「っ……あ、あぁ……っ、あ、んっ……!」
閉ざされた闇の中、白い肢体が浮かび上がる。
その身体は、一人の男の手に捉えられている。
……囚われている。
「ここが、良いのでしょう……?」
「ち、違っ……アッ、や、やだ、嫌ぁっ……!」
成熟というにはまだ足らぬ身体。
少女と呼ぶにふさわしいほどに。
しかし、女であることには十分肢体は、男の手によって十分に拓かれていた。
今日ももう、何刻ほども責められているやら。
だから。
「アッ、あっ!あっ……あああっ……!」
どれほど堪えようとも絶頂は訪れる。
少女――――望美の身体は弛緩し、泣きたくなるほどの快楽の果てに、心地よい倦怠感が訪れる。
そして……。
「あっ…」
望美はそれを感じて、恥じらうように頬を赤らめた。
今、胎内には男の……重衡の欲望が注がれている……。
「――――よかったですよ、十六夜の君……」
「ん…」
瞼の上にほのかな口づけを感じながら、望美は重衡の腕から逃れようとして――――
捕えられた。
「……駄目ですよ、十六夜の君。ここに、いてくださらないと……」
「う、……でも」
形ばかりは拒否をする。
それでも、拗ねるような声に、結局は絆されてしまう。
和議が成り、重衡と婚姻して数か月。
これが正しいことなのか、まだ、分からない。
躊躇う恋の、踏み出す一歩
貴族の朝は早い。
重衡が傍から消えて、暫くしてから、望美のもとには数名の女房が膝行してきた。
そして、いつものように聞いてくる。
「御方様、お加減はいかがですか?」
「……大丈夫だよ」
これに、望美は苦笑せざるを得ない。
別に身体が弱いわけでもないのに、すっかりこんな風に聞かれるのが日常になっている。
望美が朝、起きられないのが悪いのだが……。
(重衡さんが、いつも……いっぱいするせい、だよ……)
起きられない理由を思い浮かべ、望美は僅かに顔を赤らめた。
重衡しか知らないから、これが普通なのか、望美には分からない。
しかし、いつも明け方まで激しく求められたら、重衡の出ていく時間には起きられないと思うのだが…。
(でも、重衡さんは起きられているわけだし……昼寝、してるのかな……)
まさかそんなことはないだろうと思いつつ、それしかないような気もしている。
本当のところは分からない。
何せ、重衡とは結婚してからも深く話したこともないのだ。
いつも、奪われるように抱かれるばかりで……。
「……様っ、御方様!」
「わ、わわ、ごめんなさい。何?」
ぼうっとしていたせいで、呼びかけられているのに気づかなかった。
慌てて返事をした望美は、いつになく、女房らが嬉しそうな顔をしているのに気づいた。
「……何かあったの?」
「はい、それはもう」
年長の女房は、顔を輝かせて頷いた。
「殿が此度の葵祭の勅使におなりになったのですわ。私たちも、もう嬉しくて」
「勅使?お祭りがあるの?」
望美が小首を傾げると、女房らが嬉しそうに頷く。
そして、待ってましたとばかりにずいっと膝を進めてきた。
「はい、ですから、御方様もお出ましになりませんか?牛車の支度はすぐにできますから」
既に、その手には帯やら櫛やらが握られている。
望美はぎょっとして後ずさった。
まさか、あの格好をさせられる?!
「う、い、いいよ…。だって、今からなんて、急すぎるし」
女房らが用意しているのは、絶対に十二単だろう。
あれは重いし、腰も痛い。
億劫になった望美を見透かしたように、女房らはなおも望美を誘いかけてくる。
「そう仰らずに。御気晴らしにもなるかと思いますわ」
「………気晴らし……」
望美は、少しばかり考え込んだ。
重衡の邸に移ってから、確かに、外に出てはいない…。
だが、それもやはり、朝起きられないのと同様の理由からである。
(や、やっぱり、重衡さんが激しいのがいけないんだよっ…)
何だか物凄く理不尽な気がしてきた。
何が理不尽って、重衡の方は滅茶苦茶元気そうなのがそもそも理不尽である。
それに――――
「でも、重衡さんは何も言わなかったし…」
見にこいとも、来るなとも。
そもそも祭りがあることさえ言ってくれなかった。
それは、来ないでくれという事なのではないのだろうか。
躊躇い以上に沈んできた望美の様子に、女房は内心でひどく慌てた。
「それは奥方様のことを慮ってですわ」
「……そうかな」
尚も表情を沈ませる望美の手を、女房はそっと取った。
「ええ、殿は御方様をこの上なく愛され、大事にされておいでですもの」
それは知っている―――
でも、それは、世間体じゃないの?
そう言いたい気持ちごと、望美は何とか呑み込んだ。
源氏の神子と平家の御曹司の婚姻は政略。
婚姻の当初から、ずっと言われていたことだ。
だって、最初の夜だってあの人はおもてなし、なんて言って―――
(……私は?どうなんだろう…)
望美は秘かにため息をつく。
あの人のことを、どう思っているのか、自分でもよく分からなかった。
流されているだけであるかもとも思う。
だが、それを口に出すことは憚られた。
ここで、望美は本当によくしてもらっていたから。
「行きましょう、ね?」
「そう、だね…」
何度も彼女らに誘いかけられれば、断り続けることも難しい。
そうして、望美がかろうじて頷いたことで、一気にその場は華やぎ、準備が慌ただしく始まった。
☆
葵祭は祭祀である。
時期は一定しておらず、斎宮を伴うこともある。
宮中で行われるにとどまらず、京を勅使たちが列をなして練り歩くのだから、物見高い京の民が黙って見過ごすはずもない。
また、それを見越して、勅使にはその時々に最適な者が選ばれることとなっていた。
和議後、初めての祭祀とあっては、今回はやはり平家の公達であろう。
そこまでは、重衡とて理解できる。
ただ、そこで自分が選ばれた経緯は、……何となく納得がいかないのだが。
(兄上……逃げましたね……)
昔から、面倒事は一切やりたがらない人だから、今回も当然と言えば当然の流れだが。
道の両端を思っていた以上の数の牛車と民衆が埋めている。
これが下鴨神社まで続くのかと思うと面倒になり、馬足も速めてしまいたいところだったがそうもいかない。
兄・知盛でなくても投げ出したい気分でも、やり遂げなければならないのが現実だし、以前ならばそう苦でもなかったことである。
でが、今は―――違う。
(ああ……あなたのもとに戻りたい。そして、腕の中に抱いていたい、十六夜の君……)
以前ならば、面倒であってもどうでもよかった。
それ相応に平家の男としての体面は気にしていたし、諦めることも容易かった。
だが、今は、望美以外の現実が、重衡の中ですっかり色褪せていた。
望美のことしか見えない。
想えない。
こんなにも愛おしい存在を、他に知らない。
(それは、あなたがいつも今にも飛び立ってしまいそうだから?)
あの夜の別離が、今も自分のどこかをやわらかく締め上げてくる時がある。
そんな夜は、望美を気絶さえさせてやれない。
本当に、自分という男は――――
そう、重衡がため息をついて顔を僅かに伏せようとしたときだった。
「……っ」
何かが重衡の五感に引っかかり、思わず重衡が馬を止めた。
周囲は喧噪。
居並ぶ牛車に絢爛な出し衣の数々の中、それを見つけることができたのは、奇跡としか言いようがない。
(十六夜の君……っ?)
見に来てくれたのか。
あるいは、女房たちに強引に連れ出されたのかもしれないが、望美の意思なしにはありえない。
重衡の心は、先刻とは打って変わって高鳴った。
ここで随従に声をかけられなければ、逸る心のままに、重衡は望美のもとに行ってしまったかもしれない。
「………重衡様?」
「あ、……いえ……進みましょう」
「はい」
この平和は、あの方の紡いでくださったもの―――
重衡が再び馬を歩ませたことで、行列は再び、恙なく進みだした。
一行を追って、多くの者が下鴨神社に向かうのを見送って、望美はそのまま帰宅することにした。
………さっき見つめられた気がしたのは、気のせいだと思うことにして。
葵祭は盛況に終わり、その日行われた宴は辞して、重衡は自分の邸へと急いだ。
いつもなら、それでも寝殿に向かうまでに少しは時間をもつのだが、そうはしていられなかった。
あれが幻でなかったと、今すぐに確かめたい……!
「十六夜の君っ……」
「し、重衡さん?」
夕餉もまだの時間に部屋にやって来た「夫」に望美は大層驚いた。
が、重衡は当然、それどころではない。
飛び込むように入っていった部屋の中、脇息に凭れていた望美は、いつもとそう変わらない格好をしていた。
だが―――
奥に立てかけてある衣は確かに自分が見つけたもので、重衡の胸は再び熱くなった。
重衡は望美の傍に腰を落とすと、喜びのままに頬に手をかけ、身体を抱き寄せる。
華奢な身体から、ふわりと焚き染められた香の匂いがした。
「来てくれたのですね、愛しい君……」
声音ばかりはいつものように囁くと、望美はどこか頼りない眼差しで重衡を見上げてきた。
「十六夜の君?」
「……本当に嬉しいの?行って……よかったの?」
重衡は思わず目を見張った。
そんなことを聞かれるとは思わなかったのだ。
「当たり前ではありませんか。あなたが見ていて下さるなんて、と、こんなにも心は逸りましたのに」
今にも駆け出していきそうだったほどだ。
今思い返しても、よくぞ我慢できたと思う。
しかし、望美はまだ不思議そうに――――心細そうにしている。
何故か、と問いかけようとしたときだった。
「で、でもそんな……政略、なの、に………?」
重衡は、本気で絶句した。
すぐには二の句が思いつかなかった。
政略―――――
確かにそんな意味合いが添えられることも、よく分かってはいるし、それを利用したのも確かだけれど。
(まさか、本人にそのように思われていようとは………)
逸った心に思いきり冷水を浴びせられたような心地になって、ここが望美の前でなければがっくりと膝でもついてしまいそうだった。
………重ねた夜の内にも、どこか望美が遠慮がちであり、寂しそうにしていた理由が、何となく分かった気がする……。
しかも、それは、もう一つの推論も呼び起こす。
政略婚であることを寂しがっていたというのなら、それは、もしかして―――
「十六夜の君――――」
慎重に、重衡は望美に呼びかけた。
愛しい、愛しいひと。
触れ合うこともなく別れてしまったときから忘れられず、触れてしまえば一層離せなくなった、ただ一人の……
間違えることはできない。
傷つけることはもっとしたくない。
だけど――――
「何度も打ち明けたはずですが、何度でも申し上げます。……愛しています」
「……んっ……」
言わずには、いられない。
口づけずにはいられないのだ。
たとえそれが今も一方通行の片想いでも――――しかも、それが叶っているかもしれない今ならば、余計。
「愛しているのです――――これでも、ただの政略の相手にここまで尽くすほどまめな男ではないのですよ……?」
「んっ……う、嘘……」
「嘘ではありません」
囁きながら、毎夜のように望美の身体を辿りかけ、重衡はやめた。
いつもそうなのだが、この身体に触れると余裕が根こそぎなくなって、何も告げられなくなってしまう。
そんなところが不安にさせたのだとしたら、二の舞は駄目だ。
だから、重衡は互いに衣を着たまま、そっとその身体を強く抱き締めた。
それだけで想いが迸りそうになる。
壊しそうで、今も、たまらないのに。
「嘘で―――――ここまで愛せない………」
虚飾も何もない言葉を紡ぐのは、もしかして初めてではないだろうか。
我に返って、何となく恥ずかしさを感じ始めた頃、そっと、重衡の胸板が押された。
「………十六夜の君?」
望美が、笑っていた。
それはとても優しく、咲き零れるかのような笑みで、重衡は口づけされるまですべてのことを忘我していた。
「嬉しい……嬉しい、です。重衡さん……」
微笑みは優しくも可憐で、透き通るように美しかった。
廻りめぐる夜の中で、望美の笑顔を見たのは、もしかして初めてではないだろうか――――
「十六夜の君っ……」
重衡は我慢できずに、そのまま望美の身体を浚って、塗籠に籠った。
望美も否とは言わなかった。
自信の持てなかった想いの在り処を、ようやく探しに行けるような気がしたから。
踏み出した想いの先―――――二人の恋が叶うのは、まだもう少し後のこと。