君はよく、僕を困った人だと言うけれど・・・
僕から言わせれば、君ほど困った人もいない。
それは、今は遠い、あの京でも。
僕らが過ごすこの場所でも・・・・
君はいけない人ですね
「はい、弁慶さん、あーん」
ある日曜の朝。
弁慶のマンションで、いつも通りの朝・・・のはずだった。
しかし、望美は起きるなり学校のバッグにとんでいって、何かを抱えて帰ってきた。
差し出されたのは食べ物・・・・らしい。
笑顔のまま、弁慶は凍りつく。
「・・・・・・・それは」
「あ、昨日作ったんです。ホントは昨日、食べてもらおうと思ってたの。でも・・・」
そこまで言うと、望美は顔を赤らめた。
無理もない。
修学旅行の引率で、一週間、弁慶は留守にしていた。
その間、逢えなかった寂しさはお互い様だったようで・・・会うなり、ほとんど反射のように求めあった。
そして今に至るのだから。
しかし、そんな可愛らしい姿でも、手にしたものが恐ろしい。
作ったという単語も恐ろしい。
しかも胃薬は切れているはずなのだ。(3箱目)
(・・・・・・・・・必須、ですよね、多分・・・・)
異様な外見のそのブツに、弁慶は悟られないよう慎重に、ゴクリ、と生唾を飲み込んだ。
「――ありがとう、あとで、ゆっくりいただきますね」
ようやっとそう言うものの、望美は頑固にそれを差し出した。
「今!今がいいです!駄目?」
・・・・・・やっぱり駄目か。
弁慶はもう一度、望美の可愛らしい手の中にある「物体」をチラリと見る。
・・・・・・・あれを、食べるのか・・・・。
胃薬が切れたときすぐ、買っておくべきだった。
後悔先に立たず。
果報は寝て待て。
案ずるより産むがやすし。
先人の知恵や諺が無闇に弁慶の頭を駆け巡る。
しかし、結論なんて決まっている。
「・・・・・・いただきます」
「わあ・・・・!」
弁慶は決死の覚悟を微笑みに隠して、愛する人のため、それを手に取った。
大丈夫、君のためなら僕は死ねる・・・・!
はたして・・・・・・
「キャー!べ、弁慶さんっ?!」
弁慶は深く深く、何処かへ意識が連れ去られるのを感じながら、視界がブラックアウトしていった。
「弁慶さん、気がついた・・・・?」
「・・・・・望美さん?」
弁慶が気がついたのは、既に夕方。
深く昏倒していたらしい。
涙目の望美。
彼女がここまで運んでくれたのか。
弁慶は自室のベッドで横たわっていた。
「ごめんね、いっぱい愛情込めたから、食べて欲しかったの・・・」
―――かなわないな。
そう思うのはこんな時。
自分では、そんな素直に言えないから。
美辞麗句ならいくらでも思いつくけれど、肝心な言葉はなかなか言えずにいる。
「ホントにごめんね。愛情、足りなかったのかな・・・次はもっと入れるね」
ここで弁慶はふと静止した。
何だその調味料みたいな言い方・・・・
「・・・・・・何か特別なものを入れたんでしょうか?」
だとしたら納得してしまう。
あの味は破壊力抜群だった。
望美はこくり、と頷いた。
「愛情☆スパイス、っていうの、入れたの」
何だそれは!?
思考がショートした。
不思議で奇怪な味がするはずだ!
いつも通りの外見だったが、味はいつも以上に激烈だった。
「・・・・・・・今後一切入れないで下さい」
「どうして?」
「僕は、君だけの愛情が欲しいんです」
無添加最高。
にっこりすると、望美が顔を紅潮させた。
弁慶をぺしっとはたいて照れる。
「やだもう、弁慶さんってば!」
「ふふふ、本当ですよ。だから・・・・・ね?」
「しょうがないなあ、もう!」
困った人ですねえ、なんて言いながら、望美が可愛らしく胸をそらしてみせる。
困った人はどっちですかと言いたくなるが、本音は胸に秘めておく。
その可愛さに、弁慶がほだされかけた時だった。
「あっ、そうそう、おかゆ、作ったんです!持ってきますね♪」
「え、待っ・・・・」
言うが早いか、望美は小走りにキッチンへと向かってしまった。
弁慶は行き場のない手をどうすべきか悩む。
悩んでから激しく後悔した。
悩む前に止めなければ・・・・!
―――しかし、やはり、遅かった。
「はい、弁慶さん!時間が空いちゃったから、おかゆとかの方がいいんですよね?」
そう言って笑って、望美は鍋ごと持ってきた。
弁慶は凍りつく。
六人分くらい、ありそうだ。
「・・・・・・・・・・・・」
「あーんします?」
「は、あの・・・・いえ・・・・えっと・・・・」
弁慶は今度こそ言葉を失った。
コレを食べては駄目だ、と、弁慶の理性が囁く。
食べなかったら泣くかも、と、弁慶の良心が疼く。
葛藤は、長くは続かなかった。
「・・・・・・・・・いただきま・・・」
「あ、電話。ちょっと待ってて下さい!」
突如鳴り響いたベルが、弁慶の窮地を救った。
あのベルは確か、望美の自宅の設定なはずだ。
結局・・・・・・・
「ごめんなさい、弁慶さん、私帰らなきゃ・・・!」
「遅くまで引き止めてしまいましたからね・・・・」
連絡もなしに!と、望美・父の剣幕は相当だったようだ。(と言っても、まだ夕食前)
弁慶は残念そうに、しかし快く望美を送り出す。
「本当にごめんね、また明日ね!」
「ええ」
「食べてね?」
それには弁慶は返事をしなかった。
望美に嘘はつきたくないし、食べれば「また明日」が嘘になる。
望美は返事を待たずに走り去った。
こけそうになる姿に、苦笑。
また明日。
そう約束できるのは、嬉しいことだ。
望美のことだけ護ればいい世界。
日に日に溺れていく自分と、望美の魅力に苦笑する。
「本当に、いけない人ですね・・・・・・」
そして視線を転じ、怪しい色合いの、不思議な匂いのする鍋を見つめる。
ねぎと思しきものが斜めに差し込まれていたり、なかなか斬新なフォルムだ。
「・・・・・・・・本当に困った、いけない人ですね・・・・・」
言葉は同じでも、意味は全然違う。
それでも愛しいのは変わらなくて、困ってしまう。
弁慶は冷蔵庫の確認に立ち上がった。
その後―――
後日、望美の父に御礼を贈ろうと、遠い目をした弁慶は心に決めた。
