熊野に望美―――平家の桜姫が嫁して初めての冬である。
海沿いの気候は鎌倉とも福原とも変わらない。
そう、望美は思っていた。

そしてそれは、間違いだった。






冬でも熱帯夜






「は?丈夫な袋……でございますか?」

望美の要望に、女房は不思議そうに首を傾げた。
望美はこっくりと真剣に頷く。

鎌倉や福原とそう寒さは変わらないだろうと思っていた望美はいかにも甘かった。
半島が突き出した形のせいなのか、かなり寒い。
普段はそうでもないが、夜……それも一人で寝るときにかなり困る。
福原はそうでもないが、冷えた空気を遮るものがないせいか、熊野は底冷えがする。
寝ようとすると足が物凄く冷えるのだ。
これでも新宮のあたりよりかなりマシとは聞くが……

よって、望美は一計を案じた。
それはここ、熊野だからこそできる技である!

「そう、できるだけ丈夫で、熱が逃げにくい袋。あっ、温泉入れるからくくったら漏れないやつね!」
「お、温泉を袋に入れるのですか?桜様、一体……」
ますます訳が分からなくて、女房は困惑する。
頭領の奥方となったこの姫が突拍子もないことを言い出すのは初めてではないが……。

「少しお待ちください、桜様」

動いたのはその場にいた烏の少女だった。
いきなり消えたかと思ったら、少しして戻ってくる。

「こちらで如何でしょうか」

少女には望美の言葉の意味など考える必要もなかった。
やれと言われればやる。
それがどんなことであってもだ。

鉄面皮な少女の差し出した袋を引っ張ったりしていた望美は、ぱあっと顔を輝かせた。

「これは…あ、うん、よさそう!」
「温泉を入れてくるのですね?」
「うん、お願いできる?」
「御意」

すぐにも少女はまた袋を受け取り行こうとする。
頭領や奥方が、やれと言われればやる。
それが烏なのだと叩きこまれてきた。
だから、少女は迷わない。
だが―――

「ありがとう、葛城ちゃん」
「―――いえ」

葛城ちゃん、と呼ばれた少女は小さく微笑んだ。
この新しい主が殊の外、葛城は好きだった。
役目に関係なく。
だってこんな、優しい呼び方をしてくれる人は他にはいない。
だからつい、烏には本来許されないはずの余計な質問までポロリと出る。

「それで、これは何なのですか?」

素朴な疑問に、怪訝にしていた女房は身を乗り出し、控えていた者たちも聞き耳を立てる。
袋。温泉。
見当もつかないのだ。

望美はにっこりと微笑んだ。

「これはね〜、湯たんぽっていうんだよ!」
「湯たんぽ????」

女房達が目を丸くする。
望美はふふっと可憐に微笑んだ。















「ふふふ〜」

必殺兵器を手に入れた望美は上機嫌で寝所に向かった。
さっき入れた時もいい具合だったから、今夜は暖かくして眠れそうだ。
自然、寝所に向かう足取りは軽い。
そこに、ヒノエがいないと知っていても。

(ヒノエくん、今どこかな……明日には会えるかな?)

熊野に嫁しても、なるほどヒノエは多忙で毎日は逢えない。
そこは敦盛らが言った通りだった。
だが、それでも望美はこの結婚が駄目だったとは思わなかった。

―――こまめに届く文や贈り物。
傍にいるときは溢れるほどに愛情を注いでくれる優しい人。

強くて、優しくて、厳しくて。
熊野中の人に頼られて愛されている。
そんな彼が、自分にだけは甘えてくれる事が嬉しい。

望美は今日も枕元に届いていた文を拾い上げて、微笑んだ。
流麗な字は、古今集の和歌をもじって逢えない切なさを伝えてくる。

(まったく寂しくないと言ったら嘘になるけど……)

こうして離れていても想ってもらえるのは幸せなことだと思う。
熊野の人たちも暖かくて、平和で、望美は充分だと思っていた―――たとえ毎日会えなくても。
こうやって、助けてもらって湯たんぽだって作れたし。

―――と、その効果への期待と経緯を思い出しつつ、望美が衾に手をかけたときだった。


「―――桜」
「えっ、ヒ、ヒノエくんっ?」


いるはずのない人の声が御簾の向こうから響き、望美は驚いて身を起こした。
思った通り、渡殿にはヒノエがいた。
明日帰ってくるはずの彼が。
帰ったばかりなのだろう、肩に雪がかかったままだ。
望美は慌てて、ヒノエの肩の雪を払った。

「ちょっ……もう!濡れてるじゃない!一体どうして……!」
「お前が寂しがってるって聞いてね。取るものもとりあえず飛んできたんだ」
「さ、寂しがってる?」

思わず目を丸くする。そんなこと言ったっけ?
ヒノエも目をパチパチと瞬かせた。

「違うのかい?葛城からそう聞いたんだけど……」
「葛城ちゃんから……?何で――――あっ…」

望美は顔を赤らめた。
女房が制してくれた質問だ。


『どうして今これが必要なのですか?』


寒かったのはもっと前からだった。
だが、いつもはいらないようなのに―――と。

少女の無垢な質問を、顔を赤らめた女房が遮った。
……いや、望美もまさか何も知られていないだなんて思わなかったが。

結局望美は、言った―――


『これはね、寂しいから使うんだよ』


つい、だった。
弱音を口にするつもりはなかったのに。

(今思いついたからとか言えばよかった……!!)

望美は恥ずかしさでのた打ち回りたくなったが、すべては後の祭りというやつである。
ヒノエは頬を緩めた。

「心当たりがあるみたいだね?」
「あ、あれは違うの!その、ちょっとした冗談っていうか……!!」
「冗談?」

すう、とヒノエの瞳が冷えた。
だがそこに、それでも燃え盛ろうとする炎の気配を感じてしまい、望美はコクリと喉を鳴らす。
……聞かれないように。

だって、平気だ。
ヒノエの指示が行き渡っているのだろう、熊野の民は誰も親切で優しくて。
ヒノエは―――愛してくれて。
不安になることも、寂しがることも何もないはずだった。

だからこれは我儘。
ただ単なる――――寂しがり屋の自分の。

否!
寒さに弱い自分の!

「さ、寂しくなんてないよ!その…寒かっただけだし!ヒノエくんのいない夜だってすぐに慣れ―――」
「慣れないでいいよ、そんなもの」
「そんなわけにはいかな――――んんっ…」

ヒノエの口づけが降ってくる。
それはとても巧みで、いつも望美は酔わされてしまう。その、熱さに。
……寒さが気にならなくなってしまう。

「ひ、ヒノエくん―――」
「ああ、確かに温かいね。温石じゃ駄目なの?」
「あれは―――その、火傷しそうだし、熱過ぎるし……」

褥に横たえられると、どうしても胸が高鳴る。
望美は一生懸命流されていきそうな思考を別のものに置き換えようと奮闘した。
だが。

「ふうん、じゃあこれはオレのいない冬の日の、お前のお供ってわけ?―――じゃあ今はいらないよね?」

ヒノエが濡れた衣装を脱いで、肌をあらわにする。
一見華奢なヒノエの、鍛え抜かれた肢体が現れると、望美はもう直視できなくなる。
湯たんぽはさっさと追い出されて、ヒノエがのしかかってきた。

「……冷たいよ、ヒノエくん」
「じきに、熱くなる」

凍えたヒノエの身体は、しかし、もう熱い部分があった。
望美は恥じらって顔を逸らし、無防備にさらされた首筋にヒノエが吸いついた。

「んっ……」

冷たいのは、一瞬。
すぐにじんわりとした熱さが広がって、疼きに変わる。

「可愛いよ、桜……」
「んっ、んんっ……」

ゆっくりと焦らすように袂を割り、ヒノエはたわわなふくらみを、下から押し上げるように掌で包み込んだ。
手のひらには到底おさまらない、やわらかいふくらみが自分の手の中で形を変える姿が艶めかしい。
その度に色づいていく、肌が。

「……寒いんだっけ?」

上気した頬。
感じやすい身体の、敏感な部分は避けて、ヒノエは囁く。

「それともオレの指が冷たい……?」

ゆっくり揉みあげていくだけで、あえかな吐息が洩れるようになった。
ヒノエがじっくりと丹精した身体は、敏感でいやらしく開花して、ヒノエをより一層夢中にさせている。
他の花など目に入らないほどに。
可憐でいて色づきやすい肌は、しっとりと吸いつくようで離しがたい。
ヒノエはいつも夢中になって弄り、望美を泣かせる羽目になる。
その涙がまた愛らしいのがいけない。

「も……寒く、ないよ。ヒノエくんの意地悪……っ」

湯たんぽがなくなった褥は冷えていくのに、それでも望美はもう寒くはなかった。
ヒノエの手が触れたところから熱くなって、もはや身体中にそれは広がっていた。

ヒノエがいれば寒くない。
ヒノエがいれば―――寂しくなどないのだ。

「んっ…ヒノエ、くっ…アッ………湛増っ……」
「もう限界なの?しょうがないな……」

普段の清冽とした姿からは想像もできないほど甘く掠れた呼び声。
ヒノエの中に焔が灯る。
そして限りない熱と、愛しさが。

「桜……いくよ」

そっと押し当てた楔こそが限界に近いほど固く屹立している。
濡れた浅瀬を弄るだけで、ヒノエに残っていた理性はすべて溶けた。

「あ、あああっ……!」
「クッ…」

灼熱の楔よりも熱い場所が妖しく蠢く。
侵入者を優しく抱きとめる蜜壺にヒノエは溺れ、果てのない夜に漕ぎ出していった……。










「桜様、湯たんぽというのはいいですわね!」
「本当!残り湯でも大丈夫だし、熱くなり過ぎなくて、ご老人にも評判でしたわ」

翌朝である。
目覚めた望美が朝餉の席に向かうと、そこにはいつもより人が多く揃っていた。
どうもみんな、湯たんぽを使ったものらしく、口々に褒めてくれた。

「桜様も暖かかったでしょう?」
「う?うん、……まあ」

結局ほとんど使わなかった望美としてはいたたまれない。
耐用時間など、分かるはずもないのだし。

こっそりヒノエを睨むと、肩が少し震えていた。
望美は小さくヒノエを睨む。

「今日もお使いになられますか?」

小さな烏、葛城が部屋から持ってきたのか、湯たんぽを掲げてみせる。
だが、小さくそこには沈黙が降りた。
全員の視線は、葛城を除いてヒノエに集中する―――


「……今日はいらないかな」


ぽつりと言った望美の姿に、さざ波のような苦笑が広がる。
葛城もにっこりと微笑んだ。

「御方様は、今日は寂しくないのですね。よかった」
「う、うん、寂しくないよ」

小さな葛城にどう答えたものか、望美は一生懸命だ。
初々しい花の風情に、ヒノエは知られないように微笑んだ。
異世界に生まれ、平家で咲いていた華の姫。

熊野で根を下ろした華は、時に振り回されながら、幸せに咲き誇っていた。