和議に見せかけた謀略―――
それは止められた。
望美によって。
望美と絆を結んだ、八葉の手によって。


名代のはずの政子は言った。

「こんな茶番の和議が、本当に結ばれることになるとは思いませんでしたわ」

望美は思う。
それはあの人の言葉だったかもしれないと・・・・・・






優しい籠絡






何故こんなに気になるのだろう。
和議を前日に控えたこの夜に、望美が思ったのは、銀色の残影。
血と退廃と・・・・・死。
美しい獣のようなあの人は、平家の先を誰より理解していた。
彼も、思っていたのじゃないだろうか。


――――こんな和議は、茶番。


そう思うといてもたってもいられずに、望美は駆け出していた。
あの人に、会うために。








(でも、会えたって…何を話せばいいの・・・・・・?)

やっと見つけた後ろ姿を思わず追いかけた。
邸の中に入っていった知盛を追って、望美は思いがけない人と巡り合う。

「―――ふふっ、十六夜の月夜に相応しい、可愛らしい虫が庭にいらしていたのですね」

虫?
望美は一瞬ぎょっとした。
声は明らかにあの人で、それでいてもっと平坦な―――酷薄な声音。
こんな声、聞いたことがない。
いや、もっと前に、一度・・・・・・

(これは、『銀』じゃない。『重衡』さんの声なんだ・・・・)

人の上に立つことが当たり前な、平家の公達の声。

「鈴のような声音を聞かせていただけるなら、許してさしあげますよ」

命令しなれ、口説きなれた声。言葉。
ともすれば脅迫のようなその声に促されるように、望美は物蔭から進み出た。
月明かりに照らされた、藤色の髪が風に踊る。
重衡は一瞬息を呑み、知られぬようにそっと笑った。

「―――さあ、こちらで聞かせてくださいますね、あなたのことを」
「・・・・・・やれやれ、お前も物好きな…」

知盛が嘲笑うようにため息をつく。
その意味が望美は分からない。
問われるままに名乗ると、知盛がようやく興味を覚えたように眉根をわずかに上げた。

「源氏の神子・・・・・有川の探し人、か」
「は、はい、私が白龍の神子です・・・・」

戦場でない場所で知盛に名を問われるのはどうも気恥ずかしくて、望美はおずおずと頷く。
知盛はうっそりと目を眇めた。

「源氏の神子は、北条政子を脅してまで和議を推した女傑・・・と聞いていたが・・・ただのお嬢さん、だったようだな・・・・」

そこまで言うと、知盛はあっさりと背を向けてしまった。

「兄上?」
「―――興が削げた。神子殿の『おもてなし』はお前に任せるさ…」

そしてそのまま渡殿の向こうに消えてしまう。
望美の声をかける暇もなかった。
重衡は喉の奥で少し笑う。

……おもてなし、ですか。
この少女を?あなたを目で追う、この可憐な姫を?

「兄が申し訳ございません、神子殿。…ですが平家一門、あなたの尽力には大変感謝しているのですよ」

向き直ると、望美の瞳が重衡を見た。
その翠は、吸い込まれそうな泉の色。
いや、是非とも落としたくなる。こちらの方へ。

「心よりお礼申し上げます」

型通りの言葉を続けながら、重衡の瞳が艶やかさを増す。

「それとも…捧げるのは言葉よりも、この想いの方がよろしいのでしょうか」
「お、想いって…」

望美は慌ててしまう。
そんなつもりじゃないのに、身体が動かない。
目が逸らせない。

「ふふ、可愛い人だ…」

重衡の目はますます艶を帯びて、色恋に不慣れな望美を赤面させていく。
こういう展開を望んだわけじゃない。
ただあの人が生きているか確かめたくて。

(もう確かめたけどっ、でも……っ)

何だかここから逃げたい。
望美は無理矢理そこを通り抜けようと、ぐっと足に力を込めた。

「わ、私まだ知盛を追いかけなきゃ!じゃあこれでっ……」

そう言って、重衡を追い越そうとしたが、それを許す重衡ではない。
すり抜けようとした望美を掬いあげるように、腕の中にとらえてしまった。

「きゃっ……」
「―――駄目ですよ、十六夜の君」

可憐な肢体は簡単に重衡に抱き上げられてしまう。

「・・・・・重衡さんっ・・・?」

知っているのか、あの邂逅を。
刹那の出逢いを。
望美を見つめて微笑む重衡の瞳は菫の深淵。
いくら覗き込んでもその奥は容易には窺い知れなかった。

問うような望美の声音を、重衡がそっと封じた。

「んっ・・・・、ッ、重っ・・・・」

そして唇を遊びながら、重衡はすんなりと御簾をくぐり、更に奥へと進んでしまう。
望美は慌ててもがいた。

「ちょっ、・・・・重衡さん・・・!」
「ふふ、罵る声音さえ愛らしい・・・。兄上も言われていたでしょう?おもてなしは任せると・・・」
「お・・・おもてなしって・・・・!」

微笑んで褥に望美を落とすと、重衡は望美の首筋をすうっと撫で上げた。

「アッ・・・・・!」
「感じやすいのですね・・・」

不意の刺激に思わず声を立てた望美に、重衡は嬉しそうに笑う。
望美はカッとして身を起こした。

「こんなことのために来たんじゃない!帰してっ!」
「ああ、怒らないで、可愛い人・・・。あなたがあまりに可憐な声だから、喜んだだけなのですよ」
「怒りますっ!何でこんな―――・・・・・・っ、んんっ・・・・・」

声はまた塞がれた。
望美は本気で怒りたくなる。
だけど、舌ひとつ噛めない自分が情けなかった。
傷つけたくない。

「優しい人だ・・・・」

舌も噛めない望美をに重衡が薄く笑う。
その微笑みは酷薄で、望美は一瞬ぞっとした。
重衡は望美の力が抜けた一瞬を逃さずに、陣羽織を紐解きながら望美を組み敷いた。

「やっ・・・・重衡さん!」
「兄上になら・・・あなたはこの身体を開かれる?追っていらしたのは、そういうことでしょうか、十六夜の君・・・」
「そ―――そういうことじゃ・・・・」

問われて答えかけ、望美は詰まる。
無事を確かめたかった。
でもそれだけ?
それこそ何のために?

あの男は自殺なんかしない。
和議が成ったら無事なのは、当たり前のことなのに。

「私に会いに来てくださった・・・・そう思いたいのに」

―――あの夜のように。

重衡は心の中でだけ呟いて、望美の身体を暴いてゆく。
自問に気を取られていた望美はハッとした。

(いつの間にここまで脱がされていたの・・・・・っ?)

あざやか過ぎる手並みによって、望美を覆うのはもはや下着だけだ。
さすがに脱がし方に困ったのか、重衡の手もそこで止まる。

「し、重衡さん、もうここでやめて・・・・!」
「やめる・・・・どうしてです?」
「ど―――どうしてって・・・・!」

望美が必死に身体を庇いながら、懇願した。
怒ってもいいはずなのに、この悲しそうな瞳を見ると怒れなくなってしまう。
だが重衡は、望美に逆に懇願する。

「私はあなたに魅入られた、哀れな蝶なのですよ・・・。蜜花に惹かれるのは当然のこと。どうか私にもお許し下さい・・・」
「な、何を許せと言うの・・・・?」

捨てられた子犬のような瞳に困りきった望美が問うと、一転重衡は妖しく笑う。

「無論―――」

そしてそのまま、望美の手を掻き分けて、フロントホックに正確に指を絡めると、それを外してしまった。
弾けるように豊かなふくらみがあらわに零れた。

「きゃあっ!」
「――――この花を味わうことを、ですよ」
「やっ、・・・・・きゃ・・・・っふ、んんっ・・・・・」

驚いた望美の両手をぐいっと頭の上にあげさせて纏め、重衡はぷるんっと、飛び出した豊かな胸にそのまま吸い付いた。
片手は胸を押すようにもみあげ、もう片方は丹念に舐められてゆく。
望美は手を外そうとするが、痛くないほどの力にもかかわらず、その拘束は外れなかった。

「あっ・・・アアッ・・・・・やだっ、重衡さん・・・・・!」
「ふふ、愛らしい。その上、とても香しいですよ。十六夜の君・・・・」
「やだって・・・・あっ・・・・ゆうのに・・・・・ッ、ふうっ・・・・」

望美の静止など一切聞かず、重衡はたっぷりと胸を可愛がると、首筋に時々赴き、たまに唇を啄ばんだ。
望美の息は、見る間に上がり、朦朧とした静止はもはや意味をなさなくなっている。

「――――や、やだそこっ・・・・!」

望美の声が一気に緊張した。
両手の縛めが既に解かれているのを、望美はいつ気づくだろうか?
重衡の手は、下肢にも伸びていた。
鋭い刺激が望美の意識を呼び覚まし、けれど、抵抗をもっと無意味にしていく。

「あっ、ああっ・・・・・ひうっ・・・・・!」

切迫する甘い声。
隠れた花芽はすぐに見つけられ、執拗に可愛がられている。
擦りたて、捻られて。
そうする間にも、胸への愛撫はやむことがない。

「ああっ・・・・ん、ふうっ・・・・・重衡さ・・・・!」
「はい?どうされました・・・・・?」
「もうやめ・・・・アアッ・・・・・・」

望美はこんなことは初めてで、当然この感覚が自分をどうしてしまうのか分からない。
その物慣れない体を重衡は巧みに暴き、堕とそうとしている。
だが。

「・・・・・やめてよいのですか?」
「やっ・・・・やめて・・・・・あっアアアッ!」
「・・・・・もう一度仰って?」
「やめてっ、いやっ・・・・・・いやっ・・・・あっ」
「ふふ・・・続けて欲しいのですね・・・・」

どんどん尖る甘い声に、堕ちているのは自分かもしれないと重衡は思う。
強引に望美を極めさせると、望美の身体が舞うように弛緩した。
その匂いやかな媚態に、至極そそられる。

兄を追う少女と、あの夜確かに「あなたに会いに来た」と言って消えた幻の姫。
同じなのか、そうでないのか。
重衡には分からない。
分からなくて、それでいいと思ってしまう。
今ここにいる望美が欲しい。
重衡は望美の足をそっと持ち上げる。
望美がうつろと酔った目を向けて、重衡に哀願した。

「も・・・やめて、おねが・・・・――――」
「残念ながら聞けません・・・・・恐ろしく魅力的な、あなたがいけないのです・・・・」

望美の蜜口に、男の舌が添えられる。
望美はその夜、甘美な牢獄に一晩中捕らわれ続けた・・・・。

















「望美・・・望美・・・・・?」

夢から醒めた、というにはあちこち痛む身体を望美は揺り動かされる。
その声は・・・・朔?

「そろそろ起きないと・・・・もう、服のまま寝て・・・あなた、昨日は何処に行ってたの?」
「う・・・・朝・・・・・?」

望美はのそり、と身を起こす。
朝・・・・?
ここは、京邸―――それではあれは、夢・・・・・・?
願わくばそう思いたかった望美だったが、「あれ」が夢でない証拠はたくさん残っていた。たとえば・・・

「の、望美、それは・・・・・」
「え・・・?きゃ、きゃああっ・・・・!」

夢現の望美は一気に覚醒した。
いそいでかけられていた衣に包まる。
やっぱり夢ではなかったようだ。

肌蹴た胸元にいくつも散る赤い花びら。
太腿にもそれはあって、望美は愕然とする。
顔を真っ赤にした朔と青い顔を見合わせ、望美は泣きそうになる。
いつもの装束では、絶対に隠れない無数のそれらに絶句する。

(わ・・・和議に出られないよう・・・・!)

困り果てた二人の背後から、躊躇いがちな声がかけられた。

「あ、あの望美ちゃん、・・・・・起きてる?」
「兄上」
「あっ朔もいたんだ!・・・・・ちょうどよかったのかな・・・・」

ぼそぼそと続く声に、朔がイラッとしたようだった。
景時に関してだけ、朔の沸点は低い。

「兄上?」

まったくイントネーションの異なる声色に、景時がビクッと身を竦ませたようだった。
慌てたように、御簾の下から着物が一式差し出される。

「――――これは・・・・」
「さ、朔が読んであげて!じゃ、じゃあ俺はこれで・・・・・!」

言うなり去ってしまう。
胡乱気な瞳を朔が御簾の向こうに投げたけれど、望美がまだ泣きそうな顔をしているので、これ以上怒らないことにしたようだった。
朔としては、とりあえず、事態の把握がしたい。
鍵と思しき着物の上に置かれた文に手を伸ばす。
望美がそれを覗き込んだ。

「まあ・・・・・!」
「う、朔、何て・・・・?」

銀色に重ねられた菫の薄様。
絶対に彼からだと思いつつ、望美は恐々尋ねる。
朔の嬉しげな声が引っ掛かる。
一体あの人は何を書いた?

「あなた重衡殿と恋仲だったのね・・・・!」
「・・・・・・・」
「そう・・・・だから和議を推したのね・・・・言ってくれればいいのに・・・・」

くすん、と涙ぐむ朔に、望美は手を伸ばしかけ、声をかけかけてはやめる。
恋仲・・・・・・?

「えと、な、内容は・・・・?」
「ああそうね、ごめんなさい。えっとね・・・・・」

望美は今度こそ呆然とした。
歌の意味は分からない。
いや分かりたくないが、「そういうことなのだろう」と、おぼろげに察されてしまう。
でも――――

「ふふ、情熱的ね・・・・」
「ソウデスネ・・・・・」

うっとりと笑う朔は、望美の様子には気づかない。
和議の刻限は間近で、この着物を着ずには出られないのも明らかで。
景時の様子から、自分が京邸に帰っていることからも、色々と根回しずみなのは明白で。

望美は本音を言うと、怒りたかった。
ちっとも自分の意思が反映されていない。
何だこの急展開。

「さあ、着付けましょう。晴れの日に恋人の用意してくれた着物なんて・・・よかったわね、望美」
「・・・・・・・・・・うん、そうだね・・・・・」

それでも和議に水を差すわけにも、何より対を怒らせるのも悲しませるのもしたくなくて、望美は曖昧に微笑んだ。
もちろん、今夜来るという人に問い詰める決意はしたのだが・・・・




その夜も、次の夜も、重衡の籠絡は続き―――
手を変え品を変えのそれらに、望美が陥落するのはもう間近。

けれど重衡は苦笑する。
明日には妻になろうというこの少女に、陥落したのはきっと、自分の方。