望美が一人で買い物に出かけたと聞いて、俺は急いで後を追った。
 おっとりと警戒心の薄い様子で笑う朔は責められないが、怒鳴りたいのは八葉たち。
 いつもぞろぞろいやがるくせに、誰か一人くらい、ついていかなかったのか!
 ここをどこだと思っていやがる!

 ヒノエのスピードは、本気の証拠。
 朔はちょっと呆れて、その背中を見送った。


 

熊野にて




  「ねえ、君可愛いね。どこ行くの?」
「そんな奴より、俺が教えてやるよ。さあどうぞ?」

 ――ヒノエくんみたい。

 望美は困りつつも苦笑した。
 朔に頼まれて買い物に行く道中、望美は角を曲がった大通りで男たちに囲まれていた。
 最初は一人。
 今はいっぱい。

「あの、ホントに大丈夫ですから」

 困ったものだと思いつつそう言ってみても、男たちはひるまない。
 男たちにとって望美は極上の美姫である。
 藤色の髪は艶やかで、唇と爪は桜色。
 見ない装束も似合いで、すんなり伸びた足は美味しそう。
 凛とした眼差しも、囲まれてたじろがない姿勢も海の男の好むところ。
 何よりその花のかんばせ。
 簡単に逃す男は、熊野にはいない。

「荷物重くなるだろ?宿まで運んでやるよ」
「手が疲れちまうと可哀相だからさ」
 
 親切な申し出に有難いと思いつつ、大勢はいらない。
 一人二人を選ぶ基準もないし、選ぶつもりもないので全員断わりたいのだが。

(どうしよう、お店閉まっちゃうよう)

 相手に害意がないので薙ぎ倒すわけにもいかないし。
 熊野男たちは、現在望美にとって、怨霊より厄介だった。







 ヒノエは曲がったところに人だかりを発見する。
 人垣から洩れ出でる聞きなれた声音。

「あの、ホントに大丈夫ですから」

 清冽に耳朶を打つ、望美の声。
 切羽詰った様子のないことから、害されてる様子はないものの、・・・・思ったとおりの展開に呆れて言葉もない。

 ホントに何やってんだか。
 ヒノエはため息をひとつ吐いて頭をがりがりとかいた。
 ここにあの叔父がいて、今の自分を見たならば、おや鏡がありますね、くらい言いそうだ。
 熊野はやっぱり自分の土壌だと痛感するのはこんな時。

「・・・・・・ふう」

 気を取り直して、ヒノエは頭領の顔をつくった。
 気配を強めて、ゆっくり歩み寄る。
 端の方にいた男の2、3人が何かを感じて振り返り、固まった。
 異常を感じた周りがちょっとずつ振り返る。
 その度に凍ったり、ささっと逃げたり。

「と、頭・・・・」
「シッ!」

 言いかけた男は隣の男に制されて慌てて口を抑え、道を譲る。
 悠然と歩くヒノエの前に、望美への道があらわれてゆく。

 不意に背中に風を感じた望美は振り返ると知った顔を見つけ、破顔した。

「ヒノエくんっ!」
「やあ、姫君。お散歩かい?」

 望美の背後でヒノエの覇気は見ずにすんでいた男たちも硬直する。
 頭領の女?!

 ヒノエへ向ける可憐な笑みにノックアウトされた男は多いが、これ以上言い寄ろうとする男たちはいなかった。
 熊野男だって、命は惜しい。
 ヒノエが望美の傍に辿りつくまでに、潮が引くように人だかりは散った。

「あ、あれ?」
「どうしたの、望美?」
「うん、今までちょっと大変だったんだけど・・・・助かったのかな?」

 望美は首を傾げるが、余裕の笑みのヒノエを見て、得心した。

 ・・・・・ヒノエくん、かっこいいもんね。
 かなわないとか、思ってくれたのかも。
 だったらヒノエくんの、おかげかな?

「ありがとう、ヒノエくん」
「俺は何もしてないぜ?」
「ふふ、うん!」

 そうヒノエは何もしていない。
 ちょっと無言の圧力、かけただけ。
 ゆっくり歩いて、みせただけ。

 それでも頭領の本性を知る海の男たちには、言葉よりも雄弁な「退け」を察知したのである。
 痛い目は誰だって見たくない。
 頭領の恨みも買いたくない。

「買い物なら付き合うぜ」
「助かる!あのねえ・・・・」

 可愛く笑う望美と連れ立って歩き出しながら、ヒノエは心で前言撤回する。
 望美を一人で出してくれてアリガトウ。
 おかげで、二人っきりだ。



 目当てのものを買って、少し寄り道しつつ歩く勝浦の町。
 二人はのほほんと楽しむが。
 その夜には望美の人相書きが回り終わり、頭領の逆鱗であるとして、男たちに触るべからずと叩き込まれた。
 この話を望美が知るのは、次の春のことである。