それはよく晴れた日の昼下がり。

「よっ…と、こんなものかな……」

 望美は診療所の裏山で薬草の補充をし、たくさんの草が無造作に入った籠を背負った。
 分別はしていない。
 それは弁慶と二人でやるのだが、ちょっとしたテストの様相を呈していた。
 何せ望美は、毒草も拾ってきてしまうので。

「写真入りで覚えられないっていうのがね、大変だな〜」

 どう見ても食べられそうなのもいけない。
 南洋の食虫植物みたいに、いかにもな外見だったら自分にだってわかるのに。
 毒草、といっても身体に害がある、というものだけではない。

「……」

 間違えて催淫効果のあるという草を磨り潰して、風邪をひいた弁慶に飲ませてしまった事を思い出し、望美は顔を一気に赤らめた。
 あのときのことは、思い出すだけで、……駄目だ、照れる。

(べ、弁慶さんが色っぽくて、凄い切なげで……キャーッ!)

 望美はゆでダコになってぶんぶんっと頭を振った。頬が熱い。
 冷静になろう。
 ……あのときは強烈だった。自分が素面な分、記憶は鮮明だ。
 翌日、本当に腰が立てなくなるまで壊された。記憶が鮮明といっても、最後の方は望美も曖昧だ。

「……はっ、いっけない!」

 望美は弁慶を待たせていることに気づいて、猛ダッシュで山を駆け下りていった。




 診療所では、ちょうど最後の1人が出ていくところのようだった。

「おお、望美さん、お帰りなさい」
「ただいま、平蔵さん。腰は平気ですか?」
「はい、おかげさまで」

 かわされるのは笑顔。
 望美は丁寧に一礼していく老人に軽い礼を返し―――丁寧に頭を下げて、籠の中身が地面に散らばるのは避けたいので―――診療所へと入っていく。

「弁慶さん、ただいまっ」
「おかえりなさい、望美さん。お疲れ様でした。すいません、一緒に行けなくて」

 弁慶がすまなそうに言うのを遮るように、望美は背負っていた籠を突き出した。

「大丈夫です、ほら、いっぱい!」

 微笑む顔は得意そうで、「あなたの役に立てて嬉しいのだ」と、口に出される以上に伝えてくる。
 弁慶は嬉しくて、切なくて、泣きそうになるのをこらえて、笑顔にすり替えた。

「……本当だ。こんなにたくさん、大変だったでしょう。ありがとう、望美さん」
「えへへ…」

 はにかむ望美の顔が可愛くて、弁慶はつい意地悪を言ってしまう。
 分別しながら、弁慶は囁いた。

「おや……、甘菜がありませんね」
「えっ?何か足りませんでしたか?……って、それは……!」

 望美は瞬時に顔を赤くした。覚えるのが苦手な望美が、一度で覚えてしまった薬草である。
 それは、頼まれていない。頼まれても逃げてしまうだろう。
 だって。
 ……あの草でしょう?

「た、頼まれてませんっ」
「ええ、君が自分で採ってくるかと」
「何でですかーっ!」
「ふふ、言わせたいんですか?」

 真っ赤になって慌てる望美を、これでもかと弁慶は追い詰めていく。
 脳裏に浮かぶのは、可愛らしくも悩ましい、蜜の表情。
 蕩けきった声音で呼ばれた名前。

「も、もうっ、知りません!」

 望美は腕をすり抜けて出ていってしまう。
 大分動揺していたようで、豪快な音と可憐な悲鳴が向こうの方で轟いた。
 弁慶はくつくつ忍び笑いながら、薬を分別する手を休めて、傷薬を作るべく、数種の草をすり鉢に入れて磨り潰し始めた。
 すると、一生懸命崩れたものを直しているのだろう。ガタガタと音にまぎれて、弁慶への怨嗟が聞こえて、弁慶は爆笑寸前だ。

(いつ…甘菜が、単に滋養強壮の薬だって言いましょうかねえ…)

 量が異常に多くて、身体が熱くなりすぎたのは確かだったけれど。
 取って来られないのは困る。このあたりで自生する甘菜はとても貴重なのだし。

 ―――だが、いいかな。
 微笑みながら、弁慶は意地の悪いことを思案する。
 もう少し、望美の照れる顔を見ていたい。怒る顔も、苛められて泣きそうな顔も。
 まだ、いいかな。
 甘菜の採取できる時期は過ぎたから。
 勝手な理由をつけて、弁慶は微笑んだ。
 何よりも愛しい少女は、弁慶の宝物であり、興味の対象の最たるもので、弁慶は色んな事を望美にしてみたくなってしまう。

(……だって、君は許してくれるでしょう?)

 絶対の信頼。
 心から笑えることも。
 どれも、望美にしか感じなくて、望美だけでよくて、幸せで。
 優しくしたくて、壊したくて。
 弁慶は時々、自分の中の破壊衝動と戦わなくてはならなかった。
 ―――あんな表情を知ってからは尚のこと。

「……さて、いいかな」

 出来上がった傷薬を手に、弁慶は立ち上がる。
 視界に直した本のタワーに裾の部分を噛まれて奮闘する望美が見えて、また、笑顔になってしまう。

(簡単に囚われる、君がいけないんですよ?)

 望美は弁慶に気づいて、助けてもらえると笑顔になって、…凍りついた。
 あの、笑顔は。

「やあ、こんな捕まってしまって。大丈夫ですか?」
「あ、はい、あのっ、大丈夫ですから!」
「ふふふ、遠慮することはありませんよ。君を助けられるのは僕の特権です。ね?」

 逃げ腰の望美を捕らえ、器用に望美を囚われの塔から救い出すと、弁慶は望美を腕の中に閉じ込めた。

「きゃあっ!」

 驚いて、でも縋ってくる望美。
 ……幸せだ。目を閉じて、君を想う。

 愛しい君の声が、響く。