くるくる変わる表情。
突飛な行動はオレの意表をことごとくついた。
きっと無自覚なんだろうけど。
その瞳も、涙も、笑顔さえ。
オレの興味を惹く存在は、実はとても少ない。
……そしてそれは、あいつも多分同じはずだった。
いつか、きっと
「ではこのあたりで休憩しましょう」
夏の熊野。
弁慶の提案に九郎が頷いて、みんな思い思いに散っていく。
その姿に気づいたのは偶然だった。
(……弁慶さん?)
人目を偲ぶように、不意の隙を突くように。
そんな行動を弁慶が取るときは、大概「よくないこと」だ。
望美はむう、と口を尖らせる。
弁慶が何をしたいのか、今一つ分からない。
前の時空で、弁慶は平家の間者と話していた。
その心を、知りたくないと言えば嘘になる。
だけど、怖くて踏み込むことはできなかった――――
今も少し、怖い。
でも怖いからって、やっぱり放っておくことはできない。
望美もまた足音に気をつけながら、その場を後にした。
自分もつけられているとは、気づかないまま。
☆
その姿を見たのは必然だった。
いつも気をつけているから。
白龍の神子としてだけ望美を見ていた頃から、習性もあって、ほとんど望美を視界から外したことはない。
(いつも見てるね)
心配そうに。
あるいは、少し困ったように。
焦がれるようには見えないのはせめてもの救いだろうか。
「………ヒノエ?」
「ちょっと野暮用」
軽く笑ってオレは望美を追いかけた。
人の気配に疎い望美はすぐに見つかり、そして……
腹黒叔父に捕まっていた。
……腹が立つ。
いけ好かない叔父の台詞に。
簡単に赤くなる望美に。
(利用するだけ利用して、捨てる気のくせに)
あの執念深い叔父が悲願を忘れるはずがないのだ。
望美に言ってしまいたくなる。
(オレの言葉に赤くなればいいのに)
最初の頃、遊びすぎただろうか?
今でも僅かに頬を赤らめてはくれるけど、そこ止まりだ。
手応えがあってそれも嫌いじゃないけど……もっと振り向かせてみたくなる。
「……可愛いですね、望美さん」
望美に向かって弁慶の手が伸びる。
もう我慢はできなかった。
「―――――そこまでだ」
「ふふ、やっと出てきましたね、ヒノエ」
「えっ、ヒ、ヒノエくん!?」
望美に伸びた手を払い、ヒノエは望美を背後から守るように抱き締めた。
しかし、弁慶はふてぶてしい笑顔を浮かべるだけだ。
ムカつく。
向こうで腹を抱えている存在が更にムカつくが。
「ヒノエくん、どうしてここ……」
「お前をつけてきたに決まってるだろ。姫君、こんな腹黒の言うことはまともに聞かなくていいんだぜ」
聞いていて恥ずかしくなるとはこのことだった。
ありもしない縁談に話は行き、望美の顔は遠目にも青くなった。
……ムカつく。
赤くなった時よりずっと。
苛立ちを抑えて、ヒノエは望美の耳元に甘く囁いた。
「それくらいなら、オレの囁きを聞いて欲しいね」
「へっ?」
「お前が傍にいないと俺の心は嵐の海になってしまうんだ」
「そのまま沈没してしまえばいいですね」
望美をくるりと回転させ、頤に手をかけて、ヒノエは蕩けてしまえとばかりに囁きかける。
しかし、割り込んできた平静な声に腰を折られた。
「……あんたね」
「望美さんのための嵐なら、それも本望でしょう?」
――――底の見えない微笑。
思わず言葉の裏を探ってしまうのはオレの悪い癖だ。
弁慶の場合、その場だけの言葉であることは少なくないのに。
「僕の心は常春ですよ。君という光が傍にいてくれるから」
「あんたの傍じゃなくて、オレの腕の中に姫君はいるんだけど」
「今だけの話でしょう、ね?望美さん」
望美は頭上でかわされる舌戦に目を白黒させていたが、呼びかけられてハッとした。
間近にヒノエ、真後ろに弁慶。
ここは危険だ!!!
「し―――――知りません!!もう行きますっ!」
三十六計、逃げるに如かず―――――
朱雀の二人を相手に挟まれて、望美が太刀打ちなんて出来る筈がない。
直感に従って、望美は脱兎のごとく逃げに徹することにした。
「………っ、……」
捕まえようとした腕が宙に浮く。
必ず望美はすり抜ける。
いつもの虚無感が胸を襲って、ヒノエは一瞬棒立ちになった。
そこにのんびりとした声がかかる。
「素早い姫君だなあ」
ようやく普通に戻った男をヒノエは睨みつけた。
こんなところで弁慶なんぞと何をやってやがる。
「ようやく笑いの谷からご帰還かい、親父殿」
「ああ、楽しませてもらったよ。お前ら、随分溺れてんな」
何気ない台詞。
だが、不覚にもヒノエは二の句が継げなかった。
「ふふ、僕はヒノエほどじゃありませんよ」
一拍遅れて、弁慶が微笑んで答えた。
まるで春のような柔らかな微笑みを、ヒノエはきつく睨みつける。
弁慶は微々として表情を揺らさない。
「その程度の気持ちなら楽勝だな。姫君はオレが貰う」
あえて放った勝利宣言。
しかし、弁慶は心底おかしそうに笑った。
「あはは、君が、彼女を本気で選べるんですか?」
「―――――――」
「僕と君は本当に同類ですね、ヒノエ」
綺麗な笑顔に寒気が走る。
甘い声に苛立った。
だが、弁慶の揶揄を否定はできない。
あんたもオレも、彼女をいつか裏切るかもしれないから。
「………あんたに言われたくない」
そう言って立ち去るのが精一杯だった。
☆
「あ、ヒノエくん!」
「望美……こっちにいたのか」
正直、今一番見たくない顔だった。
今まで感じもしなかった罪悪感が胸を苛んでいたから。
……彼女が「白龍の神子」であるだけなら、きっと感じずにすんだ罪悪感。
川の怨霊を見つけて封じ、「頭領」に会ったらお前はどんな顔をする?
今のままでは源氏につくと、答えてはやれないの、に。
風が吹く。
いつもなら渚の光景はオレの心を宥めてくれるのに、今日はうまくいかなかった。
いっそ言ってしまおうか?
そう思って口を開きかけたけど、やっぱり、言えない。
望美はいつもと様子の違うヒノエを怪訝に思って振り返った。
(どうしたんだろう?……さっき何か言いかけてた?)
逃げちゃったことを怒っているのだろうか?
それくらいしか思いつかない。
でも、追いかけてきたわけではないようだった。
ヒノエが何か言いかけて黙るなど、尋常ではない。
(何を言おうとして、口を閉じたの……?)
少し考えて、望美は思いつきに目を大きくした。
まさか?
でも、もう本当にそれくらいしか思いつかない。
というか、それでいて欲しい。
(……気に病んでくれてるの?)
――――ヒノエは、どんなに馴染んでも自分からは頭領であることを打ち明けてはくれない。
頭領として、会ってもくれない。
仕方ないことだと分かっている。
それでもとても、寂しかった。
(言おうと……してくれたの?)
たとえ勘違いでもいい。
望美は嬉しくなったから、真偽は知らなくてもいいと思った。
だってヒノエは嘘をつく。
本当でも嘘でも、……躊躇っても。
それが熊野別当・藤原湛増だから。
「……ヒノエくん」
「え?」
「海が綺麗だね!!」
思考の海に沈んでいたヒノエは、不意打ちの笑顔に虚を突かれた。
明るい笑顔。
煌めく熊野の海の瞳。
…………かなわないな。
ヒノエはいつもの笑顔に戻って、望美の肩を抱き寄せた。
「気に入ったかい?でも、オレにはお前の方が煌めいて見えるけど」
「きゃっ、ゆ、油断も隙もないんだから!気軽に触っちゃ駄目!」
「本気ならいいんだろ?」
「ほ……本気でも駄目ーっ!!」
望美はきゃわきゃわ騒いで逃げた。
そしてヒノエに手を伸ばす。
「そろそろ行こう、ヒノエくん!」
「オレはもう少し二人でいてもいいけど?」
「す……すぐそういうこと言うんだから……!」
不意の笑顔。
突飛な行動も、その手のひらも。
オレの心をどんどん惹いて、もうお前しか見えなくなりそう。
このままただのヒノエでもいたいけど。
……いつか打ち明けることになるだろう。お前を本当に欲しくなってしまったから。
望美は少しホッとした。
望美は戻ってきたヒノエの笑顔にそっと安堵した。
やっぱりいつものヒノエくんがいい。
悩んでくれたかもしれない。
それは嬉しいけど、やっぱり笑顔でいて欲しい。
自分で決めて、言って欲しいから。
(だったら知らないふりをする。……私は待つよ、ヒノエくん)
だから、それまでは仲間のまま、手を繋いで歩くのだ。
そしていつか、きっと、君と。
≪おまけ≫
「お前、本当に優しいなあ」
「……何がですか、兄さん」
「ん〜?別にィ?」
「………」
誰にも勝てないものはある。
僕の場合、この人だ。
(ヒノエ、この人を抜くのは大変ですよ……)
思わず遠い目をした弁慶だった。