「受け取ってくれますか?」

差し出された花束と――ホテルのキー。
それが何を意味するのか、望美にだってもう分かっている。
クリスマスの夜、誘われたレストラン。
用意された、サプライズ。
優しい笑顔に、それでも望美は頷くことができなかった。




ダブルベッドに沈む夜




「朔ーっ!」

弁慶さんと出かけてくるね。
そう、頬を染めて、嬉しそうに望美が出て行った数時間後。
朔が出迎えることになったのは、望美の泣きべそだった。
朔の頭の中で、弁慶が妙に意地悪い笑顔で望美を苛めた構図が浮かぶ。

(あの人はまた何をしたのかしらっ・・・・)

代わりにとっちめてあげるわ・・・!
望美を優しく抱きとめるその裏で浮かぶのは、弁慶に対する大小さまざまな報復である。

「望美、ほら、泣いてちゃ分からないわ。何があったの?」

優しい声に促されて望美が顔をあげると、朔の母性に満ちた優しい笑顔があった。
でも優しいのにどこか怖いのは何故だろう?
望美は慌てて、弁解する。
弁慶が悪いことをしたわけでは、ないのだ。

「あ、あの、違うの、朔。弁慶さんは悪くないの」
「あら、私別に怒ってないわ?」

もちろんずっと笑顔で、優しい声なのに。
望美は何故か怖かった。

「それで?何があったの?」
「・・・・・・・・うん」

それでも望美を思う優しさに後押しされて、ぽつり、ぽつり語りだした。





「まあ・・・・・・・・」

好きだと思って、好きだと言われて、差し出された二人で過ごすための場所。
意味を思って朔はちょっと顔を赤らめた。
でも、喜ばしいことなはずなのに。
望美は弁慶を好きなはずなのに。

「どうして・・・・?望美・・・・・」

辛そうな望美に、そっと訊ねる。
どうして望美は泣いたのだろう?
振り切って、帰ってしまったのだろう・・・・・。

「だって・・・・だって、弁慶さん・・・・帰っちゃうのに・・・・帰らなきゃいけないのに・・・・」
「―――どうして帰ると決めつけるんですか?」

望美の後ろから、硬い声がした。
望美はぴたっと固まり、朔は望美の肩越し、困ったように微笑んだ。

「弁慶殿、お帰りなさい」
「ただいま、朔殿」

明らかに交わす声は硬質で、朔は少し驚く。
こんなに感情をあらわにする人だっただろうか?

「・・・・・・望美さん」
「は、はいっ・・・」

怯えたような声音に、弁慶は吐息をつく。
落ち着いて、怯えさせないようにしなければ。
幾分落ち着いた声で切り出す。

「望美さん・・・・・どうして帰るなんて言うんです?」

それにそれでどうして、つらそうな顔で脱兎のごとく逃げられたのだろう?
弁慶は振り向かない望美を辛抱強く待った。
朔が2、3言話して出て行ってくれる。
視線の牽制以外、驚くほど糾弾もなく、弁慶は苦笑した。
そっと後ろから望美を抱き締める。
ビクン、と望美ははねたが、振り払わなかった。弁慶も振り払われないと知っている。

「どうして逃げてしまったんです」

声は。
自分でも驚くほど、震えた。
驚いただけかと思っていたが、傷ついていたのだと、弁慶は今更知った。

「僕とそんなにいたくなかったのですか?」
「そんな・・・・!そんなことあるはずっ・・・・」
「じゃあ何故」

絞り出すような声にたまらなくなって望美は振り向く。
けれど言葉はそれより強い視線と言葉に遮られた。
そこに確かに傷ついた色を見つけて、望美は何も言えなくなる。

「・・・・・・部屋って・・・」
「はい」
「あの・・・・・そういう、こと、でしょう?」

ごにょごにょと、言いにくそうに呟かれた言葉に弁慶は少し瞠目する。

「・・・・・・・・したくなければ無理強いなんて僕は・・・・」
「わかってます。・・・・・・したくない、わけじゃないんです」

我ながら疑問を持ちつつも言うと、意外なほどしっかりした声が遮った。
望美は恥ずかしそうに弁慶から目を逸らすが、逃げ出そうとはもうしていなかった。

好きで、触れたいと言われたら嬉しいだろう。
でも・・・・
また涙の滲み出した望美をぎゅっと抱き締めて、弁慶は困惑する。
ふと目をあげると、出て行ったはずの朔が、望美のコートを持って、扉のところで微笑んでいた。
弁慶が気付いたのを契機に、ゆっくりと朔が近づいて、望美にコートを着せた。
朔には、望美の躊躇がわかる気がした。
黒龍との思い出が切なく甦る。

・・・・・・初めて間近に触れる愛しい人。
思い出は鮮烈で、消しようもなくて。
こわいだろう。失うことが前提なら。

(私も怖かったわ、望美)

それでもあのぬくもりがなければよかったなんて、思わないから。

「望美、ちゃんと何故か言わなければ、駄目よ。・・・・・いってらっしゃい」
「朔・・・・・」
「後悔する方が、駄目よ。ね?」

優しい声音は、望美の心を宥めた。
傷つけた後悔もある。
弁慶をそっと見上げると、弁慶も優しく微笑んでいる。


・・・・・・・馬鹿みたい。
抱かれたら、もっと好きになって、別れがもっと辛くなると思った。
だから怖くなって。
引き止めるような女になりたくなかった。
だから己のおびえを優先して。

もう無駄なのに。
こんなに好きなのに。
触れても、触れなくても一緒なら―――抱かれたいよ。

「弁慶さん・・・・・・あの」
「・・・・・・よかった」

望美の表情から過度の緊張が消えた。
素直な瞳に安堵する。
普段の望美なら、まさか逃げ出すなんて一方的なことしないのだから。
弁慶は心底安堵した。
それと同時に、朔の影響力にこっそりと苦笑した。
一生かなわないかもしれないと思った。











ホテルの部屋はそのままですから、と言う弁慶の言葉通り、部屋は予約されてあった。
部屋の外はイルミネーションに飾られている。
もみの木をイメージした青いツリー。
その横の赤い服のサンタクロース。

「わっ・・・・」

その傍のカップルの影が不意に重なり、望美は慌てて目を逸らす。
部屋の端で、弁慶がジャケットを脱いでため息をついていた。

「弁慶さん・・・・?」
「何でもないです、ちょっと疲れて・・・・」

戦争よりよほど、くる。
一喜一憂して、ここに望美がいることさえ夢に思えて。
簡単に落ち込んで、傷ついて。

「ご、ごめんなさい・・・・!」
「本当に・・・・僕をここまで乱せるのは君だけですよ・・・」

本気の苦笑に望美は恐縮する。
弁慶の目がピタリと望美を捕らえ、艶めいた。

「責任を取って、下さいね?」
「べっ、弁慶さん、待ってっ・・・・」

流されかけた望美は我に返り、早口で弁慶を押しとどめた。
すると苦笑が降ってくる。

「・・・・・・・分かっています。・・・・ちょっと待っててくださいね」

そう言って弁慶は望美の頬に甘い口づけを落とし、バスルームに消えた。
ますます紅くなった望美はぼうっとして、また我に返ると猛然と準備に走り出した。
乙女には色々あるのだ!

バスルームで部屋を走り回る望美の様子に気付いた弁慶はまた微笑んだ。
くすぐったさと嬉しさが、たまらなく幸せだった。





出てきた弁慶は、部屋が暗いのに少し驚く。
電気をつけようとして、望美に必死に止められた。
こみ上げる笑いをかみ殺し弁慶が頷いたのを見ると、望美は小走りにバスルームに逃げた。
まだ駄目らしい。
窓の外のイルミネーションを見つめる。
人工の光が美しくて空の星を霞ませるけれど、この空の下で生きていきたいと弁慶は思う。

(君が思うほど僕は優しくないんですけどね・・・・)

望美の傍にいられるならそれでいいと思う。
だからお願い、傍にいて。
帰らなければなんて、今の弁慶は思ってさえいなかった。
ただ今ここの、望美を護り、傍にいることしか考えられない。





「・・・・・もう待てませんよ?」
「ま、待てなんて言いません・・・・!」

そう言いつつ望美はバスルームの前から動かない。


出てきたら外の明かりで室内は意外に明るく、目論みは完全に外れたことになる。

浮かび上がる弁慶のシルエット。
甘い顔立ち。
纏められた金の髪が艶めいて―――

望美はふらり、傍に吸い寄せられる。
好きで、好きで、好きだから。
私だって、・・・・・・・本当は。

「弁慶さん・・・・・すき」
「先に言われましたね。・・・・・・愛してますよ・・・」




二人の沈んだダブルベッド。
どれだけ傷ついても、ハジメテはあなたがいい。





・・・・・・ハナレナイデ・・・・・・