんな隙もないとかどうなんだ?


御簾の傍、暫く粘っていたオレも諦めて撤退することにした。
望美の忙しさには落ち着く暇もないみたいだ。
これではゆっくりすることは到底できないだろう。


年内はもう仕方ないかもしれない。
かなり残念ではあるけれど、熊野に馴染もうとしてくれる可愛い努力も無駄にしたくはないし。


……それでもさ、せめて気づいて、手を振ってくれるくらいはいいんじゃないの?


離れようと思いつつも、なかなかその気になれない。
可愛い望美。
たった一つ望んで得た恋人を、たまには愛でたいと思って何が悪い?


……けど、まあ、ね。

無粋な真似は好きじゃない。
我儘だとも思われたくない。
そうしてオレが不承不承、その場を離れようとした時だった。


「あっ、頭領…!」
「ちょうどよかったです!新宮から今連絡が―――」

望美じゃない、気付かなくていいような奴らがオレの存在に気付いて駆け寄ってきた。
その声に何人かが顔を上げる。
だが、望美は気付かない。
……ちえ。


「…寄越せ」
「はいっ」


これ以上未練がましい姿をさらしたくはなくて、水軍の男から、オレは差し出された文を受け取って歩き始めた。


「望美様ーっ」
「はいはいっ」


背後から、望美の元気な声が聞こえる。

……しょうがないよな。

苦笑交じりに顔を合わせたい欲望を押し潰して、場を離れる。
結局、オレも忙しい。
望美の元には戻れずに、オレはすぐにまた、本宮を離れることになった。











「えっ、ヒノエくんが戻ってくるの今日だったのっ?」
「は、はい。私どももすっかり失念しておりまして…」

絶句した望美の前で、数人の女房が平身低頭、頭を下げた。
だが、彼女らだけを怒れまい。
望美だって、忘れていた。
正確には、明日だと思っていた。

気をつけてはいた。

ここは熊野。
時空を越えた現代とは違って、ここにはカレンダーも時計もない。
日にちも何もかも、自分の記憶と感覚が頼りである。
だが、忙しい毎日を過ごすうち、すっかり日にちの感覚が狂っていたらしい。
もしくは最初から、文の届く日数を計算外にしてしまっていたか。

だが、どちらにしても。

必ず出迎えるという約束を違えてしまったことには違いない。
そしてもう、ヒノエは既に出かけてしまっていないという。


つまり、せめて一刻は一緒に過ごすという約束も反故。


「そ、そんなぁ…」


望美はがっくりと膝をついた。

約束は、奥方としての仕事に邁進する望美にいじけたヒノエが言い出したものだったけれど。

望美も楽しみにしていた。
当たり前だ。

望美がこの世界に残ったのも、奥方を頑張ろうと奮闘するのも、全部ヒノエが好きだから。
ヒノエの傍にいるためにやっていることである。

それが、仕事にかまけてヒノエとの約束を破る羽目になるなんて……。


(うう、これじゃ本末転倒だよう……)


望美は泣きそうになっていた。


ただでさえ多忙なヒノエ。
本宮にいればいいだけの自分と違って、各地を飛び回るヒノエがせっかく帰ってきてくれたのに出迎えもできないなんて。
会えなかった、なんて。


―――――寂しい。


いつもは忙しさで何とか誤魔化せるそれが、涙と一緒にせり上がってきて、どうしようもなくなりそう。


会いたい。


つい、考えてしまう。
もう何も考えずに、ただヒノエの傍で過ごすために、時空を遡ってしまおうか……。


(私が白龍の神子、ヒノエくんが八葉のままなら)
(あの頃なら、ヒノエくんはずっとそばにいてくれたのに―――――)


それはとても危険な誘惑。
いつもなら、考えもしないこと。
それでも寂しくて、ヒノエが恋しくて、自分の不甲斐なさもあって――――
無意識に、望美が胸元を押さえてしまったときだった。


「みこさま……ごめんなさい」


望美の着物の裾を引いて、女童が泣きそうになっていた。


「ち、千早ちゃん?」
「わたし……気付いてたのに。ヒノエ様が、みこさま見てるの……」


女童は悔しそうに唇を噛んでいる。
……普段から気を遣う、優しい子だ。
大人たちが忙しそうなのに口を挟むことができなかったのだろう。


「みこさまもヒノエ様も、会いたいのに…ごめんなさい…」


小さな子が、望美の心を思い遣ってくれる。
気遣ってくれる。


それを皮切りに、大人たちも再び頭を下げ始めた。


「わ、私たちも本当に申し訳ありません。少し、浮かれておりました…」
「お、俺たちもすみません、神子様…!」

水軍たちまで、小さくなって謝罪の列に並んでいる。
望美は目を丸くした。


「浮かれてた…?」


何のことだ、という感じである。
それを口にした女房が、恥ずかしそうに顔を上げた。


「ここ数年……ろくな新年の祝いができなかったのです。もう平和なのだと思ったら、つい嬉しくて…」
「久しぶりで、私どもも段取りが悪くて…」
「俺たちもです!本当に申し訳ない…!!」


用意を張り切り過ぎた、望美に過分なことをさせたと何人かがまた謝り始める。


「ごめんなさい、みこさま。今度はちゃんと言うから、泣かないで…」
「千早ちゃん…」


望美は、胸元から手を下ろした。
一時の感情で、とんでもないことをするところだったと気がついたのだ。


(この平和は、みんなで勝ち取ったもの…)
(私だけがどうこうしていいようなものじゃないんだ。当たり前だよね…)


少し、驕っていたのかもしれない。

神子様、奥方様と大事にされて。
ヒノエに愛されて。
自分一人が大変なつもりで。

そんなわけ、ないのに。

もう決めたのに――――ここで、ヒノエと一緒に生きていくんだと。

それは、少しなにかうまくいかなかった程度で放り出していいものではない。

「少し、控えましょうか。例年通りの行事にして、そうしたら、頭領とお過ごしになる時間だって…」
「そうね…」
「――――ううん、いいよ」


女房たちが顔を合わせはじめたのに、望美は微笑んで首を振った。


「このまま頑張ろ?盛大にやるべきだよ。せっかくの新年なんだよ?」
「えっ、でも…」
「大丈夫!もっと頑張るから!ね?」


望美のやる気も気遣いもありがたいが、女房たちは口ごもり、顔を見合わせた。

行事が予定通りなら、気を付けていてもこんな事態はまた起こるだろう。
何しろ今でもまだ時間が足りない。
もっと忙しくなるだろうことが明白なのである。

また、望美はよくても、ヒノエはどうだろうか。
日頃から望美への寵愛を隠しもしない頭領である。
そろそろ我慢の限界だろうとは、切迫した烏たちからの状況報告であるのだが。


(今日、とても不機嫌でいらしたらしいぞ…)
(頭領の不機嫌をこうむるのは俺たちだ…)
(でも、せっかくここまでやったのだし…)
(お正月はゆっくり二人にしてさしあげたら、きっと…)


会えない時間は愛を育てるものだともいう。
これ以上育てようがあるのかは疑問だが。
とにかくあと10日ほどヒノエに我慢してもらえたら―――――きっといい新年になる……?


遠慮する気持ちはあっても、やはりノリやすい熊野の民である。
ひそひそと囁き合う面々も、望美の言葉に乗りかけていた、そのときである。
巨大な爆弾が投下された。



「ヒノエくんには差し入れして、謝るから。大丈夫だよ!」
「さ、差し入れ、ですかっ?」



ひくりと引き攣ったのは、差し入れの実害をこうむった水軍の男たちだった。
現場を解放した女たちも固まってしまう。


望美様の差し入れ―――――――それは善意であるだけに逃げようのない、炸裂弾である。



「うん、頑張って作るから、届けてほしいの。千早ちゃん、手伝ってくれる?」
「うん、みこさま!」



望美はすっかりその気で、千早に手伝いを乞うて微笑んでいる。
千早もようやく少し笑顔になった。

二人は完全にやる気だ。
残る彼らは顔を見合わせた。

(ど、どうしよう…)

頭領に渡すには危険に過ぎる代物な気がする。
しかし……頭領の機嫌は間違いなく回復するだろう。
何度も言うが、ヒノエの望美への寵愛は凄まじいばかりなのである――――


どうする。
彼らは真剣に考え込んだ。
いや、回避させた方がいいことは分かっている。
けれど――――――


(と、頭領なら…)
(ヒノエ様なら、あの差し入れも笑顔で平らげてしまわれるかも…?)


それは一種の賭けに違いなかった。
しかし、すげなく「やめましょう」と言うには望美が彼らも可愛かった。
出来るなら泣かせたくはない。
今のように、笑って、元気でいて欲しかった。
ヒノエの寵愛に隠れて目立ってはいないが、水軍や女房たちも望美にすっかり魅せられているのだ。



かくして―――――










「……望美からの差し入れ?」

その日の夜遅く。
好きでもない狸たちとやり合ったあと、新宮で不貞腐れていたヒノエの元にそれは届けられた。


「は、はい。あの……今日は、頭領の変えられる日取りを、勘違いされていたとのことで…」
「……ああ」


ヒノエは得心した。

ありそうなことである。
そしてこれは詫びの品、ということか。
烏が差し出す包みを、ヒノエは無感動な瞳で見遣った。

(物なんかで、オレはつられねえけど…)

そっと手に取ってしまう。
これが他の女のしたことなら、興醒めしたに違いないのに。
望美だというだけで、もう、許してしまっている。
……つくづく、溺れている。


「……にぎりめし、ねえ」
「はい……あの、お仕事頑張って、とのことで……」


ヒノエは苦笑した。

(お仕事、ね…)


そのせいでもう何日も逢えていないのに、律義なことである。
使いの烏はすっかり恐縮していて、自分の機嫌を必死になって見極めようとしている。

それはそうだ。
女に逢えないだけでいちいち不機嫌になっていたら熊野別当なんて務まらない。
そう分かっている自分が、これだけ不機嫌だったのだから。


だが、それがもうすっかり直ってしまっていることを、ヒノエははっきり自覚していた。
こんな差し入れたった一つで。


どうしようもないほどの恋をしている。


「下がれ。……望美に、無理させないよう伝えろ」
「はっ…」


そそくさと烏は去った。
手元に残った歪なおにぎりに、ヒノエは困ったように微笑みかける。
さて、食べようか、食べまいか――――――


(うーん、相変わらず危険そうな匂いがするぜ…)


悩みながらも、ヒノエは自分が選択するだろう道をはっきりと理解していた。
望美からというのなら、自分が受け止めないはずがないのだ。



いとしい女。
世界で唯一、ヒノエに熊野以外を選択させてしまう少女。
  つまり……



結局ヒノエは、これを食べてしまった。

よってこの後、ヒノエの胃腸はかつてない危機に見舞われることになるのだが――――
それを見越していた面々の尽力により、被害は最小限に抑えられた。
そして無事、新年の儀式にはかろうじて間に合ったという。