ここでばったり出会ったのは、絶対偶然じゃない。







トライアングル








「……よう、弁慶。何してんだ、こんなところで」
「ご挨拶ですね、ヒノエ。……別に、君には関係ないことですよ」

京邸の奥深く、朝早い時間にばったり出会ってしまった二人はバチバチと火花を散らした。
場所は望美の寝所の前。
だからこの遭遇は偶然じゃないと二人とも思っていた。
紅葉がはらはらと吹き散らかる庭は静かで、どことなく息を潜めている。

「オレに関係ないなら、余所に行きなよ。オレはこれから姫君に用があるんでね」
「こんな朝早くに女性の寝所に踏み込む気ですか」
「オレと姫君の仲ならばゆるされるね」
「それは浅い仲ですね」
「あんたよりは深い仲だよ」

沈黙が流れる。
……まったく、ああ言えばこう言う。
この流れるような口の悪さは一体誰に似たのだか。

二人してほとんど同じ内容の悪態をつきながら、二人はほぼ同時にため息をつき、御簾に手をかけた。

「…………何してるんですか、ヒノエ」

まさか本気で踏み込む気かと、弁慶は視線でヒノエを咎めたが。
同じ行動をしようとしている弁慶には言われたくないと思うヒノエである。

可憐なる姫君は、ただ可憐なだけでなく、その強さと儚さがヒノエの心を強く惹いた。
こんなに魅力的な存在だから、周りを飛び交う虫の多さは我慢してもいい。
それは望美のせいではないのだし。
だが、我慢できるのは周りを飛ぶまで。
触れられるなんて冗談じゃない。
特に―――この男には。

「あんたこそ。……オレは姫君に持ってきたものがあるんだよ」

実は昨日、望美は倒れた。

熊野から京に戻り、和議が壊れてからこっち、何かに憑かれたかのように、望美は怨霊退治に精を出している。
まるで何かの償いのように。
だが、春の頃よりも強い怨霊が蔓延る京の空気がいいはずもなく、望美へかかる負担は大きい。

白龍の神子。
その存在は、そこにいるだけで五行の気の影響を強く受けてしまうものだから。

弁慶は顔を顰めた。

「まだ休ませなければならない状態です。そんな用事は後にして下さい」

ただでさえ望美は無理をし過ぎるのだ。
この際、できるだけ休ませようと考えていた弁慶にとって、ヒノエの訪問はあまりに不快。
いや―――たとえ、望美が健康であったとしても、本音を言えば近づいて欲しくない。
自分以外の誰にも。

……それは叶うことなき恋心。
叶えてはいけない想い。
だからといって、他にも叶えて欲しくはない恋である。
ヒノエなんかには特に。

「じゃああんたは何をしに来たのさ」
「愚問ですね、薬を持ってきたんです」

僕は薬師ですから―――
魅惑の微笑みで牽制してくる叔父を、ヒノエは鼻で笑った。

「じゃあオレが持っていってやるよ。渡すくらい、あんたじゃなくてもいいだろ?」
「何を言ってるんです。彼女の容態も見なければならないでしょう?」

バチバチバチ。
火花は散って、どっちも譲ろうとはしない。
事態はどこまでも膠着しようとしていた、その時―――

「………何やってるんですか?」

響いた声に、二人はバッとその方向を見た。
いきなり振り返られて、驚いた望美が蹈鞴を踏む。

「わっ…」
「危ない!」

咄嗟に二人の手が伸びて望美を掴み、何とか事無きを得た。

「あ、ありがとう…」

……危なかった……。

「大丈夫ですか?」
「気をつけなよ、姫君。病み上がりなんだから」
「う、うん、ごめんなさい……」

お礼を言った望美だが、二人の空気に首を傾げる。
何でこんなに睨み合ってるの…?
手を放してくれない二人が、何故かお互い睨み合っている。
二人の間に挟まれた格好で、望美は何だか居心地が悪い。

一体何があったのやら?

ふと、弁慶が顔を曇らせた。
望美はいつもの神子装束を身につけている。

「望美さん、その格好―――まさかもう出歩く気ですか」
「え、う、うん」

ヒノエまで顔を顰めた。

「いけないね、姫君。倒れたばかりだろ?養生してなよ」
「え、でももう治っ―――」

「『望美』さん」

こんなときだけ、それは綺麗に唱和して。 目をパチパチと瞬かせた。

(えーっと……)

もしかして、マズイ……?

望美はそろりそろりと後退を試みる。
この二人がいがみ合うのは今に始まったことじゃないけれど……
望美は知っていた。
廻る時空の中で嫌というほど。


本当に怖いのは、この二人が手を組んだ時だということを。


「ね、寝ます休みますっ!!」
「本当だね?」
「後で見にきますよ?」

望美がまるで壊れた人形のように頷き倒して、ようやく、弁慶はふうっと息をついた。
ヒノエも手を離す。

「なら……仕方ないかな」

何がなんて怖くて聞けない望美の前で、弁慶も頷いて、望美に何かを握らせた。

「ちゃんと飲むならよしとしましょう」

うっかり受け取ってしまった望美は顔を青くしたが、すべては後の祭りだった。

「『ちゃんと休』―――」 「みます!!」

再び唱和しかけた声を遮って叫び、望美は御簾の内に消えた。
ふらふらと褥に戻る。
そこには優しい対の姿があって、望美は何だか物凄く癒された。

「あら、戻ってきたの?……望美?」
「朔〜〜〜っ」









奥の方で望美が朔に泣きつく声を聞き、ヒノエはふと苦笑した。

「あーあ、怖がらせちゃった。お前のせいだぜ」
「君が怖かったんじゃないですか?」
「ぬかせ」

暫く睨み合い、そして、フッと同時に何故か笑みが浮かんだ。


譲れない恋―――特に、この相手には。


「抜け駆けするなよ」
「されて困るんですか?軟弱ですね」

微妙なるトライアングル。
この恋はまだ、始まったばかり。